はじめは、その電話の意味が分からなかった。
盧笙連れて帰る、って、そもそも今日は三人で集まる約束だったじゃないか。理解が追いつかず「う、うん……?」なんて言ううちにプツリと電話は切れて、私は当初の予定通り、ふたりの訪いを待った。
約束の時間より十分ほど遅れて、インターホンが来客を告げる。モニターを覗くと、なんだか疲れた様子の簓が映っていた。盧笙の姿が見えないけれど、まあ、インターホンのカメラの画角なんて大したことないし、と特に気にせずドアノブに手を掛ける。
「……名前……?」
「名前!助けてぇ!」
ドアを開けるなり、そんな声が同時に聞こえてくる。それから私は、目の前の景色に驚いて、思わず尻餅をついた。正面にいた盧笙が慌てて手を差し出す。いや、盧笙と思しき少年が。
「ろ、盧笙、小っちゃなってる……」
* * *
「来る途中に違法マイク持ったやつらに絡まれてな、盧笙が俺庇って……こんなんなってもうた……」
「なあ、名前、コイツ何なん」
よよよ、と袖を食むふりをしながら小さな身体に寄り掛かる簓を、盧笙は至極鬱陶しそうにしていた。どうやら記憶も子供のころのままらしいが、簓の扱いはなんというか、今のままで――少し安心してしまった。
「アホやけど変な人ではないから」
「名前!何やねんその説明!」
盧笙を中心に、テーブルをコの字型に囲む。小さくなったといっても、どうやら小学校高学年くらいなのか、背丈は今の私とそう変わらなかった。服は小さくならなかったようで、今は簓がうちに置いている部屋着を貸している。さすがに少し大きそうだった。長い袖を煩わしそうにしながら、用意していたご飯を一緒に食べている。
「盧笙、今いくつなん?」
「10」
「小4?」
盧笙のために作ったはずの唐揚げを、小さな盧笙がせっせと口に運ぶ。元の盧笙もお腹を空かせていたのだろうか。
「名前は?」
「え、あぁ、26やで、こっちのお兄ちゃんも」
そう言って簓を差すと、なんだかうっとりした様子で「お兄ちゃんて響き
悪ないなぁ」とほざいて盧笙に冷ややかな視線を送られていた。小学生にそんな顔をさせるな。
「あんま変わってへんな……気持ちデカなってるけど、名前やってすぐ分かった」
「気持ちって!もうちょい大きくなってるやろ」
私がくすくすと笑い声を漏らせば、盧笙もようやく微かに笑みを見せた。いきなり知らないところへ来て緊張しているようだったが、少しは落ち着いただろうか。
「名前おってよかった……気ぃ付いたら、なんか微妙に俺が知ってるのと違うミナミにおるし、横で知らん男が俺より慌ててるし」
「慌てるに決まってるやろ、180超えの大男がこんなちんちくりんになってもうて」
「俺そんな背ぇ伸びるん?」
身長のことできらきらと目を輝かせるのは年相応と言うべきか。そういえば、中学のとき冗談みたいにぐんぐん伸びてたなあ。
「それでな名前、コイツが名前に会わせたるーって言うから付いてきてん……めちゃくちゃ怪しいけど、他にどうしようもなかったからな」
「そんな嫌そうに言うなや!」
「しゃーないよ、こんなんしか頼られへんかったもんな」
「名前まで!」
しゅんとする盧笙の頭を撫でてやると、盧笙はじいと私を見て「変な感じや」と呟いた。
「……それでな、なんで名前のこと知ってんねんて言うたら、コイツ名前の彼氏やって言うねん」
可愛らしい顔をぎゅっと顰めて、小さな盧笙が言う。すると簓も、
「盧笙、全然信じてくれへんねん……なんでや……」
先程の盧笙に負けず劣らずしょぼくれた様子でこちらを見た。そんな顔をしても頭は撫でないから。
「……ホンマなん?」
まるで否定してほしいみたいな、そんな言い方だった。けれど、理由が分からない。簓は盧笙のお眼鏡に適わなかったのか……まさかこのころの盧笙、私のこと好きやったとか?なんて、そんなことないのは分かっている。
「ホンマやで」
苦笑いしながら答えると、盧笙は信じられないという気持ちを思いっきり顔ににじませて、簓を見た。「これのどこがええの」とでも言いたげだったが、盧笙はしばらく黙り込むと、そのまま食事を再開してしまう。
少々不自然なその様子に私と簓は心配半分、疑問半分で顔を見合わせたが、盧笙が何も言わない以上、むやみに追及することもできず、再び箸を動かすしかなかった。
「……あ。俺ちょっと零に電話してマイクのこと訊いてくるわ」
ほとんどの皿が空になったころ、簓はおもむろにスマホを片手に立ち上がる。そそくさと廊下へ出ていったかと思うと、そのまま玄関のドアを開閉する音が聞こえた。どんな話を聞くことになるか分からないし、心身ともに幼くなってしまった盧笙への配慮だろう。
今のうちに片付けを済ませてしまおうかと食器をまとめていると、盧笙がじいとこちらに視線を送っていた。
「なに?」
「名前、アイツのこと好きなん?」
小学生らしからぬ深刻そうな顔をして、しかしまるで小学生のようなことを訊いてくる盧笙に、思わず目を丸くしてしまった。
「えーと……好きやで?」
そう言うと、今度は盧笙が目を瞬かせる。それからほんのわずかに笑みを浮かべたのは、私の気のせいだろうか。
「未来の俺は……名前とアイツの何?」
「ええ?うーん……私と盧笙はずっと変わらへん幼馴染やけど……簓は……」
言ってもいいのだろうか。というか簓、まだ言ってなかったのか。よくここまで付いてきてもらえたなあ。
まあ、元相方なんて言っても、それはそれで不審がられるだけな気もするけど。
「簓は、秘密。本人に訊いてみ」
「俺アイツ知らんねんけど……」
「ここまで連れてきてもらって一緒にご飯食べた仲やん」
笑いながらそう言うと、盧笙は微塵も納得していない様子で、むすと唇を尖らせていた。それから少し考えて、「……でも」と再び口を開く。
「名前が楽しそうでよかった」
「……楽しそう?」
小さな頭がこくんと頷く。
「なんとなく、名前はずっと俺と一緒におるんかなって思っとったから」
「一緒におるよ?」
「そういう意味やなくてやな……」
きょとんとしながらそう返すと、盧笙は困ったように笑った。大人の盧笙と同じ顔。少し呆れているときの笑い方だ。
それから「……俺の知ってる名前やないから言うけど」と不思議な前置きをして、
「俺以外の男と名前が一緒におるの、想像できひんかった……正直まだ今もピンと来てへん」
神妙な様子の盧笙に対し、私は、はあ、と間抜けな声を漏らす。盧笙は少し赤い顔で私を睨みつけた。
「別に名前のこと好きとかやないけど」
鋭い視線は照れ隠しだったのかもしれない。もそもそとその場で膝を抱える盧笙は、確かに小学生の男の子だった。
「じゃあ嫌い?」
「嫌いなわけっ……」
悪戯心で尋ねると、盧笙はバッと顔を上げて、しかしそこにいやらしい笑みを浮かべた性格の悪い大人の姿を確認すると、思いきり冷ややかな視線を送ってから再び俯いた。
「……なんか、安心したけど、ちょっと寂しい」
ぽつりと吐き出されたその言葉に、私は思わずぱちぱちと目を瞬かせた。
背中を丸め、なんだかいっそう小さくなってしまった気がする盧笙の頭をぽんぽんと撫でる。
「大丈夫やで、私ら、ずっと三人でおるから」
「それはそれで俺の立場どないやねん」
「簓も私とおんなじぐらい盧笙のこと好きやで」
「は……?」
わけが分からないという気持ちを前面に押し出して、訝しげな表情で盧笙は私を見た。俺、アイツとどういう関係なん、と顔に書いてある。そんなに気になるなら本人に訊けばいいのに。
そんな話をしていると、噂をすればなんとやらで、通話を終えたらしい簓が戻ってきた。
「ただいまぁ」
「おかえり、零さんなんて?」
「実物見てへんから分からへんけど、そういう効果の強いマイクはあんま長続きせえへんから、今夜中には元に戻るんちゃうかーって」
どっこいしょういち、とすっかり聞き慣れてしまった台詞とともに腰を下ろすと、簓はじいと盧笙を見つめる。
「まーだこっちのほうが可愛げあるから戻らんでもええけど」
「ええわけないやろ」
「ま、でも小学生とは漫才できひんやろから戻ってもらわんとなあ」
「漫才じゃなくてディビジョンバトルの心配を……あ」
ふと視線を感じて言葉を止めると、盧笙が目を丸くしてこちらを見ていた。
「漫才?」
簓も「あ」と言って掌で口を塞いでいたがもう遅い。やっぱり、一応隠していたのだろうか。
「俺、芸人やってるん?」
「いや、」
「せやで!」
今は、と否定しようとする私の声をかき消すように、簓が元気よく答えた。それを聞くと、盧笙は少し考えこんだあと、ふっと顔を綻ばせて、
「なんでそんなことなるんか分からへんけど、楽しそうやな」
何も知らず、あんまり嬉しそうに言うものだから、私も簓も言葉に詰まってしまった。
そうして俯いた顔を上げると、そこにはもう、小さな盧笙の姿はなくて。
「あ……盧笙、戻った」
「え!戻る瞬間見逃した!」
私がぽつりと呟くと、簓はそんなことを言う。努めて明るく振舞ったのはバレバレだ。
「何やこれ、服キツ」
「戻って一言目がそれか!」
どこまで状況を把握しているのか、盧笙はそこまで焦る様子もなく、髪をかきあげ頭を振った。さっきまでとは打って変わって、腕を曲げて突っ張った布の縫い目からは悲鳴が聞こえそうだ。
「盧笙、大丈夫?どっか変なとことか痛いとこない?」
「ん?痛いとこはないけど……そういえば簓と変なやつらに絡まれたあとの記憶ないな……」
まさか簓がここまで運んできたんか、と目を丸くする盧笙が、嘘をついているようには見えない。おもんな、とデリカシーの欠片もない簓の頭を軽く叩いてから盧笙と向き合った。
「盧笙、違法マイクで
小っちゃなってたやん」
「……え?
小っちゃ……?」
「ホンマに覚えてないんや……」
「ま、何もなくてよかったやん、零にも連絡しといたろ」
そう言うと簓はピチピチのTシャツを着た盧笙にスマホを向けた。盧笙が不思議そうに顔を上げると、カシャ、とカメラアプリの音がする。
「なっ、こんな格好撮んなや!」
「戻ったで〜っと」
「送んな!」
顔を真っ赤にした盧笙が慌てて立ち上がってスマホを奪い取るも、後の祭りだったようで。楽しそうにケラケラと笑う簓に対し、思い切り肩を落とす盧笙に「まあまあ……」と声を掛けた。
「とりあえず着替えよ、洗面所に元の服置いてあるから」
立ち上がって盧笙の背中を押そうとすると、盧笙はぱっと振り返る。
それから少し口をもごもごさせたあと「俺、何か変なことせえへんかったか……?」と尋ねてきた。
「してたら今ごろ簓が黙ってへんよ」
「……確かに」
「でも久しぶりに見た
小っちゃい盧笙可愛かった」
「あー、クソ……庇うんやなかった……」
また頬を朱に染めながら、盧笙は顔を背け、とぼとぼと洗面所へ向かって歩いて行った。
……こうなるって分かってたとしても助けてまうくせに。丸まった背中を見ながら、つい笑いそうになった。
「さすがに今回はちゃんとお礼せなアカンなぁ……あ、こないだテレビで見てめっちゃ欲しそうにしてたお取り寄せプリン頼もか」
零さんへの連絡が終わったらしい簓が戻ってきて、ひとりごとのように言う。
「そんなヤバい人らに絡まれたん?」
「いや、絡んできたんは大したことなかったけど……」
なんか、ええ夢見させてもろたし、と呟いた簓の表情は、嬉しそうなのと同じくらい寂しそうだった。
「……じゃあ私もお礼せんとアカンなぁ」
「よし、じゃあプリンふたりで割り勘しよ」
「それはひとりで払って」
「なんでや」
さっそく通販の画面を開きながらこちらへすり寄ってきた簓からするりと逃れると、着替えを終えたらしい盧笙が戻ってくる。
「あ、盧笙、簓が今日のお礼にプリンお取り寄せしてヒルトンのスイーツビュッフェ連れて行ってくれるんやって」
「待て二つ目のやつ知らん」
「そんなんじゃ足らんわ」
「足らんか!?」
慌てふためく簓に、盧笙とふたりで笑い声を上げた。
確かに、ふたりで漫才するって話であんなに穏やかに微笑む盧笙は、きっともう見られないし、簓が「ええ夢」って言いたくなるのも分かるけど。私はこうして今も盧笙と一緒にいて、更に簓も加わって楽しくやっているのだと、小さな盧笙に伝えられてよかったと思った。
……まあ、当の本人は何も覚えてないみたいだけれども。