「――うん、たぶん当日も仕事やろなって思って……」
『しゃあないな、一応空けとくわ』
ピ、と電話を切るとちょうど目的地だった。
毎年、誕生日のケーキを頼んでいる近所のパティスリー。誕生日以外にもちょこちょこ買いにきているから、すっかり常連だ。自動ドアをくぐると、カウンターの向こうのパートのおばちゃんがパッと顔を輝かせる。
「名前ちゃん、いらっしゃい!あー、もうすぐ誕生日やねぇ」
顔を見るなりそう言う彼女に苦笑しつつも、誰かに誕生日を覚えられているということは嬉しかった。
「おばちゃん、よう覚えてるね」
「そら毎年来てくれるから……あら、でも今年は」
ふと、何か思い出したような口ぶりで、彼女は突然くるりと背を向けた。それから後ろの棚に置いてあった台帳みたいなものをパラパラと捲って、
「やっぱり、こないだ簓くんも予約しにきてるで?」
「……え?」
ふたりで来店することもあったし、簓と私の関係は知れている。彼女が告げた受け取りの予定日は、確かに私の誕生日だった。
「なんも聞いてへんの?」
「うん……なんか最近えらい忙しそうやから、私の誕生日どころじゃないやろなって思って」
不思議そうな顔をしている彼女に少しばつが悪い気持ちになりながらもそう答えると、店内に彼女の笑い声がカラカラと響いた。
「簓くんに限ってそんなことないやろ」
「……なんで?」
「簓くん名前ちゃんのこと大好きやもん」
女の子はああいう人と結婚せなアカンで、という彼女の言葉はスルーしつつ、時折来るだけのお店でまでそんなことを言われる簓の普段の様子を想像して、少々頭が痛くなる。そういえば、たまにここのケーキを片手に帰ってくることがあるけれど、まさか何か余計な話をしてるんじゃ……。
「とりあえず、簓くんに確認しい、な」
「そうしよかな……ありがとう」
言われるがままに店を出て、帰路に就く。そして考える間もなく再び盧笙に電話を掛けた。今日は一日中家にいるということは先ほどの電話で確認済みなのだ。
「ろしょー……」
『……今度は何や』
「さっきケーキ予約しに行ったら、先に簓が予約しとってん」
そう報告すると、盧笙は興味があるのかないのか分からない「ふうん」という返事をした。いや、まあ興味ないんやろけど。
「休みなんかなあ?何か言うてくれたらええのに」
『一緒に住んでんねんから訊いたらええやろ』
「最近帰ってくるの遅すぎて全然時間合わへんねんもん」
『……もしかしたらの話やねんけど』
元相方の見解にありがたく耳を傾ける。これはもはや専門家の意見といっても過言ではない。
『アイツ、名前の誕生日当日の予定空けるために仕事詰め込んでんちゃうか』
「え……」
そんな上手いこといくんか分からんけど、と盧笙は言うけれど、考えられない話ではなかった。
「……もしそうやとしたら私めちゃくちゃ愛されてへん?」
『切ってええか』
「ごめんて」
* * *
今日は簓が帰ってくるまで寝ない。明日は日曜日だし問題ない。夜には飲まないようにしている紅茶をちびちびと啜りながら、いつになるかも分からない帰りを待った。
時計の針と針が頂点で出会ったころ、うとうとと船を漕いでいた私は、玄関のドアが閉まる音で目を覚ました。テーブルに突っ伏しそうになっていた身体をがばっと起こして振り返ると、ちょうどリビングの扉を開けた簓と目が合って、簓は不思議そうにこちらを見下ろす。
「ただいまぁ……名前まだ起きとったん」
「おかえり」
あくびが出そうになるのを噛み殺してそう返すと、簓はスリッパをパタパタ言わせてこちらへ近づいてきて、すっと腰を屈めると、当然のごとく私に口付けた。
「起きてる名前にただいまのちゅーすんの久々や」
「……起きてる、ってどういう意味?」
まるで寝ている私にはしてた、みたいな口ぶりを問い詰めようとすると、簓はくるりと踵を返して「風呂入ろ」とわざとらしく呟く。
「ちょっと待って簓」
「続きならベッドでな」
「いや、私もう寝るから」
「なんでやねん」
呼び止められたから、というよりツッコむために足を止めて振り返った簓にちょいちょいと手招きをすると、簓はきょとんとしながらもこちらへ戻ってきて対面の椅子に腰を下ろした。
「私の誕生日、お休みなん?」
単刀直入に尋ねれば、簓は「うぇ、」と変な声を漏らし気まずそうに視線を彷徨わせた。
「……ケーキ予約してんの知ってるから」
「え!?なんで!」
「いや、いつものとこで予約したらバレるに決まってるやろ」
大袈裟に頭を抱える動きをしてから、簓はちらりとこちらを見て「……おばちゃん?」と言う。
「秘密やって言うたのに」
「ふたりでケーキふたつ
買うてきても困るやろ、心配してくれたんやんか」
「そーやけど」
未だ少々不満げな簓に負けじと冷ややかな視線を送っているのに気がつくと、簓はぎょっとして「え、なに……?」と戸惑いの声を上げた。
「……休み取るために仕事詰め込んで無理してるんちゃうの」
ひとりごとを呟くようにそう言うと、簓はきょとんと不思議そうな顔をして、じいとこちらを見た。気まずくなって視線を落とし、なんとなしにテーブルの木目を眺める。
「心配してくれてるん?」
顔を上げなくても、厭らしくニヤニヤしているのが分かる嬉しそうな声音。唇を尖らせながら、ちらりと視線だけ上げてみると案の定だった。
「別に年末年始に比べたら大したことないで」
「やっぱり詰め込んでんねやんか」
「でも無理はしてへんよ、ホンマに」
そう言う簓は、確かに涼しい顔をしているし、毎日帰って寝られているだけ年末年始に比べたら全然マシなのかもしれないけど。
「……誕生日一日だけ一緒におるより、毎日ちょっとでもこうやって顔合わせられるほうがいい」
一緒に住んでるのに、なんか一人暮らししてるみたい、なんて恨みがましく呟けば、簓はしばらくそのままの状態で固まっていたが、突然ガタンと音を立てて立ち上がると、私のほうに飛んできて、その勢いのまま私を椅子の背もたれごと抱き締めた。
「あー……ごめんな……そうやんな」
このまま圧死させる気かと言わんばかりの力を込めてくる腕をぺちぺちと叩いていると、わずかに拘束がゆるくなって、それから悲しげな簓の声が聞こえてくる。
「俺もちょっと寂しかったけど、名前の誕生日のためやからって思って我慢しとった……本末転倒やんなぁ」
「……うん」
「今度からは気ぃつけるな」
さすがに今年のスケジュールはもうどうにもならないけれど。ずいぶん反省しているみたいだし。すっかり落ち込んでしまった簓の頭をぽんぽんと撫でてやると、また背中に回された腕の力が強くなった。それから、「でも一日オフにしたいってだけやのに仕事の増え方絶対一日分ちゃうよな」とマネージャーか事務所への恨み言がぽつりと聞こえてきて、思わず肩が震えてしまった。
「……でも、私のために頑張ってくれたんはありがとう」
「そんなん当たり前やろ、一年に一回の名前のためだけの記念日やで」
「大袈裟やなあ」
ふふ、と笑い声を漏らすと、不意に身体を離した簓が真剣な顔をしてこちらを覗き込む。
「名前が生まれてきてくれたことに感謝する日ぃやねんから、大袈裟やないで」
「……そういう恥ずかしいことは当日だけにしてよ」
「えー、ホンマのことやんか」
「もう、
早よお風呂入っといで」
「名前が呼び止めたんやろ」
おそらく真っ赤になっているのであろう顔を片手で覆いながら、もう片方の手で簓を無理やり引き剥がす。簓は渋々離れると、不服そうにしながらも洗面所のほうへ足を向けた。それから数歩進んでドアノブに手を掛けたところで、不意に振り返る。その顔には満面の笑みが浮かべられていた。
「名前ー、生まれてきて、俺と出会ってくれてありがとぉ」
人の話を聞いていたのか、この頭お花畑は。