ギャラルホルンが鳴り響く
「だから!遊んでたんじゃねーんだって!」
いつまでも川原にいると、誰になにを言われるかわからないから、きなこを引っ張って川原の近くにある交番まで来た。
きなこは大人が怖いのか知らねぇけど、傘をしまわないで交番の外で待ってる。だから代わりに俺が交番のおっさんにきなこのこと説明しても、全然話聞かねぇで帰れって言ってばっかり。
「じゃあなんでこんな時間にうろついてるんだ?」
「俺はばあちゃんとケンカした」
「じゃあ早いとこ帰れ。お嬢ちゃんも早く帰りなさいね」
「おっさん俺の言ってることちゃんと聞いてたか?きなこはもう帰る場所がねーんだよ!」
帰りたくても帰れねぇんだよ。おっさんには母ちゃんにいらないって言われたきなこの気持ちなんてわかんねぇんだろうな!
「仕方ないなぁ」
俺から見ても傘からきなこの顔なんて見えないんだから、おっさんにはもっと見えないだろう。
「お嬢ちゃん、濡れちゃうからちょっとこっちおいで」
おっさんがしゃがんできなこに話しかけるけど、きなこは動こうとしない。
「きなこ」
父ちゃんのいないきなこにとって、このおっさんは怖い人になるのかもしれない。なんかこう、おまわりさんって学校の先生とも違うもんな。
「大丈夫だ。俺が一緒にいる」
いつもちょっと違和感を覚えるくらい堂々と歩いてるくせに、今日のきなこはひどく弱そうに見える。泣いたところだって今日初めて見たから、俺も不安になる。それに、いつまでもケガをそのままにしてたら本当にきなこが死んじまう。
ちょっと強引だけど、傘を握りしめるきなこの手を握ったらようやくきなこは傘をしまった。
「きなこちゃんだっけ?大丈夫だから、おじさんとちょっと話そうか」
おっさんにも服が巻きついたきなこの頭は見えてるだろう。傘を持ってない方の手できなことしっかり手を繋いだ。こんなことしかできないけど、ほんの少しでもきなこが安心してくれたら、それでじゅうぶんだ。
「頭どうしたのかな?これ取ってもいい?」
「…いいか?」
きなこが頷いたのを確認してから、おっさんが布を取っていく。布がほどけていくと、きなこの黄色い髪が赤く汚れてるのが見えて、一瞬手に力が入った。
俺がビビってるなんて、きなこにバレるわけにいかない。
そう思った時、きなこの首を血が滑り落ちるのが見えた。
「まだ止まってねーのかよ!」
「程度がわからないけど、これは病院に行った方がいいかもな…」
おっさんの言葉にきなこは弾かれたように首を振った。
あの時と同じだ。俺と研磨がケガのことを聞いた時も、こうして必死に否定してた。でも、今はそんなことしてる場合じゃないだろ?
頭を振りすぎて目でも回ったのか。きなこのふらついた体を支えてやった。
「とりあえず、まずは止血しよう。おいぼーず、ちょっとここ押さえとけ」
「おう」
おっさんに言われるまま手当ての手伝いをして、ようやく一心地ついたと言ったところ。
「さて。じゃあちょっと座って話そうか…話せる?」
「無理ならいいんだぞ?」
話したくないならムリに話さなくていい。俺がいつもみたいに聞いて、それでおっさんに伝えればそれでいい。そう思ってたけどきなこはそれを否定して、意を決したように顔をあげた。
ほとんど初めて見るきなこの意思を持った目は、電気を反射するコップいっぱいに注がれた水みたいに揺れていた。
「、ぁの」
相変わらず雨の音に掻き消されそうなほど細くて小さい声だけど、さっきより少しだけはっきりとした声に聞こえる。
「どうしたら、死ねますか」
きなこがそう言った瞬間、繋いだ手に力を入れたのはどちらが早かったのか。
「なんでそんなこと聞くのかな」
「いらない子、だから…私いると、お母さん、苦しくなる」
別にこのままきなこがいなくなると思ったわけじゃない。でも、いなくなることをきなこ自身が望んでる。
「どうしたら、誰にも迷惑かけないで死ねますか」
きなこは、もうさっきみたいに泣かなかった。
「そんなこと、お嬢ちゃんみたいな子どもが言うもんじゃないよ」
大好きな人にいらないと言われて、ずっと信じていたかった人に死を願われて。それってどんな気持ちなんだよ。俺にはそれをちゃんと知ることはきっとできないけど、すごく悲しいってことはわかる。
きなこが生きる世界は俺たちが思っていた以上に冷たくて、悲しくなる程きなこを傷付けるだけの世界だった。
「きなこ、俺はきなこがいなくなったらヤダ。研磨も絶対にヤダって言うぞ」
そんな世界なくなればいい。俺と研磨ときなこの3人だけでいれば、きなこが傷付くことなんてない。きなこを傷付けるやつらなんていなくなればいいのに。みんな、いなくなればいいのに。
「きっと、お母さんも勢いでそんなこと言っちゃったんだよ。だから今日は帰ろう。おじさんが家まで送ってあげるから」
「いつも言ってた、私がいなければって」
ぽつりぽつりときなこが言った事は、俺が考えていたよりも、研磨が想像していたよりもずっとひどいものだった。
「お母さんに言われたとかは1回置いといて、お嬢ちゃんはどうしたい?」
生まれた瞬間父ちゃんに嫌われてそのままいなくなって、そのあとは母ちゃんも姉ちゃんもきなこのことを目の敵にして、学校でもずっと1人で。
きなこがみんなになにをしたって言うんだよ。
「わかんないか」
研磨が言ってた通りだ。きなこが毎日されてる事は泣きたいくらい悲しい事のはずなのに、それが当たり前になりすぎてもうおかしいことだと思えないんだ。
それが、きなこにとっての普通だから。
「じゃあ帰りたい?」
帰る意思をはっきりと示したきなこを見て、俺のほうが泣きそうになった。さんざん酷いことされてるのに、なんでまだ帰りたいって思えるんだよ。なんでまだ好きでいられるんだよ。
ふざけんな。このままきなこを帰したら、次こそ殺される。
「ぼーずはどうしたい」
「きなこを助けたい」
そんなの当たり前だろ。やっと仲良くなれてきたんだ。これからも川原でバレーやったり、うちでゲームするんだ。それからばあちゃんにきなこの事を悪く行ったことを謝らせる。それから、きなこを助けたいって言うんだ。
俺が助けてやりたいのに、俺にはなにもできない。それが悔しくて勝手に涙が出た。
「本当はいけないことなんだけど、泣いて嫌がってるのがここにいるからなぁ」
おっさんが仕方ないと言わんばかりの顔をしながら立ち上がって交番の奥の方に消えると、さんざん研磨に止められてたのに俺は気付いたらきなこに怒鳴ってた。
「なんできなこは泣かないんだよ!」
怖がらせたり泣かせたい訳じゃないけど、1番つらい思いをしてるきなこが泣かないのはやっぱり変だ。それなのに、いつもみたいにちょっと迷ってから、困ったように「私が悪いから」って言うんだ。
「きなこはなんにも悪くない!」
いつもそんなこと思ってたのかよ。ふざけんなよ。
そう思っても、もう言葉にならなかった。きっと俺がなにか言ったところで意味なんてない。ダメなんだ。ずっときなこが悪いと言われてたから、そういう考えになるのが当たり前なんだ。
「クロ、泣かないで」
俺だって泣きたくて泣いてる訳じゃないんだよ。とまんねぇんだから仕方ないだろ。
「ぼーずはこれから来る俺の同僚と一緒に帰りな。お嬢ちゃんは、おじさんと一緒な」
「なっんでだよ!」
「あー…違ったらいいんだけど、お嬢ちゃん、あの団地の子だよな」
戻ってきたおっさんの言葉に涙が止まった。きなこを見ると、怯えたような顔をしてかたまってた。
「おっさん、きなこのこと知ってるのか…?」
「住人が少ないとはいえ、あそこには他の人も住んでるからな」
そうか、そうだったのか。きなこのことを心配してる人はここにもいたんだ。そうどこか安心したのも束の間、きなこは泣きながら母ちゃんは悪くないって言い始めた。しまいにはごめんなさいと謝るだけになった。
なぁ、なんでそうなるんだよ。きなこはなにも悪くないだろ?
「お母さんにはなにもしないから、これだけ答えてくれるか?…お嬢ちゃん、高崎エリカちゃんで合ってるか?」
泣きながら頷いたのを見て、俺は今、ようやくきなこの本当の名前を知ったんだと理解した。
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