音色に呼ばれて

朝、青葉城西高校の一角。防音の第二音楽室から僅かに聴こえてくるピアノの音色に女子生徒がひとり、耳をすましていた。

廊下に人通りもなく静寂の中、読みたい本を一冊持ってこっそりと第二音楽室の隣の音楽準備室に入る。

少しほこりっぽいが、古い楽譜が多く収納されているこの空間はさながら図書館のようで好きだった。

第二音楽室との境にある壁は防音加工されておらず、廊下よりもピアノの音がより鮮明で、綺麗に聴こえる。椅子をそっと移動させて女子生徒の定位置となっている壁越しのピアノに近づき、そっと座って本を開いた。

この曲は『英雄ポロネーズ』だ。

以前聴いた時に気になって、後日私立図書館に補完されているクラシック音楽全集を何時間も聴いて見つけた私のお気に入りのひとつ。

本を一度置いて、ピアノの楽譜が置かれている棚へ向かう。”CHOPIN”と書かれた紙を見て、本の多くから『Polonaise』と書かれた本を手に取る。後ろにも何か書かれているが、生憎外国語は英語しか分からない。

ページを開いて、彼が今弾いている部分を指でなぞると、少しだけ心が踊った。

この時間のこの場所を知ったのは最近。及川先輩の後ろをこっそりとついていたここに辿り着いた。

ピアノを弾いているのは及川先輩と同じクラスの篠岡先輩。

最初は及川先輩を追いかけていたはずなのに、いつの間にかこのピアノに心惹かれていた。もちろん及川先輩も好きなのだけれど、それとは別に、朝はこの場所に来ている。

それにしてもショパンは珍しい。篠岡先輩はドビュッシーが好きだ。

朝にドビュッシーは少し落ち着いているのなと思ってはいたのだけれど、どうやら彼自身がドビュッシーの曲が好きらしい。何曲か弾く中で必ず1曲はドビュッシーの曲が入っている。お陰で私も少しずつクラシックに詳しくなってきた。

「啓ちゃん! おはよー!」

ガラガラと豪快に音楽室の扉が開いた。この声は及川先輩だ。

ぴたりと止んだピアノの音に悲しさを覚えながら声を潜めていると、第二音楽室と音楽準備室を繋ぐ扉の前まで真っ直ぐ歩く足音が聞こえてきた。

「啓ちゃん、ここ何ー?」
「だーめ」
「えー」
「開けちゃダメだよ。そっちは準備室って名前が付いてるけど倉庫みたいなものだから」

足音が遠のいていく。

「あ、及川。ちょっと先に外に出てて」
「えーなんでー」
「何でもいいから」

また第二音楽室の扉が開く音がした。隠れていることがバレなくて良かった。私もそろそろここを出なければと椅子から立ち上がると同時に、ゆっくりとふた部屋を繋ぐ扉が開いた。

扉の向こうからそっと顔を覗かせる篠岡先輩と目が合い驚いて硬直している私を前に、篠岡先輩はしーっと人差し指を口に当てて微笑んだ。

「いつも聴いてくれてありがとう。及川遠ざけちゃったけど及川と話したかった? あ、英雄ポロネーズの楽譜……、音楽好き?」
「……先輩のピアノで好きになりました」
「俺?」

少し照れた顔をした篠岡さんは貴重かもしれない。

「えっと、急にごめんね。本当は気づいてたんだけど、このままだと及川も気づきそうだなって思って俺から声かけさせてもらっちゃった」
「いえ、あの、私は先輩のピアノが聴きたくて……、盗み聴きしてごめんなさい」
「いやいや、それは気にしなくていいよ。こちらこそ、演奏を好きになってくれてありがとう」

ふわりと微笑んだ篠岡さんは今度は普通に聴きに来てね、とやはり照れながら言った。

「啓ちゃんまだー?」
「ちょっと待って!」

慌てて音楽室を出る篠岡先輩の背中は楽しそうに見えた。

20160206
久しぶりの更新でドキドキしています。前半を徐々に書きなおしていきたい……。



青城のピアニスト
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