きみの感触を隠す

ゴールデンウィークに入った翌日、朝からの防衛任務を終え、犬飼先輩に誘われて一緒に昼食をとっている時だった。

「ねぇ辻ちゃん」
「なんですか」
「綾瀬夏希ちゃん、分かるよね?」

驚いた。犬飼先輩から綾瀬さんの名前が出てくるとは思わなかった。知り合いだったのだろうか。しかしちゃん付けなところが少々癪に触る。今に始まったことではないが、なぜこうも分け隔てなく社交的になれるのかは甚だ疑問だ。

「どうかしましたか?」
「いやぁ、昨日俺、お金借りちゃってさ」

そう続ける犬飼先輩はいつもより真剣な顔をして話を続けた。

昨日は非番だったが、昼から本部にいた先輩は息抜きのついでに目当ての雑誌を買いに本屋へ行き、レジに雑誌を置いたところでようやく財布を含めて荷物を全て作戦室に置いたままだったことに気づいたらしい。

慌てて本を返しに引き返そうとしたところで後ろから文庫本一冊とお札が数枚、レジの置かれた台に追加され、

『一緒で』

そう言った綾瀬さんが先輩の雑誌ごとまとめて買い取った。

それに驚いた先輩が、お礼を兼ねて綾瀬さんの名前を聞き出し、俺と同い年に気づいたそうだ。

「お金返すって言っても『大丈夫です』って言うんだよ! しかも逃げるようにどこか行っちゃうし! なんでだと思う?」
「俺に言われても……」

正直に言えば分からない。雑誌が安かったのだろうか。雑誌と言ってもピンからキリまであるし、一概にお金が要らなかったからとも言えないので、明言は避けたが、きっと返してもらうことすら面倒だと感じただけのような気がする。

目の前でもぐもぐとホットドッグを食べる犬飼先輩は口の端に少しだけケチャップを付けたまま、お金を返す方法が思いつかないか、と尋ねたが、俺が女子と会話できないことは知っているので、これは本当に頼る人が居なくて困っているのだろう。

「俺じゃなくて、奈良坂に頼んだらどうですか? あいつも同じクラスですし、綾瀬さんとも面識があります」
「ええー、でも綾瀬ちゃんが名前を出したの辻ちゃんだったし」
「はい?」
「俺、『ボーダー隊員に知り合いいる?』って聞いたらさ、『もしかして辻くんの先輩ですか?』って言われたんだよ。それで、『同じチーム』って答えた」

なぜそこで俺の名前が出るんだ。どちらかと言えば俺より奈良坂の方が綾瀬さんと話しているし、そもそも俺の先輩だったらなんだって言うんだ。

「あ、」
「今度は何ですか」
「これ綾瀬ちゃんに内緒にしてって言われてたんだった」
「これって今まで先輩が話したこと全部ですか?」
「そう」

増々意味が分からない。

「先輩は隊服で買いに行ったんですか?」
「いや、換装は解いてたよ」

綾瀬さんが俺たちの隊服がスーツだと知っていた線はこれで消えた。

そう言えば先日のふせんもそうだ。体育の授業が体育館で男女合同であることをなぜわざわざ書いて貼っていたのだろう。学校に行けば分かることであるし、先生に頼まれたとも思えない。

分からないことが増えていく。

しかしそれは気分の悪いことではなく、言うなれば何か、柔らかいもので包まれているような、そんな気がするのだ。

「辻ちゃんどう思う?」
「俺には判断できませんし、奈良坂に相談することをおすすめしておきます」
「ケチ」

ホットドッグを食べ終え、紙ナプキンで豪快に口を拭いた犬飼先輩は「奈良坂探してくる」と席を立って三輪隊の作戦室がある場所へと向って歩いて行った。

20151231



特別な黙字をきみに捧ぐ
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