空になったビールの缶がローテーブルの上にいくつも並んでいる。また一本、空いたそれをコンと音を立てて置くと、すっかり出来上がった盧笙は、ヘらと笑い出す。
盧笙の家で宅飲みをするのはいつものことだが、今日は少し特別なのだ。小規模とはいえ漫才の大会で見事に賞を取り逃した、ヤケ酒をふたりして呷っているのだから。
「何ひとりで笑っとんねん」
いつもはわいわいと盛り上がるのに、今日は無言で。俺は昼間の反省や後悔で悶々としていたのに、何やコイツは、と思ってしまった。
そんな俺の内心など露知らず、三角座りの盧笙は、じっと見つめていた自分の膝を指差す。
「……何や」
高校のジャージを部屋着にしているそれには、一度破れた跡がある。当て布をして綺麗に縫われているが、それが一体どうしたというのか。すると盧笙は急に誇らしげな、いわゆるドヤ顔というやつになり、
「これな、名前が縫った」
それだけ言うと、盧笙は満足そうに笑みを浮かべる。俺は「……なっ、」と声を震わせて、
「お、おまえなぁ!人がこんなナーバスなっとるときに!何やその、その、マウント取ってくるやつ……!」
いや、俺が言っていることも「何や」という感じなのだが、酒が回りきっているのだから仕方ない。思ったことがそのまま口を衝いてしまうのだ。盧笙だってそうだから、突然こんなことを言い出したのだろう。おあいこだ。
「ええやろ」
「ええな!めちゃくちゃ羨ましいわ!」
アルコールで頬を赤く染めながら、盧笙はニヨニヨと笑う。俺もまた正直に嫉妬心を露わにする。今、この部屋にツッコミはいない。
「酷いわ、盧笙、俺は幼馴染のおまえと名前が過ごしてきた時間、絶対に埋められへんくて、でも俺が名前と会えたんはおまえのおかげで、ずっとモヤモヤしとるのに、おまえはすぐそういうことを言う」
「んなこと言うけどな、簓、これから名前の隣に立つんは俺やなくておまえや、二十年近く、ずっと俺の役目やったのに、でもな、俺はおまえやったらええと思ったから、ここまで協力したったんや」
ふたりの間に一瞬、穏やかで、キラキラした時間が流れた――かのように見えた。
「いや、おまえようそんな恥ずかしいこと言えんな、飲んだ酒全部出てくるか
思たわ」
「おまえこそ、ええかげん名前離れせんかい」
先程の青臭い会話は嘘のように、今度はバチバチと火花が散る。酔っ払いの導火線は、それはもう短かった。
それから名前とはまるで関係のないことまで、日頃の文句をギャーギャー言い合いつつ、俺はまたちらりと盧笙の膝の縫い目に視線を落とした。
* * *
「……ていうことがあってな、俺も今度ネタで舞台スライディングして両膝破ってきてええ?」
「何もよくないわ、進んで破くな」
喫茶店でティーカップを傾ける名前に言うと、冷ややかな視線とともにそう返された。
「ふたりして何の
話してんの」
「盧笙が急に自慢してきてん」
「はぁ……よう覚えてんなぁ」
呆れたように言いながらも、名前は少し優しい顔をしていた。きっと本人も気付いていないのだろうが、出会ってからずっと名前を見つめ続けた俺には一目瞭然だ。
「名前が裁縫できるなんて知らんかったし、俺も破れたジャージ縫うてほしいし、盧笙ばっかりずるい」
「何やそれ」
その言葉は紛れもない本心だったのだが、ふふ、と名前が笑い声を漏らすとどうでもよくなってしまった。ウケたならもうそれだけでいい。
「破れてもうたんならいくらでも縫うたるけど、わざと破いてきたら知らんからな」
「努力するわ」
「何をや」
苦笑いする名前を見ながら咥えていたストローを吸っても、ずず、と音が鳴るだけでメロンソーダは出てこなかった。名前は「そろそろ行こか」と言って残りの紅茶を一気に呷る。
会計を済ませて、ミナミの街を歩いていると、名前は唐突に「あ、」と声を上げる。
「ほんなら、今度マフラーでも編んだろか」
それが先程の会話の続きだと気付くのに少し遅れて、きょとんとする俺に名前は「……いらん?」と悲しそうな顔をする。
「いっ、いる!いる!」
俺が慌てて答えると、名前はパァと顔を輝かせた。何故だか俺よりずっと嬉しそうだった。
「ジャージの穴塞ぐより、よっぽど時間も手間も掛かってるやろ」
その間ずっと、簓のこと考えてるんやで、なんて、そんな殺し文句、一体どこで覚えてくるのか。
名前、と呼び掛けると、ん?と言ってこちらを見上げる。
「俺、名前のこともっと知りたいわ、何が好きなんかとか、何が得意なんかとか、全然知らん」
そう言うと名前は、一瞬ぽかんとしたあと、いたずらっぽく笑う。
「ホンマに?」
「え?」
「少なくとも、好きなんは分かってるやろ」
言いながら、繋いだ手にぎゅっと力を込められて、思わずその場で抱き締めようとしたら全力で拒否された。