テトロドトキシンに沈めて

雨が窓を叩く音がする。

雨の日はあんまり好きじゃない。外に出れないし、なにより雨が降ると頭が痛くなるってお母さんが言ってた。
雨の日のお母さんは、頭が痛いからイライラするのか、いつもより痛い事をする。お母さんはそっくりそのまま私に移すように、重たい本や、近くにある何かで私の頭を叩く。それはいいんだけど、たまに頭から血が出ることがあるからそれは少しだけ怖い。血が出るとお姉ちゃんは痛いことをしなくなるけど、血で部屋や服を汚してしまうとお母さんはもっと怒るから、少しだけ気を付けないといけない。

だから、雨の日はいつも、できる限り静かにおとなしくしてる。

「あんた、男の子と遊んでるんですって?」

それなのに、お母さんにクロとけんまの事が知られてしまったらしい。

「しかも余所の家に上がり込んで迷惑かけてるんですってね」

私が2人と一緒にいるところを誰かに見られてしまって、それをお母さんが人伝に聞いたんだろう。

「あんたみたいなのが人様に迷惑をかけるなんて図々しい」

考えるまでもなく、私が2人と会ってることはいつバレてもおかしくなかった。いくら家から離れた川原の草むらに隠れてると言っても、歩いてるところだって遊んでるところだって誰かに見られる可能性はあった。それくらいわかってた。
どんなに2人が私だと周りにバレないよう気を使ってくれたとしても、クロのお家に繰り返し行ってたら、誰にバレてもおかしくない。

「それも女の子じゃなくて男の子だなんて、」

私が悪いことをしたんだから、お母さんに怒られてもいい。2人が怒られないならそれでいい。
だけど、どうして今日なんだろう。

「いつからあんたはそういう子になったの?」

違う。どうして、なんて誰かが悪いような言い方をするのはよくない。私なんかが2人に気を使ってもらうことが、そもそも間違ってたんだ。あの時ちゃんとクロのお家には行かないと断って、2人に会わないように隠れる場所を変えて、いつものように日が沈むまでひとりで川でも見てればよかったんだ。

「なんでそういうことをするの?お母さんを困らせて楽しい?」

お母さんを困らせたいわけじゃないの。もうクロとけんまに会わないし、ちゃんといいこでいるから。だから、ここにいたいの。

「もういいわ」

そう思ったところでなにも変わらないことくらい、どこかでわかってた。

「あんたなんて要らない」

もうずっと前からいらないと思われてることなんて、泣きたくなるくらいわかってた。だけど、どんなにわかっていても、直接お母さんにそう言われるとどうしようもない気持ちになる。

「どうして私があんたのために頑張らなきゃいけなかったのよ」

お母さんが好きなのは、黒い髪に黒い目をしたお姉ちゃんだけ。たとえ私がどんなに頑張ったとしても、お母さんは私を好きになってくれない。それを認めたくなかっただけで、本当はどこかでわかってた。どんなにいいこでいても、お母さんは私の事を絶対に好きになってくれない。

「あんたなんて最初から要らなかったのよ」

それなのに、いつかきっと私のことも好きになってくれると信じたかった。

「もっと早くこうすればよかった」

今日はいつもと違って、髪ではなく頭を掴まれて、そのまま柱に打ち付けられた。いつもと違う音がして、いつもより頭が痛いけど、でも、思うのはそれだけ。

「お母さん、なにしてるの?」

たくさんはいらないの。1回でよかった。

「これなら勝手に転んだことになるでしょう?」

1回でいいから、お姉ちゃんと同じように手を繋いでほしかった。お母さんに撫でてほしかった。

「これで死んだとしても、ただの事故よ。だって、私の知らないところで勝手に転んだんだもの」
「あぁ」

ただそれだけなのに、お母さんの手はいつだって私に痛いことをする。

「さぁ、ご飯でも食べに行きましょうか」

痛いのはやっぱり好きになれないけど、お母さんは好き。お姉ちゃんも好き。学校も嫌いじゃない。どんな理由であれ、私のことを必要としてくれるから。
だけど、今はそれすらもなくなった。

「今日はなにが食べたい?」

私には、なんにもなくなっちゃった。

「うーん、ハンバーグかなぁ」

2人が出ていくのをぼんやりと見送って、私は起き上がった。

私はもういらないんだって。存在することの迷惑と、存在しなくなることの迷惑を比べたら、存在しなくなることの迷惑の方がいいんだって。
そうだよね。いなくなるのは一瞬だもん。ちょっと悲しいけど、そこに私は必要ない。せめてお母さんが悪く言われないようにしなくちゃ。

まず赤く汚れた床をきれいにしようとしたけど、頭からずっと落ちてくるからなかなかきれいにならない。とりあえず服を頭に巻いて周りを汚さないようにしてから、床をきれいにした。それから汚れた私。そもそも私はいらないんだから、いつまでもここにいたらダメかもしれない。それなら早くどこかに行かないと。でも、いったいどこに行けばいいんだろう。私の居場所はここにしかなくて、他のどこにも行けない。私はどこにも存在できない。でもここにもいられない。

私用の小さい傘をさして雨の中歩くのは、いつもの川原に向かう道。宛もなく歩くのは、いつもの場所を見付けた時以来かも。
もうずっと、お母さんにはなにをされても大丈夫だったのに、久しぶりに涙が出た。悲しかった。寂しかった。だけどそれは生まれてしまった私が悪いから、そんなことを思うことがそもそも間違ってる。ここまで私なんかを育ててくれた事に感謝こそすれど、悲しいと思うことも、つらいと思うこともおかしい。
おかしいのに、クロに会いたい。けんまに会いたい。

なにかしてほしいわけじゃないの。ただいつものように、2人が話している横にいたい。もしかしたら、私は2人の事をお母さんの代わりにしようとしてるのかもしれない。もしそうなら、私は本当に悪い子になってしまったに違いない。お母さんの代わりなんてどこにもいないのに。誰かを代わりにしようとするなんて、とてもひどいことなのに。
やっぱり私は誰にも会っちゃいけないんだ。生まれて来たからいけないんだ。

「きなこ!」

なのに、どうして。

「お前、こんなとこでなにやってんだよっ」

クロに会うと、こんなに安心するの?