知らないことと知っていること

あれから夏休みになって、俺は本当にボーダーと家を往復する程度しか出かけておらず、それも全て日差しが俺に優しくないせいだと、自問自答を繰り返していた。

ボーダー内は夏休みでもそうでなくても賑わっているが、平日の昼頃にも関わらずランク戦室に人が多いところはまさに夏休み、といったところだ。

「辻ちゃんは今日の夏祭り行くの?」
「はい」
「行かないよねやっぱり……って、え? マジ!?」

個人ランク戦に参加しようとしていたところで犬飼先輩に話しかけられ、素直に返答をしたが、かなり失礼なことを言われた気がする。

「誰と行くの?」
「クラスメイトです」
「へぇ〜、ついて行ってもいい?」
「先輩は友達と一緒に行くと先日言ってましたよね」
「そうだけど、絶対辻ちゃんと行った方が楽しそう」
「俺はお断りします」
「ケチ」

頬を膨らませて抗議する先輩を見ても、それだけで同行を許可するわけもなく、俺の性格を知っている先輩だからこそなかなか折れてくれない。

「どうしてもダメ?」
「はい」

あれやこれやと提案しては俺に一蹴される犬飼先輩は正直に言えば面倒なのだが、それを面倒だと言ってしまえばより面倒なことになるのは目に見えているので黙っておこう。

「じゃあさ! どんなことしたかだけ! 後から教えて!」
「はぁ、それなら」

よし、とガッツポーズをしてまで喜んだ犬飼先輩が何にそこまで喜んでいるのか分からないが、目は三日月のように弧を描いていて、表情が読み取れそうで読み取れない。

その読み取れない顔のまま去ろうとした先輩は、大きな声で「あっ!」と言い、くるりと振り返った。

「辻ちゃん」
「はい」
「女の子の浴衣は褒めなきゃダメだよ」
「何ですか急に」
「なんでも」

そう言い残して去っていく犬飼先輩の足は弾んでいた。

◇◆◇

個人ランク戦を適度に行い、時計を確認してみれば約束の時間の20分前。

慌ててボーダー本部を出て学校近くの公園に向かうと、ブランコに乗り、小さく揺れている人影があった。

「あ、辻くんこんばんは」

人影は綾瀬さんで、右手にわたあめを持ちながら、左手で俺に手を振る。

服装は黒の7分丈パンツに紺のTシャツ。薄手の白い上着を羽織っていて、浴衣ではない。

犬飼先輩、助言は何の役にも立ちませんでした。

「辻くんは焼きそば好き?」

なんと言葉をかけようかと悩んで無言になっている俺を見ながら、綾瀬さんが公園に設置されているベンチを指さした。

ベンチの上には白いハンカチが敷いてあり、さらにその上に焼きそばの入った透明のパックと、中身は分からない白いパックが置いてあるが、はみ出ている爪楊枝と鰹節からおそらくたこ焼きだろう。

「少しは夏祭りの気分が味わえるかな、と思って先に行って買ってきた」

そう言いながらわたあめを齧る綾瀬さんは、ベンチを見つめたまま動かない俺を不思議そうに見つめて少しだけ近づく。

「みんなは」

俺の口から出てきた言葉はそれだけで、とても小さい声だったが、ちゃんと聞き取ってくれた綾瀬さんは眉を下げて申し訳無さそうに声を出した。

「みんなは来ないの。本当の集合場所は校門で、私と辻くんはあとで合流するって伝えてあるんだ」
「どういうことですか?」
「辻くん女の子苦手だよね? それで、この夏祭りもあまり行きたくなさそうだったから、どうしようかと思って勝手に別行動にしてもらいました。騙してごめんなさい」

女子が苦手なことは事実だが、バレていたのかと思うと少し気恥ずかしい。

確かに夏祭りには行きたくなかったが、綾瀬さんがいるから参加したかった。綾瀬さんがいたから、初めてこれほどまでに夏祭りに行こうと思えた。

だから今、これほどまでに嬉しいことはないのだ。

「綾瀬さん」
「なに?」
「一緒に花火見ませんか」

目線を合わせずに誘ってしまったが、伏し目がちに彼女の顔を見ると、目をまんまるとさせてから少し照れたように、「はい」と言ってくれた。

20160307



特別な黙字をきみに捧ぐ
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