名前と付き合いだしてから初めての春、四月一日。
ふたりで口裏を合わせて、盧笙に「別れるわ」と言ってみせれば、盧笙は数秒固まったあと「……え?」と震える声でなんとか吐き出して、それから「嘘やろ」とか「なんで」とかうわごとみたいに繰り返した。なんか俺が盧笙のことフッたみたいやん、なんて思いながら隣の名前にちらりと視線を送ると、名前も似たようなことを考えたのか、それは気まずそうに、なんとも言えない顔でこちらを見上げていた。
いたたまれなくなって「今日エイプリルフールやで」とネタバラシをすれば、盧笙は烈火のごとく怒って「言うていい嘘と悪い嘘があるやろ!」と叫んだ。俺と名前が別れるということは、盧笙にとっては笑えない冗談らしい。そう思うと、彼女だけではなく相方にまでこんなに愛されているのが嬉しくって、つい頬が緩んでまた盧笙に怒鳴られた。
* * *
「で、今年はどないする」
「まだ懲りてへんの?」
「あんな素直な人間、騙さんでどないすんねん」
三月のある日のデートの真っ最中、隣を歩く名前にそう話しはじめると、名前はすっかり呆れた顔でこちらを見た。そういう名前だって、幼いころは疑うことを知らない盧笙に毎年のようにえげつない嘘を吐いていたのだと、被害者のほうから聞いている。えげつない、とは量のことなのか中身のことなのかまでは訊けなかった。
「さすがにまた怒られるんは嫌やんなー……何が嫌なんやろ……」
「そら明るい話題やないとアカンねやろ」
冷ややかな視線を向けておきながらも乗り気に見えなくもない名前に苦笑しつつ、貴重な意見はしっかり咀嚼する。それから俺が「あ、」と声を漏らせばわずかに瞳が輝いたのを見逃さなかった。
「――というわけで、俺たち結婚します」
それええやん、とお墨付きがつくと同時に名前はスマホを取り出し何食わぬ顔で盧笙にメッセージを送っていた。今度の木曜タコパしよ、とか、そんな内容でさらりと盧笙の予定を押さえる。
迎えた四月一日、年度初めで少々お疲れ気味の盧笙に「話がある」と切り出して、ふたりして真面目な顔で作戦を決行した。
「……え?」
去年と全く同じリアクションをする盧笙に口角が上がりそうになるのをぐっと堪えて、真剣な表情を作り続ける。むしろ名前のほうが今にも噴き出しそうになっていて、慌ててテーブルの陰で小突いた。
一方、盧笙はまるで時間が止まってしまったかのようにぴくりともせず、ぽかんと口を開けたまま固まっている。見かねた名前がそのアホ面の前でひらひらと手を振ってみせると、ようやく我に返って、
「け、結婚するんか」
いや、まだやるんかい。名前は名前で、神妙な顔をして「うん……」なんて言うものだから、盧笙はますます信じ込んでしまったようで。
とはいえ、あんまり長引かせたらまた怒られるなと思い、そろそろネタバラシをしようとしたところで、俺と名前はハッと顔を見合わせた。
「そうか……よかったわ、おめでとう」
まるで自分のことのように嬉しそうに盧笙が微笑んだ途端、その頬にはらりと水滴が零れるのが見えてしまったのだ。盧笙は気恥ずかしそうに眼鏡を外すと、指先で涙を掬う。
去年以上に、嘘だなんて言えない状況になってしまった。さすがに俺たちの前で泣くのは抵抗があったのか、盧笙は不意に立ち上がり、洗面所へ姿を消す。その隙にバッと名前と向かい合って、
「ちょ、ちょっと!どないすんの!」
「いや自分がノったんやん!?」
名前の大声に反応してか、盧笙は不思議そうな顔をしてすぐに戻ってきた。決意が揺らいでしまう前に、俺はすかさず「盧笙、今日四月一日やねんけど」と呟く。
「四月……あ!?エイプリルフールか!?」
先ほどまでの優しい表情はどこへやら、キッと眉間に皺を寄せて、今にも掴みかからん勢いだ。そらそうやんな、泣いてもうたもんな。
「でっ、でも、絶対ホンマのことにするから!」
「ハ!?」
「え?」
あまりの迫力に仰け反りながらも必死で叫ぶと、盧笙だけでなく名前まで目を丸くして固まった。
「や……今はエイプリルフールの嘘やけど、そのうちホンマのことになるなーとか……そんなん思いながら決行してんけど……」
……俺だけやった?と、おそるおそる名前の顔を窺う。名前はわなわなと唇を震わせていたが、俺と目が合うなりボッと顔を赤くして、それからずるずると後退った。
「な、な、何言うてんの!?あ、エイプリルフール!?」
「いや、ホンマやけど」
「……おまえなあ……」
バタバタと盧笙の背中に隠れる名前に少しむっとする。一方盧笙はすっかり落ち着いたというか、むしろ冷めた様子でこちらを見下ろしていた。それから「あ、」と声を上げて、
「エイプリルフールに吐いた嘘って叶わへんのちゃうかったっけ」
「え!?そうなん!?」
マジか、知らんかった……いや、でもそんなん迷信やろ……!
ふと名前を見ると、盧笙の言葉に目を見開いて、その丸い目にじわじわと涙を浮かばせていた。
「……ホンマに?」
「え……あっ、いや、一年だけっちゅう説もあるな!」
盧笙は振り返るとぎょっとして、励ますように名前の頭をぽんぽんと撫でながら慌てて答えた。
……何やねん、その顔、叶わんかったら泣くほど嫌なん?
「大体こんなん迷信やん、な?」
「名前」
たぶん名前は盧笙に縋っているつもりはないのだろうけれど、どうにも面白くなくて、名前を呼んで小さく手招きをすれば、ふらふらとこちらへ戻ってくる。
潤んだ瞳のまま不思議そうにこちらを見る名前を捕まえて、ぎゅうと腕の中に閉じ込めた。
「名前が嫌やって言うても絶対結婚したるから安心し」
「何も安心できへんやろ」
腕の中で俯く名前の代わりに盧笙が冷やかな声で答える。
名前の返事はなかったが、ゆっくりと背中に回された腕に、きゅっと力が込められたのを感じた。
「……ちゅうか、散々人おちょくっといて何イチャイチャしとんねん!ほら、飯の用意すんで!」
そう言うと盧笙は俺たちに背中を向け、台所へ向かった。その隙に、名前の額にちゅ、と口付ける。
「絶対ホンマに結婚しよ、な?」
「今日言うな、アホ」
こんなタチ悪い嘘吐かへんわ、なんて、今の俺が言っても説得力は皆無だった。