シリウスナイト

男主と二宮。倖成さんからいただきました。掲載許可を頂いております。

新月。月明かりもなく人気もないこの警戒区域は闇に包まれていて、遠くから、おそらくは近界民に対処しているであろう鈍い戦闘音が聞こえる。小さくその破壊音を聞きながらふと通りがかった公園に目を向けると、ドーム型の遊具の上に黒い人影を見つけた。

「ここで何をしている」

一般人の警戒区域への立ち入りは禁じられている、しかもここは市街地近くではなく本部とのほぼ中間地点にある場所だ。仮に一般人なら保護しなければならない。
ゆっくりとその人影に近づき返事を待つと、その黒い影は息を吐いた。

「何って、星を見てたんだよ。ていうか二宮、声怖いよ?」
「……藤宮さん?」

聞き覚えのある声に、脳裏によみがえった姿の主を呼んでみる。「ぴんぽーん」とどこか気の抜けた、楽しそうな声に思わずため息がこぼれた。

「何してるんですか、こんな時間に……今日は非番だったのでは?」
「いやだから星を見てたんだって。ほら、ここって周りに明かりがないからよく見えるんだよ」

ふい、と上を見上げた影につられて俺も空を見る。めったに空など見上げる事がないが、なるほど、これは綺麗だと満点の星空に見入ってしまった。

「あがってくれば?こっちのほうがよく見えるよ」
「いえ、俺はもう帰るところですので」
「そう?じゃ、お疲れ様」

意外とあっさり手放されてしまい、それはそれで何か癪に障る。こちらを振り向くことのない影にイラつきながら、遊具に近づき上に登る手段を探す。ざりざりと鳴る地面の音で去る気のない俺に気づいたのだろう。藤宮さんが小さく笑った気配がした。
ずいぶんと目は慣れてきたが、月明かりもなく街灯もない夜の街は、生身にはあまりにも暗過ぎて手探りするしかない。

「こっち」

上から降ってくる声にそちらを向くと、暗闇の中手を伸ばされているのがわかった。
一度それを掴むか戸惑ったが、そう高さもない遊具に登るにはこれが手っ取り早いだろうと藤宮さんの手を掴む。力強く引き上げられるのと同時に、足を壁に伝わせると、思ったよりも容易に上ることができた。

「ありがとうございます」
「どういたしまして」

成人した男二人が居座るには少し狭いが、ここなら暗くても藤宮さんの顔が先ほどよりは見える。座ったままの彼のぼんやりと浮かぶ輪郭は、俺の想像も入っているのだろうか、いつもよりほんの少し儚げに見えた。

「冬の空ってさ、澄んでて星がよく見えるよね」
「そうですね。空気が乾燥していて大気中の水蒸気が少ないので、空が澄んで見えるんでしょう」
「まあね。あとほら、一等星は多いし」
「……一等星」

たしか他よりも強く輝く星だったか。知識はあってもどれが一等星で何が二等星だのは区別があまりつかない。夜空に浮かぶ星の明かりはたしかに強弱はあるが、藤宮さんにはそれが鮮明にわかるのだろうか。
目を細めて星を見つめる俺に、藤宮さんは笑いながら座るよう言った。遊具に腰を下ろすと外気に晒されたコンクリートの冷たさが直に伝わり、僅かながらに不快だ。

「二宮ってあんまり星に詳しくない?」
「まあ……というより、普通の人間ならそう詳しくもないと思うのですが」
「そうだな、星とか好きな人じゃないと知らないか」
「藤宮さんは、夜空が好きですよね」
「えっ、そうだけど…俺そんなの二宮に言ったっけ?」

自分の失言に思わず心の中で舌打ちをする。趣味だの好みだの、そういった類の話は俺自身は藤宮さん本人とはあまりしていない。というよりも、俺が彼のそういった話を聞き出す術を持ち合わせていない、俺が知っている藤宮さんの情報のほとんどは犬飼や人伝に聞いた話なのだ。
彼との距離感と、近づきたくても近づけない自分自身の不甲斐なさに腹が立つ。

(貴方のことが知りたかったと、そう伝えればこの人は困るだろうか)

だがそう思ったところで伝えることはできないのだろう。おそらく、伝えてもこの心情は察してもらえない、俺自身でさえもきちんと把握できているわけでもないのだから。もっと知りたい、けれど知ってしまったらおそらくは後戻りはできない。そのくせ無関心でいられるわけもない。彼に対して、俺はどうありたいのだろう。尊敬と、それからもっと別の感情が渦巻いているようで、その正体をまだ掴むことはできない。

黙ってしまった俺を不思議に思ったのか、彼は困ったように微笑んだ気がした。ただそれはあまり好ましくなく、冷静を装い話を続ける。

「昔、言いましたよ」
「あれ、そうだっけ」
「東さんに話しているのを聞いていた、という方が正しいですけど」
「あー東さんか。そんなこと話したような気もするな」

東さんには話すのか、と自分で聞いておきながらなぜか軽く落ち込んでしまう。空気と腰から伝わるコンクリートの温度も相まって、どこか腹の底が冷える気がした。

「なあ二宮」

不意にかけられた声に視線を星空から藤宮さんに移すとその目は俺を見ておらず、夜空に向けられていた。

「冬のダイヤモンドって知ってるか?」
「……ダイヤモンドですか?大三角ではなく?」
「それもあるけどな。冬の空にはダイヤモンドがあるんだよ」

つ、と藤宮さんの腕が上がり、そのしなやかな指が星空をなぞりはじめる。

「あそこに一番光ってる星があるだろ?」
「はい」
「あれがシリウス。それから斜めに辿っていくと、白く光ってるのがリゲル」
「……どれですか?」

ゆっくりと、おそらくは俺がわかりやすいように指をさしてくれているのだが、この満点の星空で指し示されたその先を見つめても、無数の星からその一つを見つけることはたやすくない。かろうじてシリウスと呼ばれた青白く光る星は見つけたものの、そこからどう辿ればリゲルとやらに辿りつくのか。白い星など、それこそ何千何億とあるのに。

「あそこの……ああ、ちょっと待ってろ」

よっこらせ、と重い腰を上げて藤宮さんは俺の背後に回った。

「藤宮さん?」

そのまま背後から俺を抱きしめるような形で体重を預けられる。背中から聞こえる服同士の擦れる音と、かけられた体重の重さでその感覚は余計に現実味を帯びて俺の脳内に響いてくる。
耳にかかる彼の吐息と、さらりとした髪の感覚が妙にくすぐったい。

「こっちの方がわかるだろ?俺が指さすとこ見てみ」

先ほどと同じように、彼の指が夜空に向けられる。

「あれがシリウスな。あの周りより強く光ってるやつ。色は青白い感じの」
「はい、わかります」
「そこから右に辿るぞ、この先にオリオン座があるのはわかるか?」
「それくらいなら」
「オリオン座の三つ並んだ星の先。その下に、他より少し明るい白い星があるのは?」
「……ああ、わかりました。あれがリゲルですね」
「そうそう」

楽しそうに声を弾ませて、藤宮さんはその指を夜空へと滑らせていく。
アルデバラン、カペラ、ポルックスと、あまり馴染みのない星の名をつらつらとあげられる。月明かりがなく、彼の顔が見えないのは残念ではあったが、これはこれでよかったのかもしれない。普段月明かりによってかき消されてしまう小さな星々の光を、この俺の肉眼でも確認できる。それは、普段藤宮さんが見えている視界を共有しているようで、俺にほんの少し優越感を与えた。

「で、プロキオン。あの白っぽい星、そこから初めのシリウスに繋いで、冬のダイヤモンドの完成」
「なるほど。大きな六角形になるんですね」
「そういうこと!あ、ちなみにさっきのプロキオン、シリウスからオリオン座の赤っぽい星……ベテルギウスに繋ぐと、二宮が言ってた冬の大三角」

ダイヤモンドの内面に浮かびあがる小さな三角形を、藤宮さんはその指で何度もなぞった。

「藤宮さん、よくご存じですね」
「まあな。夜空を眺めるのは、多かったから」

そう言ったきり、静かになった彼をそっと横目で盗み見る。
視線はまっすぐ夜空に向けられたまま、どこか遠い、手の届かない何かを見ているようだ。その視線は、手の届く距離にいたとして、俺には決して向けられる事はないのだと、そう告げられているようで鼻の奥が痛む。空気が冷たいせいだ、そう自分を納得させてこちらをみない彼の横顔を眺めた。
あまり日に焼けていないその横顔は、この近距離ならば暗闇でもはっきりと見える。上を見上げる瞳は夜空に浮かぶ星屑を散りばめたように、水面に映る蛍火のように、ゆらり、ゆらりと揺れている。闇夜に浮かび上がるその色が俺の瞳を真正面から捉えた時、心臓の音が強く響いた。

「なに見てるんだよ」

イタズラめいた顔で笑う藤宮さんの目は、数センチで触れる距離にある俺を見ていて、ああ、やっと見てくれた、と謎の高揚感で胸が満たされる。背中に伝わる心臓の音よりも自分の心臓の方がずっとうるさい。厚手のコートでよかった、中に着ているジャケットが鼓動に合わせて揺れている。こんなもの、暗闇など関係ない彼に見られればからかわれるに決まっているだろう。

「綺麗だな、と思いまして」
「ああ、今日は星がよく見えて綺麗だな」
「星もそうですが。そうではなく、貴方がです」
「……ん?」
「藤宮さんが綺麗だと、そう言いました」

顔色を変えずにそう告げると、頬にあたる彼の吐息が途端に熱を帯びたように感じた。

「照れていますか?」
「うるさい」
「珍しいですね」
「いや照れてないから!」
「綺麗です」
「おま、ばっか!やめろ!」

藤宮さんが立ちあがった途端に、背中に触れていたぬくもりが一気に外気に触れて抜け落ちていく。もったいないと、その熱を求めて同じように立ち上がった。
この闇の中でも淡く揺らめく二つの瞳を捕らえるのは、幾億の星から一つを見つけるのよりもずっと簡単で、そして難しい。掴んだ彼の手は、僅かに汗ばんでいる。

「恥ずかしい奴」
「事実を伝えたまでです」
「だから!それが恥ずかしいっつってんの」

どんどん小さくなる声を聞き逃さぬよう、顔を近づけた。

「近いぞ二宮」
「そうですか」
「もっと離れろ」
「いやだ、と言ったらどうしますか?」
「殴る。もしくは蹴る」
「……まあ、夜だと圧倒的に藤宮さんの方が有利ですね」

昼間だったとしても、肉体での戦闘となれば俺が不利なことに変わりはないだろう。しかし、たとえ夜だとしても、まるで昼間のようによく見えるのだと、以前誰かから聞いた気がする。そんな情報でさえも、人からの伝え聞きかと自分自身に情けなくなりながら、何か彼から直接教えてほしいと思う。他人からではなく、自分に向けて、藤宮さんの持つものを教え、分けてほしいと。

「藤宮さんの星は、ないんですか」
「は?俺の星?」
「かぎ座でしたよね。冬の空には、見えないんでしょうか」
「ああ、星座のことな」

彼は一度空を見上げ、小さく息をついた。

「かぎ座は秋の星座だからな。この時期だと見えないかな」
「……そうですか」
「見たかった?」
「ええ、少し」
「なら見るか」

あっけらかんと言い放たれた言葉の意味が理解できず、こちらを向きなおした藤宮さんをじっと見つめてしまう。

「秋になったら見るか、一緒に。その時に教えてやるよ」
「秋、ですか」
「ああ。もし二宮がいいなら、春とか、夏とか。季節が変わるたびに一緒に星空眺めたいかな」
「っ、それは」

それは、次の季節も、こうやって一緒に星を見てくれるということですか、の言葉が喉で詰まりただの空気になって漏れる。遠くに聞こえていた戦闘音はいつの間にか消えていて、今は俺と藤宮さんの呼吸の音、そして自身の心臓の音しか聞こえない。

「来年もさ、一緒に見よう」

何でもないように話す彼に、未来に対しての期待と若干の苛立ちを覚えてはいるものの、上がる口の端を誤魔化すので精一杯だ。

「ええ、ぜひ」

僅かに上ずった俺の声に、藤宮さんはその目を半月のように緩ませて微笑んだ。

20160202
倖成さん!本当にありがとうございます!藤宮をとてもイキイキと、関係性を深く考察された書き方で書いてくださりまして、本当にありがとうございます!
二宮との掛け合い、東さんとの信頼関係、こんなにも愛され、読んでいただけ、さらには書いていただけまして、とても光栄です。素晴らしい作品をありがとうございます。感謝感激です。



夜の鷹 番外編
4/6