夕焼け小焼けの体育館

日が少し傾いた夕刻、キュッキュとシューズが鳴る音がする。烏野高校の門をくぐった篠岡はまっすぐ体育館を目指した。

「失礼しまーす」

戸は開いていたのでそのまま挨拶をしながら顔を覗かせると、その場の動きが一時停止したかのように目線が一斉に篠岡に向けられた。今からサーブを打とうとモーションをかけていた西谷の手からぼとりとボールが落ちた。

まるで幽霊を見たかのように目を大きく開いてから、凄まじい勢いのスタートダッシュで篠岡に向って走りだした西谷はそのままの勢いで思い切り篠岡に飛びついた。

「おあああ! 篠岡先輩!! 篠岡先輩お久しぶりっす!!」

それを軽々と受け止めて体勢を立て直したその姿を西谷以外の部員は驚きの目で見ていた。

「おー西谷は相変わらず元気だなー」
「何でコンサート教えてくれなかったんスか!!」
「え、とりあえずやってみるだけだし、コンクールでもないしなぁ」

青葉城西高校の制服を着た見知ら男子に飛びついたまま話しを続ける西谷に、烏野高校排球部は先程から驚きの顔を戻すことができずに立ち尽くしている。

「はじめまして、青葉城西高校3年の篠岡啓です。よろしくお願いします。あ、そうだ。西谷、スガさんってどなたかな?」
「え、はい! スガさんスガさん!」

篠岡から離れた西谷が菅原を呼ぶと、ぼーっと立ち尽くしていた菅原がビクリと肩を震わせた。

「えーっと、初めまして、この前はメールでお世話になりました」
「あっ、菅原孝支です。メールわかりやすかったです」

お互い頭を少し下げながら挨拶したあと、篠岡はきょろりと辺りを見渡した。それを見た菅原は、ああ、と少しつぶやいてから、武田の居る方向を向いた。

「先生、武田先生、せんせーーーー」

菅原が何度呼んでも色紙とCDとサインペンを握りしめた武田はぴくりとも動かない。

どうしようかと篠岡が西谷を見ると、背中をぐいぐい押され、武田の前に立たされた。声をかけようと篠岡が口を開こうとすると、武田はビクリと身体を震わせてから緊張した面持ちで声を出した。

「はじめまして顧問をしている武田と言います。篠岡さんの演奏は5年前の公演で初めて聴いて以来、ずっと、大ファンでして、お会い出来て光栄です」
「あっ、えっと、篠岡啓です、ありがとうございます」

そっと差し出された色紙一式を受け取った篠岡は「えっと、武田ってこの漢字で合ってますか?サインと武田さんへでいいですかね?サインはないので筆記体で僕の名前を書くだけなんですけど……」としゃがみながら聞くと、それを呆然と見下ろしていた武田は唇を噛み締めて悶ていた。

色紙とCDにサインを書き終わり、サインペンの蓋をキュッと閉めると西谷が男子生徒をひとり連れて側まで来ていた。

「先輩って目上の人には僕って言いますよね〜。めっちゃ王子っぽい」
「西谷、それ二度と言うなよ。そんな顔してねぇだろ。あ、えっと、はじめまして」

篠岡がきつく睨みつけると西谷がビクリと肩を震えさせた。そんなに怖い顔をしていたのだろうかと慌てて顔をもとに戻してから西谷の隣に立っている男子生徒の目を見た。

「はじめまして、田中龍之介です! 姉の為にチケットをいただけるとか! 本当にありがとうございます!」
「ああー、君が西谷が言ってた龍、か。はいこれチケットね。もう席が無かったから関係者席になりましたけど大丈夫ですかって伝えといて。あ、そうだ、そのチケット持ってたら楽屋に行けるし、俺は来ても大丈夫ですってついでに言っておいてくれるかな」
「ええええええええ!」
「え?」
「そんな凄そうなチケットいいんですか!?」
「ああ、関係者誰も来ないし、田中くんのお姉さんは危ない人じゃないだろ?」
「それは大丈夫ッスけど……」
「ならOK! OK! よし、用事は済んだし帰ろうかな」

出口に向かおうと足を向けたところで前に立ちふさがったのは西谷だった。

「先輩!練習付き合ってください!!」
「突き指こわいからやだ」
「そんなこと言ってしたこと無いじゃないっすか。ほらほらー」

篠岡の腕を掴んでグイグイとコートに連れて行こうとする西谷を部員全員が急いで止めに走った。


青城のピアニスト
10/17