「お邪魔しますっ!」
「邪魔するんやったら帰って」
「絶ッ対言うと思った!帰らんわ!」
背負っていたリュックを下ろすと、どさ、と大袈裟な音がした。盧笙はそれを見てハァと盛大に溜息を吐き、リビングへ踵を返す。とりあえず追い出す気はないようなので、遠慮なく上がらせてもらう。
「で、どないしたんや?」
キッチンで二人分のコーヒーを淹れながら盧笙は言う。なんだかんだ言いつつもてなしてはくれるらしい。
盧笙は昔からそうだ。幼馴染の私相手に限った話ではなく、優しすぎるくらいに優しい。
ローテーブルに湯気の立つマグカップが置かれる。
「家入れてくれるだけやなくて、話まで聞いてくれるんやもんなぁ……」
「は?」
「盧笙は優しいなぁ、誰かさんとは大違いや」
お礼を言ってからコーヒーを一口飲み込む。これがあんまり美味しいから、同じ銘柄を真似して買ってみたりしたのに、何故か同じ味にならない。あ、また淹れるとこ見るの忘れてたな。
「簓も優しいやろ、ええかげんやけど」
この人は、私が簓と喧嘩してここへ来たと知っていても、簓のことを悪く言わない。いつだって公正中立。
「それは、まぁ……」
「何があったんか知らんけど、落ち着いたら帰ったり」
「……うぅ」
明日の授業の用意をしたり、やらなければならないことはたくさんあるはずなのに、盧笙は黙って、一緒にコーヒーを啜っている。きっと私がいつ話したくなってもいいように待っているのだ。けして急かす素振りはない、というか、そもそも急かす気持ちもないのだと思う。私がこのまま何も説明せず、お邪魔しましたと出て行っても、きっと盧笙は何も言わない。
そんな盧笙の姿を見ていると、全部吐き出したくなってしまう。だって、吐き出したもの全部受け止めてくれると分かっているから。
「盧笙せんせぇ」
「うちのクラスにこんな出来の悪い生徒はおらん」
「ひど!それは酷いわ!」
「で、何や?」
そう言って少し首を傾げた盧笙は先生の顔をしていた。いや、私、生徒かぁ……そんな未熟に見えるんか……同い年やのにな……。
「簓もな、私のことそうやって子供扱いするんや……」
「……も?」
無自覚なんかい。
しかし盧笙に突っかかっても仕方がないので、ぐっと飲み込んで話を進める。
「自分は海外とか地方とかのロケでしょっちゅう泊まりで出掛けるくせにな、私は旅行どころか飲み会ひとつ取っても、誰がおるんや、どこでやるんや、何時に帰ってくんねんってネチネチネチネチ……」
「はぁ……」
「それで今日もな、自分も明日から泊まりのくせに、私の明日の職場の飲み会のことしつこく訊いてきたから、なんか……プツッと来てしもた」
今思えば、別に家出するほどのことではなかったかなぁ、なんて考えて大きな溜息を吐いてしまった。
少し考える素振りを見せたあと、盧笙も口を開く。
「心配なんやろ、愛されとる証拠やん」
「それは……でも、そんなん鬱陶しいかなと思って私は訊いたことないのに。信用されてへんみたいやし」
「アイツにとったら名前は可愛くて可愛くてしゃーないから、いくら名前のこと信じとっても、他の男がちょっかい掛けて来おへんか心配なんや」
さすが元相方は何でもお見通しというように、すらすらと語る。
「別にそこまで美人でも可愛くもないのに、ホンマにアホやな」
「そういう問題やないねんて、一目惚れやったんやから」
「え?」
「あ」
私が顔を上げると、盧笙は慌てて自分の口元を手で押さえた。しかし、その、一目惚れとかいう聞き覚えのない単語はもう耳に入ってしまったあとで。
「すまん、忘れてくれ、これ絶対言うなって簓に言われとったやつ」
「いやいやいや、そこまでバラされたら逆に忘れられへんねんけど、えっ、何て?」
「あー、すまん簓……」
だって、一目惚れなんて、聞いたことがない。簓が盧笙とコンビだったころ、盧笙に挨拶しようと思って、そこで簓と出会って、少しずつ仲良くなって今に至ったはずなのに、何故。
「いや、だから、名前と初めて会うたときから好きやったって」
忘れてくれ、なんて希望が到底通らないことは理解しているのだろう。盧笙はまだ少し申し訳なさそうにしつつも、続きを語る。こういうとき、盧笙は意外と潔い。
「仲良うなりたいって言うから……しょっちゅう劇場とか営業とか呼んだやろ」
「それは普通に幼馴染として……というか観客の頭数増やすためかと思っとった」
「……俺としてはそれも否定はせんけど」
そう言って苦笑する盧笙は、なんだかいつもより優しい空気を放っていた。そんな盧笙を見ていると、私もだんだん落ち着いてきて、この状況が少し笑えてくる。
「相方がガッツリ幼馴染狙ってるってどないなん」
クスクスと肩を震わせながらほとんど独り言のように呟いたそれに、盧笙は目を瞬かせて、まるでおまえは何を言っているんだとでも言わんばかりに、当然のように答えた。
「別に、簓やったら安心して任せられるし、おまえも簓のこと支えてくれるやろから、早よくっつけばええのになぁって思ってたけど」
「……は」
要するに私たちは、幼馴染としても、相方としても、お互い盧笙のお墨付きを得ていたということか。そう思うとなんだか恥ずかしくなって顔に熱が集まる。しかし盧笙はそんなこと気にも留めず、コーヒーを一口啜ってからまた話しだす。
「せやから、自分みたいな男がいつまた現れるか、気が気やないんやろ」
そうやって言われてしまうと、これまでの簓の追及もすごく可愛らしく思えてしまうのは、惚れた欲目だろうか。
そんな思いが面に出ていたのか、盧笙はとても優しい……というか、生温かい視線を私に向けていた。
「ちょっと、何その目」
「喧嘩してきたやつがする顔やないなぁと思って」
「うっ」
「もうええやろ?早よ帰ったり」
うるさくてしゃーないねん、と言って盧笙が私に差し出したスマホには、簓からのメッセージや着信が何十件と届いていた。マナーモードにしてあるらしく音は鳴らないが、その間にもまた新たにメッセージが来てヴーとバイブ音が響く。
「何も返事してへんから、たぶんこっち向かっとるんちゃうか」
「え!?」
言いながら盧笙はずっと放置していたというメッセージを確認する。予想通りだったらしく、特に否定はなかった。つまり、簓はここへ向かっている。
ここにおるって言うてええんか、と確認されたので、少し悩んだあと小さく頷いた。それを見ると、盧笙は何やらメッセージを打つ。
「ちょうどええやん。お迎えや、お迎え」
「他人事やと思って……」
でも、いいか。先程の話で怒りはすっかり収まってしまったし、むしろ軽率に飛び出してきたことを謝らなければいけない。簓は明日は朝から移動のはずなのに手間を掛けさせてしまった。
いつの間にか空になっていたマグカップに気付いた盧笙が「おかわりいるか?」と声を掛けてきたので「簓、もうちょい掛かりそうなら欲しい」と答えると、盧笙は再びスマホを確認してからキッチンへ向かった。
今どこなんだろう。まぁ、コーヒー一杯のんびり飲むくらいの時間はあるということか。
そんなことを考えているうちに盧笙はまたリビングへ戻ってきて湯気の立つマグカップを差し出すので、お礼を言って受け取る。
「……盧笙、ごめんな、いつもいつも何かあるたび押しかけて」
「今更やな。安宿探してうろつかれるくらいやったら目ぇ届くとこにおってくれたほうがええわ」
「私は未成年か」
「今日日、未成年のほうがしっかりしとる」
盧笙は至って真面目な顔をしていて、本気で言っていることは明らかだった。自分も何やかんや引っ掛けてくるくせに……と思ったが、今日はこのコーヒーに免じて黙っておいてやろう。
「……簓、怒ってるん?」
ちらちらとスマホの画面に視線を落とす盧笙の態度に不安になり恐る恐る訊ねると、盧笙はきょとんとして、
「怒ってへんわ、ずっと心配しとった」
「そっか……」
「何や、急にしおらしなって」
そう言う盧笙はどこか驚いたような顔をしていて、失礼なやつ、と思う。
「その……一目惚れ……は、知らんかったけど……でも簓が私のことめちゃくちゃ好きなんは分かりきってたから、なんか……甘えとったなぁって思って」
自分で言うのは少し照れくさくて口ごもった。
せやなぁ、と、盧笙はマグカップに視線を落としながら答える。
「まぁ、アイツはそれも楽しんでそうやから何とも言われへんけど。たまには名前からも愛情表現したったらええねん」
「あ、愛情表現……!?」
「名前は簓のこと好きやないんか?」
愛情表現とか好きとか、幼馴染の口から……というか、盧笙の口からポンポン出てくることにたじろぎつつも、その質問への答えはひとつしかなくて。
「そんなん、好きに決まってるやん」
「俺も好きやでぇ!」
「ぎゃっ!?」
真っ赤になりながら絞り出した言葉に返事が返ってきたことに驚いて振り返るや否や、そこにいるはずのない人物が背後から飛びつくように私を抱き締めた。
「さ、簓!?いつの間に!?」
驚きつつその腕から逃れようともがくも、びくともしない。盧笙は何事もないようにコーヒーを口に運んでいる。いや、簓がいるのに気付いてあんな話の振り方をしたのか。
「コイツ、ここの合鍵持っとるからな」
「は、合鍵!?なんで!?」
恨みがましい視線を送る私に気付いてか盧笙が答えるが、答えを聞いてもいまいち納得がいかないし、その間にも簓からの拘束は強くなる一方だし、何だこれは。
「名前ごめんな、ここ来る間に盧笙にちょっと話聞いてん、俺名前を信じてへんわけやなくて」
「待って簓、話するから一旦離して、死んでまうわ」
そう言うとようやく解放される。というか、いつの間に会話の内容まで連絡されていたんだ。
……まさか一目惚れ云々のことは言ってないよなぁ、盧笙のミスだし。
「私が言うのも変な話やけど、とりあえず座ったら……?」
ちら、と家主を見ると溜息を吐きつつも立ち上がってキッチンへ向かった。簓の分も何か淹れてくれるつもりなんだろう。
「すまんな、盧笙」
「ホンマにそう思っとるんなら、さっさと仲直りして帰れ」
言葉こそ刺々しいが、その声音はどこか優しい。
その声に背中を押されるように、私はおもむろに口を開く。
「簓、あの、」
「待て待て、俺が先!いつもうるさくして悪かった、ごめん」
「それはもうえぇよ、盧笙に聞いたから」
「……盧笙に?」
しまった、口が滑った。私も人のこと言えないな、なんて考えている場合ではない。そして心なしか、めちゃくちゃ盧笙の視線を感じる気がする。確かめる勇気はないが。
「あ、いや、えー……その、私のこと疑ってるわけやなくて、心配になってまう男心?」
なんで疑問形なん、と不思議そうにしつつも、簓はそれ以上は何も言ってこなかった。盧笙の面子を守るためにも、これ以上の失言は許されない。
「私も、家飛び出してきて、明日から地方やのに簓に手間掛けさせてしもてごめんな」
「ええよ、そんなん」
そう言うと簓は今度は優しく私を抱き締めて、じっと見つめたかと思うと顔を近づけてくるので、
「アカンアカンアカン、ここどこやと思ってんねん、これ以上盧笙に迷惑かけんな!」
すっかり緩みきっていたその顔を両手で掴んで止めると、簓はムスと唇を尖らせる。
「名前がそれを言うんか」
「うっ」
「ま、でも、お詫びは俺がちゃーんと用意してきとるで」
まるで何事もなかったかのように言い、簓は立ち上がって踵を返す。リビングの扉の向こう、玄関のほうで何やらゴソゴソと音がしたかと思うと、簓はスーパーの袋を両手に提げて戻ってきた。片方の袋からは白葱が覗いている。
「盧笙せんせぇ、この度はうちの子がご迷惑をお掛けしました」
ふざけた口調で言いながら袋を差し出す簓に、マグカップ片手に戻ってきた盧笙がプルプルと震えている。もちろん笑っているわけではない。
「……それのどこがお詫びやねん」
「え、アカン?」
「アカンやろ……」
さすがに私も盧笙に同情してしまい呟くと、簓は大袈裟に「えぇ?」と声を上げる。
「幼馴染と元相方と楽しく鍋パと洒落込もうや」
「それ楽しいのおまえらだけやろ!?」
「えっ、私もか」
「でも名前がずっとぶつくさ言うとったから飯の用意できてへんやろ?」
「そんなん一人やったらどうにでも、」
「同じ状況の人間が三人おるんやからこれでええやん!」
あー、もうこうなると簓は引かないな……それに、私も久しぶりに盧笙とご飯食べたいなぁ、という気持ちがないわけではない。
「盧笙、あの、用意も片付けも私らで全部やるから」
「当たり前やん、お詫びなんやから」
「自分はちょっと黙っとき」
まさか私まで簓の味方につくとは思っていなかったのか、盧笙は一瞬驚いたような、しかしその中に少し呆れや諦めも含まれているような、そんな複雑な顔をしたあと、ハァと溜息を吐いた。
「あー、もう、分かった……勝手にしぃ」
「おおきにぃ!」
盧笙の承諾を得ると簓はそのままキッチンへ向かい歩き出した。名前、早く!と呼びかけてくる。
「ごめんな、盧笙。でも久しぶりに盧笙とご飯食べれて嬉しいわ」
「それは……俺もそうやけど。おまえらはもうちょっと……普通に会いに来られへんのか」
「あはは……」
苦笑するしかない私の頭に、ぽすんと盧笙の手が重ねられる。
「簓と仲良うせぇよ、俺、結婚式のスピーチする気満々やからな」
「け、けッ、結婚!?」
突然出てきた単語の衝撃に、思わず大きな声を上げると、キッチンのカウンターの向こうで「えっ、誰が?」と簓が反応した。それに「なんでもない!」と答え、盧笙を振り返る。
「なっ、何言うて、」
「何や、当たり前やろ?」
盧笙は本当に当然のように飄々と答えるので、なんだか真っ赤になって言い返す自分のほうが馬鹿みたいで、諦めて全て飲み込むことにした。
「盧笙ー、お玉どこー」
私たちの会話など知る由もない簓が呑気に呼び掛けてくると、盧笙はハァと溜息を吐く。
「結局手伝わされるやつやん……」
と、ぼやきながらキッチンへ向かったが、その表情はどこか楽しそうで、
(結婚、とか、よう分からんけど……私はまだ三人でええなぁ)
元相方にしてチームメイトと並びキッチンに立つ幼馴染を見て、そんなことを思った。