結論から言うと、盧笙の心配は杞憂に終わった。
朝になり目を覚ますと、俺が抱き枕にしていたはずの小さな名前の姿はなく、布団から顔だけ動かして見回せば、盧笙のスウェットを借りた名前が部屋の隅で丸くなっていた。
「名前、元戻ったん……」
眠い目をこすりつつ声を掛けると、名前はビクッと肩を震わせてから、おそるおそる振り返った。
「元戻った、って、私やっぱり」
「めっちゃ可愛かったでぇ」
「うわ……」
どんよりした空気を纏い膝を抱える名前のリアクションを見るに、やはり記憶はないらしい。よく見れば近くには綺麗に畳まれた昨日のパジャマがあって、おそらくそれで何があったか察したのだろう。
名前は少しだけ顔を上げて、俺と未だ呑気に眠っている盧笙に目をやると「ふたりは大丈夫やったん」と訊いてくる。
「あぁ、まさか名前が飛び込んでくるとは思わんかったけど」
「……無事ならよかった」
自分も散々な目に遭ったくせにそうやって人の心配ができるのは名前のよさではあるけれど、俺としてはもっと自分を大切にしてほしいものだ。
「……私、変なこと言うたりせんかった?」
「大きくなったら俺と結婚するって言うてた」
「絶対嘘やん」
嘘ちゃうし。ちょっと脚色はしたけど。
「あとさ、そこに掛かってるえらい可愛い服、着せたん?」
そう言って名前が指差すのは、残念ながら日の目を見ることはなかった、例のピンクのワンピース。
「今日着せよう思ってたのに名前元戻ってもうたな」
「残念そうに言うな……でもわざわざ買うてきてくれたんや」
「こないだの盧笙より小いちゃなってもうたから着るもんなかってん」
俺が答えると、名前は興味なさそうに、ふうん、と呟いただけだった。いや、興味ないんかい、と思うと同時に、そんなそっけない態度がなんとなく愛おしくもなる。
もそもそと起き上がって手招きをすると、名前は不思議そうにしながらも近付いてくる。元に戻ったといっても俺と比べればずっと小さな身体をぎゅうと抱き締めれば、「……なに?」と訝しげにこちらを見上げた。
「何もなくてよかったなぁ、思て」
「盧笙のときも何もなかったやん」
「盧笙と名前じゃ全然話がちゃうやろ!自分マイクなんか普段使わへんのに」
「ごめんな、雑魚が出しゃばって」
「そんなこと言うてへんやろ」
ぐり、と俺の胸に額を押し付ける名前の頭をぽんぽんと撫でてやれば、不意に背後からもうひとつの声が聞こえてくる。
「……朝っぱらから人んちで何しとんねん」
名前が反応して俺の肩越しに「盧笙、おはよ」と声を掛ける。ここにいる誰ひとり、羞恥心というものはないのか。
「名前、元戻ったんやな……大丈夫なん?」
「めっちゃ元気やで、何も覚えてないけど」
「あ。なあ、盧笙、名前俺と結婚するって言うたよなぁ」
「まだ言うてんの?」
名前を解放して振り返り尋ねると、盧笙は起き抜けにそんな質問をされたことに少し不満げではあったが、「言うたっちゃ言うた……」と正直に答える。さすが盧笙や。
「ホンマに言うたん!?」
「いや、厳密には……、とりあえず起きてええか?」
「あ、うん、ご飯しよか」
気怠そうに布団から出てくる盧笙を見て、名前がぱっと立ち上がった。それから当然のように勝手知ったる躑躅森家の台所へ向かう。
「昨日まで赤ちゃんやったのになぁ」
「アホなこと言うてんとおまえも動け」
言いながら叩き付けられた掛け布団に視界を塞がれる。渋々立ち上がって布団を畳みはじめると、盧笙がほっと小さく息を吐く音が聞こえた。
「……どないしたん?」
「いや……無事でよかったなと思って」
先ほどの俺と全く同じことを言う盧笙に思わず笑い声を漏らすと、盧笙は少しむっとした様子だったので慌てて弁解する。
「俺もさっきおんなじこと言うてん」
「……そうか」
「もうあんな危険な目遭わせへんので、許してくださいお義父さん」
「誰がお義父さんやねん」
そそくさと正座をして言えば、盧笙の平手がぺちんと俺の額を襲った。
「今回は俺も一緒におったから責任あるけど……ホンマ、もう巻き込まんようにせんとな」
それは、守ってやるのはもちろん、名前がむやみやたらに飛び込んでこないよう教育する必要もあるんだろうな、と思うと苦笑するしかなかった。
俺たちの気持ちなどまるで知らない名前が「玉子半熟がいい人ー!」と楽しそうに声を掛けてくるのが、かつてなく愛おしい朝だった。