名探偵の住み処にて

「いらっしゃいませ〜。あ、名前さん!きょうはもう来てくれないのかと思いましたよ!」
「もっと早く来たかったんですが友達に捕まっちゃって…ミルクティお願いしていいですか?」

週も半分以上過ぎた木曜日。
自分へのごほうびも兼ねて講義が少ないこの曜日はとある喫茶店に通っていた。
モーニングの時間に行くこともあれば、ランチタイムを少し過ぎた頃に行くこともあったが、閉店も近い夕方に行くことは今までなかったかもしれない。

いつもそれなりにお客さんがいるが、平日のこの時間となると少なく、制服姿の女子高生が二人と小学生くらいの男の子が一人いるだけだった。

いつものカウンターに通されて文庫本を開く。
きょうは喫茶店の名前と同じ探偵の小説を持ってきていた。

「名探偵 ポアロですか」
聞き覚えのある、顔見知りの女性店員に比べて格段に低い声に勢いよく顔を上げる。

「…安室…さん?」

「はい、安室透です。偶然出会うなんて運命ですね!」
キラキラオーラが見えるほどの笑顔を振り撒く彼とは反対に私の顔は強張っていく。

「えっと…どうしてこんなところに?うちのバイトは辞めたって店長から聞いたんですが」
「はい。探偵として自分はまだまだ未熟だということをあの事件で思い知ったので、毛利探偵の元で勉強するために事務所の下にあるこの喫茶店で先日からバイトしてるんです」

「あれ?安室さんと名前さんはお知り合いなんですか?」
ミルクティを持ってきた梓さんが何かを期待するような眼差しで聞いてくる。
…嫌な予感しかしない。

「もしかして前のバイトで知り合って一目惚れしたっていう女の子ですか?」
キラキラした笑顔でワントーン上がった声で梓さんは爆弾を投下した。

「え〜安室さん気になってる人いたんですか!?」
私や安室さんが何か言う前に食いついてきたのは店内にいた女子高生の一人だった。
明るい茶髪をボブカットにした女の子は座っていたテーブル席から気づけば私の横に来ていて、梓さんと同じようなキラキラした眼差しでこちらを見てくる。

「そうなんです。僕が一目惚れして、現在片想い中なんですよ」
私が女の子の勢いに圧倒されている間に安室さんが追い討ちをかける。

「それでそれで?名前さんはなんて答えたんですか?」
「それが、まだ出会って間もないということでお友だちから始めることになったんですよ。
…アドレスも電話番号も渡したのにまだメッセージの一つももらってないんですけどね」
私に聞かれた質問に安室さんが先に答えてしまう。

「えー勿体ない!さっさと返事しちゃいなさいよ!こんなイケメンそういないわよ!」
「そうですよ!何でメール送らないんですか?」
「あー。ほら…課題で忙しくって…」
言葉尻が萎んでいく。本人を前にしてこんなイケメンが私なんかに一目惚れというのは胡散臭いし、バイトも辞めててこれから会うこともないだろうし無かったことにしようと思ってたなんて言えない。言えない。

「その感じだと登録すらしてくれてないようですね」
眉尻を下げて寂しそうに言う彼は犬にしか見えない。
無かったことにしようとしたため、彼の指摘どおり登録はしていない。ただ、名刺は捨てれずに手帳に挟んだままになっている。
本当にこのままなかったことにしてせめて店員と客の立場に落ち着きたかったが、そんなことはテンションの上がっている梓さんとボブの子が許してくれるはずがなかった。


「じゃあもう今、アドレス交換しちゃいなさい!」
「それはいいですね!私、名前さんのスマホのパスコードわかりますよ!」

私は何もぼさっとしていたわけではない。ただ、この人たちは、特に梓さんは何を言っているんだろうと呆然としていて、コンマ一秒、反応が遅れたのだ。その一秒が命取りになった。

ボブの子が机に置いていた私のスマホを取り、そのままカウンターの向こうにいる梓さんに手渡した。
梓さんはそのまま迷うことなく私のパスコードを入力していく。一度もミスすることなくロックが開いた私のスマホがついに安室さんの手に渡る。
手を伸ばしてもカウンターの向こうにいる安室さんには届かない。

「いつでも送ってきてくださいね」
爽やかな笑顔と共にスマホが手元に返ってきた。
今までと違うところはアドレス帳の一番上に『安室透』の文字があること。メールアドレスも電話番号もしっかり登録されていた。

「そ、園子、やりすぎなんじゃ…」
もう一人の女子高生がボブの子に話しかけるが、その顔には隠しきれていない期待がにじみ出ていた。

テーブル席に残っていた男の子を見るとあからさまに目を反らされた。関わりたくはないらしい。


「そうだ名前さん。まだお時間大丈夫ですか?あと30分できょうのシフトは終わる予定なので家までお送りしますよ」

安室さんのその一言に案の定、梓さんとボブの子改め園子ちゃんが食いついてくる。
前に梓さん、左に園子ちゃん、右に壁、後ろにロングの女の子……私に逃げ道は残されていなかった。