途方もない距離
「研磨、いたか?」
きなこが最初にいた草むらを覗いてた研磨は、振り返って視線をさげたまま首を横に振った。きなこに名前を付けたあの日から、俺たちはきなこに会えない日が続いてる。
「クロが嫌われてたからじゃない?」
「そんなのきなこに聞いてみねぇとわかんねぇだろ」
「すごいいじわるだった」
「だぁー!それは謝るって!」
しかしきなこに会えなければそれもできない。
考えるまでもなく、俺たちはきなこのことをなにも知らない。名前も住んでるところも、なんでしゃべらないのかもなにも知らない。
「とりあえず練習するか。研磨トス上げろー」
「えー」
きなこと一緒にできそうな遊びも考えてるのに、本人がいなきゃなんにも意味がない。会えたらいじわるだったらしいこと謝って一緒に遊ぶんだ。でも来るまでは練習!
そう思って研磨に声をかけたのに、研磨はいつも以上にスカすし顔面でボールを受けてた。
「どーした?」
「クロ、やっぱりきなこ探そう」
「はぁ?探すっつったって…」
たしかにずっと会えないのも気になるけど、探すって言ってもどうするんだよ。俺たちきなこの名前も年も、なんにも知らないんだぞ?そんなやつをどうやって探すんだよ。
「きなこ、もしかしたらいじわるされてるのかも」
「なんだそりゃ」
いじわるってなんだ?
俺はたまに、研磨の言ってることがわからないことがある。研磨は俺と違う物の見方をするから、ちょっと聞いただけじゃわからないってこと。
「おれがきなこの頭撫でたとき、変だったの覚えてる?」
「ああ」
ボールを顔面で受けて倒れるところまでは普通だったのに、研磨が頭を撫でてから怯えだしたのをよく覚えてる。
「それがどうかしたか?」
「触っただけだからわかんないけど、たぶんケガしてた」
「転んだときじゃなくて?」
「うん。かさぶた触ったときみたいな感じしたから、たぶん」
あんまり飛んだり跳ねたりするように見えなかったし、そもそも女子が頭にかさぶた作ることなんてしないよな?
「研磨の考えすぎじゃねぇの?」
「それならそれでいいんだ。でも…」
研磨は1度言葉を切って「あんな小さいのに…おれより酷かったら、可哀想だから」消えそうなほど小さい声だったけど、間違いなくそう言った。
研磨の家のことは細かく言わないけど、俺んちみたいなことに巻き込まれてたらと思ったら、途端に心配になった。きなこには兄弟とか、味方になってくれるやついるのかな。
「きなこがしゃべんないのも、それと関係あんのかな」
「それはわかんないけど、もしそうなら可能性はあるんじゃない?」
研磨には俺がいた。逆に言うなら、俺には研磨がいた。それはお互いがキツい時助け合える状況だった。俺はわかんねぇけど、もしも俺たちが赤の他人だったら、研磨はきなこみたいになってたかもしれない。
「研磨んとこ、今日遅いのか?」
「テーブルにコンビニ弁当あったから、たぶん」
それなら時間はまだある。俺んとこはいつだって遅いから、研磨んとこが遅いかだけわかればどうでもいい。
「探すか」
「…きなこの家、おれたちと反対って言ってた」
言ったっつーか、指差しただけだし。
「それもホントかわかんねぇけどな」
「でも、それしか手がかりないし」
俺たちは、本当にきなこの事をなんにも知らないんだな。
「歩きながらどうするか考えるか」
「うん」
もしかしたら川原のどっかにいるかもしれない。そう思って上を歩きながら研磨と手分けして川沿いも見ながら歩いた。
あんなちっこいのがあんな黄色い頭してれば、嫌でも目につくから見落とさねぇだろ。
そう思ってたのに、全く見つからない。
「あークソ、今日はもう帰るか」
歩いてたら絶対すぐ見つかるだろうと思ってたのに、どうやら世界はそううまいことできてないらしい。
それもそうだ。うまいことできてたら誰も苦労なんてしないだろう。
いつもより少し暗い帰り道を、研磨と並んで戻っていく。
「きなこの髪って染めてるのかな」
「どーだろうな。でも目は青かったぜ」
「え、そうだったの?」
「マンガみたいな感じじゃなかったけど、青っぽかった」
「ふーん…じゃあ髪も元々あの色なのかな」
そうか。染めてない可能性もあるのか。
「…今度会ったら聞こーぜ」
「うん」
その今度がいつになるのか。もしかしたらそんな日はいつまでも来ないのかもしれない。俺たちの過ごしてるこの地域は狭いようで広い。
紫色の向こうに沈んでいくオレンジを見ながら、このまま一生会えなかったらと考える。
会えなくてもそれはたいした問題じゃないだろう。
俺も研磨も小学校を卒業して、たぶん普通の大人になる。その間にきなこのことなんて忘れて「研磨と同じ夢を見たんじゃないか」なんて言いながらたまに思い出す。先のことなんてわかんねぇけど、そんな感じになるんじゃないだろうか。
それはもちろんなんの問題もないけど、少し淋しいような感じがした。
「あ」
「どーした?」
「クロ、あれ」
研磨が指差した方を見れば、数日前にみた不良みたいに黄色い頭をした小さな姿が川原の草むらからひょこりと出てきた。
「きなこ!」
本当につい、なにも考えずに叫んだら驚いたのかなんなのか、きなこはのら猫よろしく走って逃げた。背を向けて逃げられれば追いたくなるのが動物としての本能なんだろうか。俺はやっぱりなにも考えずに逃げたきなこを追いかけた。
「待てよ!」
きなこは異常なまでに足が遅かったから、たいして走ることもなく追い付いて取っ捕まえた。
「お前なんでこんなとこにいんだよ」
正面に立っても、下を向いたきなこの目は見えない。
「俺たち、きなこが来るの待ってたんだぞ」
そんなことを言っても返事が返ってこないことくらいわかってる。だってこいつはしゃべらない。
「いつもこの辺にいたのかよ」
それを頭でわかっていながらもこうして聞くのは、なんとなくムカついてるから。本当にムカついてるのかわかんねぇけど、言わなきゃいられない。
「なんでなにも言わないんだよ」
こんな言い方がしたい訳じゃない。
この間はごめんって謝って、また一緒に遊ぼうって言いたいだけだった。それなのにきなこが来ないから。
「クロやめて」
後から追い付いてきた研磨は、不機嫌そうな顔をしていた。
「きなこ、怖がってる」
そうだ。ただでさえ嫌われてるかもしれないのにまたこんな言い方をして、怖がられて当たり前だ。
「…ごめん」
捕まえた腕を離しても、きなこは離れたりしない。
「きなこ、ごめんね。でもクロが言ってたように、おれもきなこと遊べるの、楽しみにしてた」
無理に目を合わせようとしない、距離も詰めようとしない研磨の言葉を、きなこは黙って聞いてる。
「クロも怒ったりしてないから、明日おれたちと話そう」
今の時間を考えたら、それが1番いい。
きなこもそう思ったのか刻一刻と暗くなる川原で、ややあって小さく頷いた。
「やくそく」
研磨が差し出した小指に、おずおずときなこの小さな小指が触れた。
研磨の手もちっこいけど、きなこのはそれよりもっとちっこかった。そういえば掴んだ腕も、クラスの女子より全然細かった。
「じゃあ、明日この間の草むらでね」
顔をあげないきなこの頭を1つ撫でて、研磨は「帰ろう」と言って家に向かってゆっくり歩き出した。
振り返ると、小さなきなこの後ろ姿が見えた。
← ∵ →