心臓の強度

明日は安室さんとご飯に行く日、だ。
おそらく。
数日前に何をとち狂ったか私から安室さんを食事に誘い一緒にランチを食べる約束をした。
しかしそれから毎日続いていたラインがぱったりと止んでしまった。
もしかして遊ばれていたんじゃ?明日待ち合わせのポアロに行ったら『本気にしてたんだ』とバカにされるんじゃないかとマイナス思考に支配されている。

これまた約束した次の日に安室さんとご飯に行く用に新しいワンピースを買ってしまった。
着ているものが新品かどうかなんて言わなきゃわからないだろうが、これは自分の気分の問題だ。
わざわざ準備したのに振られた上にバカにされるだなんてきっと立ち直れない。

浮かれていた数日前の自分を呪いたい。

どんどん嫌なほうに考えてしまう自分にため息をついて布団にもぐり込む。
どっちにしても翌日は講義があるし、外出するのだからもちろん服は着ないといけない。
新しいワンピースを着て、いつもどおり大学へ行こう。振られたら友達に慰めてもらって、財布には大打撃だがワンピースは友達にもらってもらおう。



翌日、朝食を食べていたときだった。
アラームが鳴る前に起きてしまったし少しでもテンションを上げようと普段は作らないフレンチトーストを食べていた。
数日ぶりに聞く着信音が静かな部屋に音を落とす。
見たい。でも見たくない。少しの葛藤の末、スマホを手に取り最新のメッセージを確認する。
『最近忙しくて返事ができなくてすみません。きょうの13時にポアロでお待ちしてますね。講義が長引いても抜け出しちゃだめですよ』
いつもどおり絵文字も何もない色味が少ない文章でも、私の気分を上げるのは充分すぎた。
そうこうしてはいられない。会えることは決まったのだからメイクも髪型もちゃんとしたい。時間はいくらあっても足りない。
急いで朝食を飲み込むと洗面所に駆け込んだ。

友人に選んでもらったワンピースは黒色の大人っぽいデザインのものだ。
それに合わせていつもよりヒールの高い靴、フェイクパールのバレッタ、くるりと上を向くまつ毛…気合いを入れすぎた気がするが、浮かれ具合が半端ないのだ。仕方ない。


鞄は悩んだもののいつも使っている鞄にした。
もっと小振りのきれいな鞄が合うのだろうが、それだと教科書が入らない。
きれい目なデザインになっているし何とかなるだろうと自分を納得させる。

家を出る前に安室さんへの返信をする。
浮かれてるのがバレないように気を付けていたら少し素っ気ない返信になってしまった。






いつもより長く感じる講義を終えてポアロに向かうと安室さんはちゃんと私を待ってくれていた。本気にしていたのかとバカにされることもなかった。逆に本当に来てくれてよかったとはにかみながら笑う。
彼のほうでも私に遊ばれているんじゃないかと心配していたと言うのだ。そんなバカな。

そんな話をしているうちに目の前には白いスポーツカー。3回目だけど、いつもとは違う緊張を感じながら車に乗り込む。


シートベルトを付けると同時に走り出した車は迷うことなく目的地へ向かう。
お店は安室さんにお任せした。


「ここのオムライスは絶品なんですよ」
着いたお店は木や花がたくさんあり、まるで隠れ家のようだった。
店内も木の机や椅子が並んでいて、客も大半は女性かカップルと思われる男女で誰も彼もお洒落だった。

感じの良い店員に注文を伝えた後だった。


「……きょうは大学…だったんですよね?」
彼の質問の真意がわからず首を傾げる。
きょうの朝、講義を抜け出すなと言われたばかりだというのに。

彼の目線を辿ると私の横にある鞄にたどり着く。
ちょこんと椅子に乗っているそれはお洒落だがほとんど何も入らないくらい小さなものだ。私が持ってきたA4サイズもがっつり入る機能的な鞄はここにはない。
思わず苦笑いが溢れる。

「あぁーこの鞄は友達に無理矢理…。デー……ランチに行くのにそんなデカい鞄で行くなんてあり得ないって無理矢理友達の鞄と交換させられました……」
あははと続けた私に安室さんも苦笑いを返す。

「デートのために鞄を交換してくれるなんて優しい友達ですね」
「そうですかね?でも……そうですね……私には勿体ないくらいの友人です」
「しかし、学生の本分は勉学です。これから大学終わりに会うときは鞄なんて気にしなくてもいいですからね」
「え……?」

これからも会うのだろうか。さっきのはそういうふうに聞こえたのだが…。
確かめようと口を開くが、ちょうど目の前に置かれたオムライスに言葉を飲み込む。

「本日のオムライスと定番オムライスです。ごゆっくりどうぞ」
店員がにこりと笑ってからその場を去る。

私の前には明太ソースのオムライスが、安室さんの前には定番のデミグラスソースのオムライスが並べられていた。

「わーあ!おいしそう!!」
「期待してください。ここのオムライスはおいしいですよ。…探偵の僕が言うのだから間違いない」
「えーなんですか、それ!」
どや顔で言う彼に笑いながらオムライスを口に運ぶ。

おいしい、おいしすぎる、デリシャス。
卵はトロトロしていて、明太ソースがなめらかで、中のご飯はなんとバターライスだった。見えないところまでおいしいなんて、これにサラダがついて800円なんてお得すぎる。

また来たい。来たいのに車がないと来れない距離にあるのが惜しい。


私があまりの美味しさに感激していると目の前にスプーンが。上にはデミグラスソースのオムライスが乗っている。
「このデミグラスソースのオムライスも是非食べてください。後悔はさせませんから」

たしかに気になる。が、このスプーンを差し出されている状況はどうすれば良いのかと戸惑う。
自分で食べようとスプーンを取ろうとしても避けられて、やっぱりくれないのかと彼を見るも人の良さそうな顔でにこにこと笑うだけだった。

……私は試されているのか?
ゴクリと喉を鳴らして覚悟を決める。


パクリ。


私の口に卵の甘味と優しいデミグラスの味が広がる。
思わず目を瞑って味わってしまう。
そして後悔をする。

目を開けたとき、先程よりも安室さんの顔にが近くなっていたから。

慌てて自分の席に戻る。
いわゆる『あーん』をされていて、その状態を忘れてオムライスを堪能していた。

「美味しいでしょ?」
「……はい。とても……」
ニコニコと彼は先程よりも心なしか嬉しそうだった。


「僕にも一口くださいよ」


これだから……これだからイケメンは……っ!

それでも私は自分のオムライスをスプーンで掬って安室さんのほうに差し出す。
貰ったものを返さないのは嫌だったし、動揺してないんだぞということを証明したかった。

差し出したスプーンに安室さんはなんのためらいもなく食いつく。

「やはり、定番以外もおいしいですね」
満足そうに言う。

こいつ…慣れてやがる。
いつもこうやって女の子をたぶらかしてるに違いない。

「どうかしましたか?」
「いえ…なんか慣れてるなって思って」
「まさか。こういう職業だとなかなか女性とデートもできませんし、慣れてなんていませんよ。まあ年相応には…って感じですかね」
「年相応って言われても、私とあまり変わらないですよね?」
「そうですか?たぶん9歳くらい離れていますよ」

安室さんの言葉にスプーンを落としそうになる。

「30歳前後ってことですか?」
「はい、29歳です。だから先ほどの鞄の件でも、僕のときとは違って、今時の大学はタブレットで授業をしているのかと思いまして。そしたら今お持ちの鞄でも充分ですし、なかなか聞けなかったんですよ」
「タブレットを使う授業もありますが、まだまだ教科書やルーズリーフを使うのが主流ですね。それよりも安室さん本当に29歳なんですか、若すぎませんか」
とてもじゃないが29歳には見えない。25歳くらいだと思っていたのに。

「童顔だとはよく言われますね。若い時はコンプレックスでしたが、今では受け入れています。名前さんは、年齢よりも年上に見られるタイプですか」
「学年だとそうですね。高校卒業後、すぐに入学した子たちは今20歳ですし、それよりも年上に見られます」
「名前さんは20歳じゃないんですか」
「ええ、浪人して入学したんで20歳は越えていますね」
「そうだったんですね、まだ未成年かもしれないと思って、きょうはランチにしたんですが、お酒も飲める年齢だと今度はディナーでも大丈夫そうですね」

先ほどよりもはっきりと次に会うことを提示されてドギマギする。

「お酒は飲めますか?」
「友人の中にもまだ20歳になっていない子がいるし、みんなが20歳になったら飲もうって約束していて。なのでほとんど飲んだことはないですね。一人で飲む勇気もないですし」
「じゃあ、僕と一緒にどうですか」
「あ…私でよかったら」
「名前さんがいいんです」
彼の強い瞳にくらくらしそうになった。



「じゃあまた、メールしましょうね」
「はい、きょうはありがとうございました」
「今度はディナーにしましょう、おいしいお酒が飲めるお店を考えておきますね」
「お酒のことはわからないので、助かります」

安室さんの車に乗って自宅に帰るのは3回目だった。
もう安室さんも道を覚えているようだった。

「本当にきょうはありがとうございました。次に会うのも楽しみにしていますね」
車から降りた後、車のドアを閉めた後、私が乗っていた助手席側の窓が開く。

「きょうの服、とてもきれいでした。また…今度」
彼はそう言うと窓を閉めて走り去ってしまった。

その場には、顔が真っ赤になった私だけが取り残されていた。

毎回、顔が真っ赤になっているのは気のせいじゃないはずだ。
きっとわざとだ。『年相応に』遊んだことのあるイケメン29歳はやはり経験値が違うな!
私は軽く服装をほめられただけでも真っ赤になってしばらく顔から熱が引かないのに。
心臓もドキドキして爆発してしまいそう。
今度会ったら、今度こそ心臓が壊れてしまうのではないだろうか。

エレベーターに乗ってから両手で顔を触ると卵でも焼けそうなくらい熱かった。