知らないことの幸福
川の近くの草むらから研磨が引っ張り出したのは、研磨より小さい女子だった。
「だから目ぇ閉じるなって」
正直めんどくさいことになったと思ってる。
俺はいつもと同じように研磨とバレーの練習ができればよかったのに、こいつがいると練習にならない。
「ボール見なきゃできないに決まってんだろ」
オドオドしてるし言っても聞かないで目ぇ閉じるからなかなかボールを取れない。酷いときは不良みたいな色した頭の上にボールが落ちる。
クラスの女子みたいにすぐ泣かないところは悪くないけど、それを全部なかったことにするくらいこいつはなにもできない。
「クロ言い方。おれだってへたくそなんだから」
それでも一緒にやってるのは、研磨がやたらと気にかけてるからに過ぎない。今まで他人に興味を示したことなんてないのに、なんでこいつには興味を持ったのか。
「大丈夫、ちゃんとボール見たらできるから」
いつも俺に世話されてるくせに、そいつの世話はすんのかよとか、ダセェこと考えてる自分に気付いてムカついた。
世話やいて当たり前だろ。たぶん、あいつ研磨より年下だし。俺だって別にあんなちっこい女子相手に本気で練習なんてしねぇし。
「あ、クロ」
「ほら、とりあえずボール受け取れるようになれ」
研磨たちから長めに距離を取って、山なりにボールを投げた。研磨はそいつの隣で「よく見て、焦らなくていいから」とか言ってる。
よく言うよ。俺とやってるときは焦りまくって顔面レシーブ決めてるくせに。
今度はボールから目を離すことなくボールの真下に入ったまではよかった。それなのに、ボールの落ちる早さと腕をあげる早さが全く追い付いてなくてそのまま顔に落ちた。
「おまっ!」
「ちょっとっ、」
顔でボールを受け止めた衝撃で、そのまま派手に後ろにひっくり返ったそいつは人形みたいに動かなかった。
「頭ぶつけてない?」
「いや、ボールにぶつけただろ」
「そうじゃなくて地面」
慌てて近寄ってもどうすればいいかわかんなくて研磨と2人でオロオロしてたら、そいつは何事もなかったかのように起き上がった。
「頭ぶつけてない?いたくない?」
研磨が聞いても頷くだけで、そこでようやくずっと感じてた違和感に気付いた。
「お前しゃべれねぇの?」
思ったことをそのまま聞いたら研磨に睨まれて、ちょっと怯んだ。
「それ今関係ある?」
「いや、だってさっきから1言もしゃべってなくねぇ?」
「だからなに」
研磨は不機嫌なままそいつの頭を撫でてた。
たぶんこぶがないか探してるんだろうけど、手が頭を撫でた瞬間、そいつは急に固まって下を向いたまま動かなくなった。
「え、なに?どうしたの?」
声をかける研磨をよそに無理やり屈んで覗きこむと、目をぎゅっと閉じてなにかに耐えるような顔をしてた。手は震えるくらい強く握られてる。
「え、どうしよう…」
人見知りくらいだったら研磨で慣れてるからなんとでもなるけど、話せないのはこういう時に困る。
「どっか痛いのか?」
返事が返ってくるわけないだろうけど、とりあえず聞くしかない。
「顔痛いのか?それとも他んとこか?頭ぶつけたか?」
あれこれ聞いても全然反応しない。研磨も隣で心配そうに見てるだけだ。俺はなんか聞き出してやろうと、もはや意地になってしばらく問いかけてた。そうするうちに、ようやく少しだけ顔をあげさせることに成功した。反応が返ってきたことに内心ガッツポーズをしかけたが、なにかに怯えるようなその顔に、そんな気持ちはどっかに消えた。
「…どこも痛くないか?」
そう言った俺の声は、今日イチの心配声だった。いままで研磨にだってこんな声のかけ方したことねぇよ。
返事を待つ間じっと見てると、そいつは青い目を落ち着きなくフラフラさせたまま、1つ頷いた。
「ならいーんだけど、痛かったら言えよ。あ、言えないならせめて教えろよ」
しゃべれないだけで、意思の疎通はできる。
そう思ったら急に体が軽くなったようなスッキリした気持ちになった。
「クロに言いづらいなら、おれでもいいから」
「おい研磨!それどーゆーことだよ!」
「クロ声大きいし、ザツだから怖がられてるんだよ」
「は?」
怖がられてるってなんだよ。そう思ったけど研磨とおれに対する距離感が違うから、たぶんそうなんだろう。地味にショックだ。
「でもクロは別に嫌なやつじゃないから」
「研磨…!」
研磨はこういうやつなんだよ。下げて上げるんだよ。
「疲れたし、今日はもうよくない?」
「…しょーがねぇなぁ」
疲れたって言うのが嘘かホントかわかんねぇけど、こいつがいると練習にならないし、たまには研磨の言うことも聞いてみるか。
そう思ったけど、いつも練習してる川原で黙って座ってるのはなんだか妙な気分だ。
「そう言えば、お前名前は?」
そう思って聞いたのはただの思いつきだ。ただ座ってるのも暇で、話をするのになんとなく不便だから聞いただけ。
もちろん返事なんて返ってこなかったし、教えてくれる気配もない。
「教えたくない?」
研磨が聞いても、そいつはしゃべらない。
しゃべんないことはわかっちゃいたけど、なんか気に入らないよなぁ。名前がないってことはないだろうし、返事をしないってことは教えたくないってことなんだろう。
「それなら俺たちで名前つけねぇ?」
「なに言ってるの?」
「だってどっかですれ違った時とか名前わかんねぇと不便だろ」
そんなことあるのかもわかんねぇけど、またここで会ったときに困ると思った。
「…いい?」
研磨の言葉に頷いたのを確認すると、さてどうするかと首をひねった。
名前っつっても女子にライダーの名前つけるわけにいかねぇだろ?なんか簡単で覚えやすくてわかりやすい名前…
「タマ」
「却下」
「なんでだよ!覚えやすくていいだろ!」
「のら猫じゃないんだからちゃんと考えて」
「だって猫みたいだろ、草むらに隠れてたし」
好奇心旺盛とは言えないけど、全体的な印象が猫っぽいと思ったんだよ。
「文句あるなら研磨も考えろよ」
「えー…」
研磨が考えてる間、3人並んで川を眺めてる。
「きなこ」
「研磨もたいして変わんないだろ」
「変わるし」
「じゃあなんでその名前なんだよ」
「なんとなく」
まぁタマより人間っぽいか。
「お前は?きなこでいいのか?」
一応名前の持ち主になるこいつに聞いた。本人に拒否されたらまた考えないといけないなと思ったけど、拒否することなくすんなり頷いたからちょっと安心した。
「じゃあお前は今日からきなこだ」
ようやく普通に会話ができるようになったと思ったら笑えてきた。研磨も嬉しそうだし、きなこもちょっと笑ってる。
なんだよ、笑えるじゃん。
「きなこ、ボール怖くねぇか?」
ちゃんと話しかければ反応が返ってくる。声なんてなくても会話ができる。それがめちゃくちゃ楽しい。夢中になって話してたら、気付いたら川はオレンジの光を反射してた。
そろそろ帰らないとヤバいな。
「きなこ、家どっち?」
そう聞いたら、1番初めみたいに反応が返ってこなかった。同じ方向なら途中まで一緒に帰ろうと思ったんだけど、きなこはそう思わなかったんだろうか。
仲良くなれたと思ってたのは、俺だけだったのかよ。
「おれたちあっちなんだけど、きなこは?」
研磨が指差して聞くと、きなこは逆の方向を指差した。なんでこういう時は研磨にしか返事しないんだよ。
「なんだ、逆か。ひとりで帰れるか?送っていこうか?」
今度はすぐに首を振った。
あー、そうですか。そんなに俺はいやですか。
「じゃあな、気を付けて帰れよ」
ささくれた気持ちのまま、ボールを持ってさっさと歩き出した。少し遅れて、研磨が小走りに着いてきたのもわかった。
「クロ、もうちょっと優しくしてあげた方がいいと思う」
「なんでそんなにきなこの肩持つんだよ」
「え、それは…」
今日の研磨はおかしいことだらけだ。他人を気にかけたり人見知りのくせに自分からきなこを誘ったり、俺よりもきなこと仲良くなったり。
「そもそも、なんできなこのこと誘ったんだよ」
今日1日、ずっと気になってたことだ。
研磨が自分から他人に関わるのなんて見たことがなかった。
「たぶんだけど、あの子はおれたちと似てるから」
俺も研磨もまだガキだけど、研磨の人を見る目は間違いないと思ってる。その研磨が俺たちと似てるって言うからには、そうなんだろう。
「帰り道を聞かれて、クロに返事をしなかったのは、たぶん同じ方向だと困るから」
「なんでだよ」
「さぁ…まだおれたちが怖いのか、一緒に帰りたくない理由があるんじゃない?」
「じゃあなんで研磨には返事したんだよ」
「それはおれが方向を教えたからじゃない?首振れば返事になるし」
なるほどな。そう言われてみれば、きなこから返事が返ってこなかったのは選択肢が多い時だった気がする。
「きなこに次会えるのがいつになるかわかんないけど、その時は今日みたいなのやめてよ」
「…どういうこと?」
「今日のクロ、すごいいじわるだった」
「え、マジで?」
「うん。直さないと本当に嫌われるよ」
全然気付いてなかった。だから俺には返事くれなかったのか?そう言われれば研磨と話してるときの方が笑ってた気がする…次会ったときは気を付けよう。
沈んでいく夕日と俺の胸に、堅く誓った。
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