水曜日 : 諏訪に出会う


昨日の嵐山のおかげで寝不足気味だった体調も回復に向かっている気がするが、どれほど寝たとしても眠いものは眠くて、起きた瞬間の気怠さは変わらない。

キッチンの引き出しの奥に手を入れてライターを取り出すと、それをポケットにしまって、いつも通りの普段着に薄手のジャケットを羽織り、外に出た。

早朝特有の風を感じながら真っ直ぐ目的地に歩く。3つ目の路地を曲がって、公園を抜け、さらに奥、過去の記憶を頼りに歩いてみたが、無事に小さなたばこ屋に着いた。

相変わらず朝早くから店先のカウンターの内側に座っているおばあさんは真っ直ぐ前を向いて、朝の三門市を眺めている。

「おはようございます」
「おはよう。随分とまあ久しぶりだこと」
「覚えていてくださったのですか?」
「ご贔屓にしてくれたお客の顔は忘れないよ。どうしたの?」
「また1本吸いたくなったので、つい」
「やめるって言ったのは3年も前じゃない。顔色も優れないしやめなさい」
「たばこ屋が禁煙勧めてどうするんですか。まだ置いてます?」
「はいはい、1箱だけだよ」

すっと差し出された箱を見て少しだけ懐かしさがこみ上げてくる。

大学生だった頃、先輩に勧められて始めた煙草はたった1年でやめたけれど、ストレスがマッハで加速していたあの頃、倍々ゲームのようにタール値は増えていった。蒼也と忍田さんに全力で止められたこともあり1年でやめられたことが何よりの幸いだっただろう。

煙草を片手に本部に戻り、あまり人の来ない喫煙所へと向かう。

普段通らない道だからこそ、いつもより新鮮で、億劫な気持から解放されたような気分になった。

喫煙所のアクリル製の扉を開けて、椅子に座り、1本取り出した煙草に火をつけて吹かす。

「吹かすって言うのはおじさんくさい」と昔言われたことがあるな、と思いながら、喉にクッとくるこの感じを楽しんでいると、扉が開いて涼しい風が舞い込んだ。

「甘い……って、あれ?藤宮さん煙草ですか?」
「おー、諏訪か。俺が吸ってるのは忍田さんと蒼也に内緒な」
「いいですけど、それアークロイヤルですか?」
「そうだよ」
「藤宮さん煙草吸ってましたっけ?」
「いや、3年ぶりくらい」
「よくそれで18ミリなんて吸えますね」
「けっこうキツイ。でもうまい」
「うわぁ」
「なんだよその声」

ははは、と乾いた笑い声を出す藤宮の手元を覗き込むと吸い殻が3本。喫煙室にはバニラの甘い香りが充満している。

諏訪も自分の煙草を取り出して吸い始めた。

互いに何かを話すこともなく、煙草を吸う息遣いだけが聞こえるこの空間で、諏訪が2本目の煙草を吸い終わり、藤宮が5本目の煙草に火をつけて30秒程経った頃、諏訪が隣に目線を向けると、藤宮がすやすやと寝息をたてて眠っていた。

「おいおい、まじかよ」

まだまだ長い煙草が指に挟まれ小さく揺れている。

火傷をしては危ないのでそっと藤宮の指から煙草を抜き取り灰皿に押さえつけようとしたが、バニラの甘い香りにひかれてそっと口に咥えてみた。

「あっま」

普段口にしない味だったからか、この場の空気よりもより甘ったるい気がする。

「あ、これ間接キスとかいうやつか」

口に出した途端に恥ずかしさがこみ上げてきた。女でもあるまいし、気にすることはないと思ったが、隣に目を向けた瞬間に藤宮さんの長いまつげが目に映り、どきりと心臓が跳ねる。

落ち着かせようと深く息を吸っても、喫煙室に充満した甘い香りが肺に入り、目を反らそうと頭を抱えて下を向いても、まぶたの裏に焼き付いてしまったのか、眠る藤宮さんの顔が浮かんでしまい、より強く藤宮さんの存在を意識してしまう羽目になった。

意識しないようにすればするほど深く意識してしまって、どんどんと引き込まれる。このままではどうにもならないと思い、藤宮さんを起こしてしまおうかと思った時だった。

コンコン。

喫煙室のアクリルの壁を叩く音がして顔を上げると風間が怒った顔をしてこちらを見ている。

そのまま扉を開けて大股で歩いてくる風間に同い年ながら少しビビりつつ、藤宮さんの肩を叩いた。

「ん? あ、俺寝てた?」
「藤宮さん、俺じゃなくてあっち」

寝ぼけ[まなこ]の藤宮さんの背中の方向を指さすと藤宮さんがゆっくりと振り返り、風間を視界に入れた瞬間、肩が跳ねた。

「……蒼也、どうしてここに?」
「藤宮さんを探しながら、まさかと思ってここに来たら正解でした。この甘ったるい香りは二度と嗅がないと思っていましたが、言い訳なら聞きますよ」
「言い訳って……、3年ぶりだから許して欲しい」
「ダメです。藤宮さん死にたいんですか?」
「こんなんで死なないから」
「さあどうですかね。とりあえず昼食食べましょう」
「えー、食欲ない」
「拒否権はありません。俺が一緒に食べたいから付いてきてください」

食堂に向って歩く風間の後ろをついて行く藤宮さんを見ながら、俺は新しい煙草に火を付ける。

あ、藤宮さんが振り返って俺に向って手を振ってくれた。お大事に、の気持を込めて上げた右手の意味に藤宮さんは気づいてくれただろうか。

20160102
2013/12/25 水曜日 のできごと。(諸説考察あり)
私は煙草を吸ったことがないので、間違い等がありましたら教えてください。



夜の鷹
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