土曜日:二宮は考える


あれからかなりの時間寝ていた藤宮が翌日の朝、ゆっくりと目覚めた。

薄暗くされている病室で、綺麗な緑色の瞳が輝く。

二宮が顔を近づけ顔色を窺うと、少しだけ泳ぎ焦点もあまり合っていなかった目が、二宮を視界に入れ、ゆっくりと細めて微笑むその表情に安堵した。

「おはよう。どうしたの?」
「はぁ、『どうしたの?』じゃありませんよ」
「あれ? 二宮怒ってる?」
「怒ってません」

上体を起こそうと腕と腹に力を入れた藤宮がバランスを崩して、背中からポスン、と力なくベッドに沈む。

「まったく、何をしてるのかしら」

突然二宮の背後から聞こえてきた声にふたりが視線を向けると、小南桐絵が立っていた。

おそらく寝ていることを危惧してゆっくりと入ってきたのだろう。

小南がそのまま大きく右足を前に出そうとした時、藤宮が慌てて飛び起きて声を荒げた。

「小南! 風邪移っちゃうからそこでストップ!」
「えっ、」
「折角来てくれたのに申し訳ないけど、小南に風邪を移したくないんだ。ごめんね」

急に飛び起きたせいで気分が悪くなったのか、大きく咳き込み涙目になっている藤宮を見てオロオロした小南は、二宮の左腕を乱雑に掴んで椅子から引っ張りあげた。

「藤宮さん、ちょっと二宮さん借りるね。何かあったら呼んで」
「え、あ、うん。いいよ。いってらっしゃい」

そのままぐいぐいと引っ張る小南の後を二宮が引き摺られるようについて行くと、医務室から少し離れた場所でピタリと止まり、腕が解放された。

「藤宮さんは風邪なの?」
「さぁな。俺にも分からん」
「なんで二宮さんは良くて何であたしはダメなのよ」
「それは本人に聞いてくれ……」

どちらかと言えば二宮は小南が少しだけ羨ましかった。

小南が本部へ来ることは少なかったが、小南と並んで歩いている時の藤宮は、心の底から嬉しそうな顔をしていて、それは他のどの隊員にも向けられていない感情に思える。

藤宮司にとって小南桐絵という存在は、風邪もうつしたくないほどに大切な人間なのだと、今ここで証明されたようなものだ。

「二宮さん、はいこれ」

小南が手渡したのは数字の羅列が書かれた紙だった。

「土曜日だし非番だから、藤宮さんが寝たらそこに電話してもらえないかしら」

疑問系でもないその言い方は、確固たる意思を持っていて、ああ、コイツも同じ気持ちなんだろうな、と納得した。

「仕方ない」
「ありがとう」

スタスタと長い髪を揺らしながら医務室とは反対の方向へ歩みだした小南を見送り、二宮は再び医務室の扉を開けた。

「ああ、二宮くんいいところに」

二宮を出迎えたのは藤宮ではなく医務室に常駐している医師で、手招きをされるままに藤宮の眠っていたベッドへ行くと、藤宮はまたベッドに逆戻りしていた。

「どうしたんですか?」
「いやー、また気分悪くなっちゃったみたいでね」

へらりと笑いながら言う医師には緊張感がなく、ただの疲れだから安心しなさい、とだけ言い残してその場を去ろうとする。

「連絡は」
「城戸司令と忍田本部長にしておいたよ」

視界から見えなくなる直前に医師の背中に向かって声をかけると、振り返ることもなく右手を少し高く上げてひらひらと揺らしながら去っていった。

まだ辛うじて意識があるのか、二宮の気配を感じた藤宮が薄く目を開いた。

「小南は?」
「返しましたよ」
「ありがとう」

横になりながら背中を丸めて手のひらで両目を覆っている藤宮の姿はなんとも滑稽だ。

「目、ですか?」
「こうしてないと目が落ちていきそうで」

そんなことないのにね、と続ける藤宮からは目ではなく渇いた笑いがこぼれ落ちた。

それから数時間後、部屋に帰っても大丈夫だと医師に告げられた藤宮は、二宮に背負われながら本部の自室へと戻る。かっこ悪いなぁ、と呟く藤宮のために、二宮は医務室から拝借したタオルを頭にかけ。人の少ない通路を選んだ。

「まだ目眩がひどくてうまく歩けないんだ。助かった」

背負われ、肩に頭を乗せながら話しかける藤宮の髪と吐息が二宮の首筋を甘く擽る。

部屋につき、布団に寝かされると医務室より落ち着くのかまたぐっすりと眠る藤宮を二宮はじっと見つめた後、携帯電話を取り出してメモに書かれた番号に電話をかける。1コールで出た相手は二宮の名前を聞いた瞬間に用件も聞かず電話を切り、それから5分も待たずに部屋の扉が開いた。

「寝てる?」
「寝てるから安心しろ」

扉の向こうから様子を伺うように顔を覗かせた小南は二宮の返事を聞いて藤宮の側へ駆け寄った。

「あー、良かった」

胸を撫で下ろした小南は藤宮の髪をさらさらととくように撫でる。

その動作が何とも形容しがたい優しさを持っていて、きっと小南は誰も知らない藤宮を知っているのだろうと二宮は痛感する。

「藤宮さんは何なんだ」
「さあ、あたしも分からないけど、とりまるのガイストみたいな感じらしいわね」

ガイスト、と二宮は小さく復唱した。

玉狛の隠し玉[トリガー]の中でもトリオン体のバランスを敢えて崩すことで身体能力を上げるものだと二宮は認識している。

つまりトリオン体のバランスが崩れてる、とでも言いたいのだろうか。

「藤宮さんの目は特別製ね。サイドエフェクトが悪い働きをしてるってうちの技術者が言ってたわ」

藤宮を見ながら小南は話を続ける。

「藤宮さん……、司はね、昔、今では信じられないくらいの引き篭もりだったのよ。それを私が部屋から連れ出した。少し後悔してるわ」
「後悔?」
「そう、後悔。司は頑張りすぎちゃうから」

何故か呼び方を変えた小南は、そっと目を細めて藤宮を見つめると、少しまぶたを震わせた藤宮がゆっくりと目を開いた。

「んー」
「あ、やばっ」
「ん、えっ、小南!? 駄目だって言ったのに!」
「俺が呼んだ」
「……二宮、お前」

薄暗い部屋の中で藤宮の瞳が鋭く、冷たく光る。

「藤宮さん、二宮さんがね、もう風邪治ってるって教えてくれて、だから来たの。気を使ってくれてありがとう」
「小南……」

上体を起こしたまま、手を大きく広げた藤宮の胸へ小南が飛び込む。

愛しそうに小南を抱きしめる藤宮の姿はさながら彼女の父親のようで、藤宮は「小南、ごめんね」と何度も繰り返していた。
20160226
2013/12/28 土曜日 のできごと。(諸説考察あり)



夜の鷹
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