ヘイムダルが笛を吹く

きなこは俺んちに来ても、俺と研磨がゲームをしてるのを見るばっかりで、おとなしく座ってることが多かった。夜まで誰も帰ってこないから気にしなくていいって言ってるのに、ずっとなにかを気にしてた。そのせいなのかわかんないけど、家の中でも絶対にフードを取らない。
研磨が帰るときに一緒に家を出るけど、俺んちの前じゃなくて、少し離れてから人に見付からないようにパーカーを返すってけんまに聞いた。

なにをそんなに気にしてるのか。聞いたところできなこは喋れないからわからない。書いて話そうかと思ったけど、字が書けないのかペンを取ろうとしなかった。

「てっちゃん、最近友達でも呼んでるの?」
「うん。研磨」

なんとなくきなこの事は言えなかった。
別に教えるくらいなんてことないけど、研磨以上に人目を気にして、いつもなにかから隠れようとしてるきなこの事を話したら、それこそなにかが終わるような気がした。

「その研磨くんなんだけどね、最近お友達できた?」

そう言われてドキッとした。
研磨に最近できた友達は、たぶん間違いなくきなこの事だ。

「この間買い物帰りに研磨くん見かけたんだけど、金髪の女の子と一緒にいたのよ」

きなこの髪は金って感じじゃないけど、この間家に来た帰りの研磨ときなこを、どこかで偶然見たんだろう。

「なにか知ってる?」
「しらない」

別にきなこのことを話したって問題ない。
そう思ってるのに、なんでかきなこのことを隠そうとしてしまう。

「そう?」

きっとばあちゃんがいやな感じのしゃべり方だからだ。疑って嘘がないか探すときの声。俺の嘘もすぐバレるかもしれない。でも絶対にしらないで通すって決めた。
だって、こんな時のばあちゃんはひどいことばっかり言うから。

「別に知らないならいいんだけど、あんな歳から髪を染めさせてるなんて、きっとろくな家じゃないでしょう?」

ほら見ろ。やっぱりきなこの事を悪く言った。ばあちゃんはよく知らないくせに勝手なことを言うんだ。うちだってろくな家じゃないだろ。母ちゃんいなくなってるんだから。

「研磨くんと同い年か少し下くらいかと思うけど、あんたはちゃんとした友達と付き合ってね」

ばあちゃんの言う「ちゃんとした友達」ってなんなんだよ。なにを理由にちゃんとしてて、なにが理由でちゃんとしてないのか、教えてもくれないくせに「ちゃんとした友達と付き合え」なんて勝手すぎんだよ。
きなこの髪は染めてるわけじゃないし、全然しゃべんないけど素直なんだ。バレーはもちろんゲームもへたくそ。あんまり笑ったりしないけど、クッキー1個で世界中の幸せをかき集めたみたいに笑うんだ。そんなきなこのどこがちゃんとしてないんだよ。ばあちゃんが思ってる以上にきなこはちゃんとしてる。

「あ、てっちゃん!どこ行くの!」

きなこの事をなにも知らないくせに、一方的にきなこのことを悪く言うばあちゃんと一緒にいたくなくて、雨が降ってるのも無視して家を飛び出した。

ちょっと研磨と一緒にいるきなこを見かけただけで、きなこの事をちゃんとしてないなんて言うな。そう思うのに、俺はばあちゃんの事を本気で責めることもできない。
俺もそうだ。なんでしゃべらないのかとか、いつもどこかしらケガをしてる理由とか、いったいなにから隠れようとしてるのかとか、もっと言うならきなこの名前すら俺は知らない。どっかで会っても、俺はきなこの名前すら呼べないんだ。
それが無性に悔しかった。

この気持ちが悔しいと言うのかもわからない。腹が立つようなムシャクシャするような、とにかくじっとしていられない気持ちのまま雨の中走り続けた。
傘なんて忘れたから、台風みたいな雨の中、気付いたらいつもの土手を走ってた。最近ここに来てばっかりだったからかなと思って、少し落ち着いてきた頭で前を見たら、やけに小さい影がひとりで歩いてた。

「きなこ!」

雨の日のこんな時間にひとりで歩いてるのなんて、きなこしかいない。そう思って声をかけたんだけど、傘が反応したからやっぱりきなこで間違いないだろう。

「お前、こんなとこでなにやってんだよっ」

きなこが相手じゃなかったら「お前もなにやってんだ」って聞かれそうだけど、俺は別にいいんだよ。ばあちゃんとケンカしたから出てきただけだし。
そうひとり言い訳をしながらなにも考えず傘を覗きこんだら、きなこが泣いてた。

「きなこ…?」

きなこが泣いてるのなんて初めて見た。
なぜかわからないけど、きなこはなにがあっても絶対に泣かないんだと勝手に思ってた。ボールを顔面で受け止めた時も泣かなかった。俺がなにを聞いても一言もしゃべらなくて、たいてい困ったように首をかしげてた。そのくせ研磨の言葉には答えててちょっとムカつくけど、俺のあげるおかしひとつで、まるで世界中の幸せをかき集めたみたいに笑うんだ。
そんなきなこが泣いてる。やっぱり声ひとつあげてないけど、世界中の悲しみをかき集めたみたいにぼろぼろ泣いてるんだよ。

「頭、どうしたんだ?」

きなこの頭には布がぐるぐる巻かれてて、さっきばあちゃんが言ってたいつもの黄色い髪が見えない。こんなきなこを見て、気にならないわけないだろ。

「きなこ…」

なにが起きてるのかわからなくて手を伸ばしたけど、それはきなこにさわる前に止まった。

「お前、なにがあった」

頭に巻き付いた布は赤くなってた。それがなにかなんて、できることなら気付きたくなかった。
いつもどんなにケガの事を聞いても困ったように首をかしげて隠してたのに、今日は隠そうともしないで頭に布なんて巻いて泣いてる。こんなの、絶対に変だ。

「なぁ、教えてくれ」

きなこがしゃべらないのは知ってる。でも、教えてくれなきゃ俺にもわかんないだろ。それとも、やっぱり研磨じゃないとなにも教えてくれないのか?

「きなこ」

なぁ、俺じゃダメなのか?俺にはきなこのことを助けさせてくれないのか?

「頼むから」

研磨じゃなくて、俺にも教えてくれ。

「……」
「きなこ…?」

なにか聞こえた気がして聞き返した。
たぶんだけど、きなこがしゃべったんだ。初めてきなこがしゃべってると言うのに、バタバタと傘を鳴らす雨がうるさくて聞こえない。
ちゃんと聞こうときなこに近寄って、全神経を耳に集中させた。

「いらないって」

初めて聞いたきなこの声は、驚くほどか細くて今にも消えそうなものだった。

「死んでいいって」

初めて聞いたのに、聞こえた言葉は俺が泣きたくなるようなもので。
頭のケガは、母ちゃんにされたんだろうか。もしかしたらいつも隠してたケガも、全部母ちゃんにされてたのかもしれない。なんできなこがそんなこと言われなきゃならないんだよ。きなこは母ちゃんの事が好きなのに、なんできなこの母ちゃんはきなこのこと嫌うんだよ。

「もう、お母さんといられない…っ」

きなこは、なんでまだ母ちゃんの事好きでいられるんだよ。