泡沫ユートピア

暇を見つけては研磨を連れて、きなこと川原で遊ぶ日がかなり増えた。もちろん俺たちが行けない日もあるけど、川原に行けばたいていきなこがいた。
きなこはバレてないと思ってるだろうけど、会うたびにどこかしらケガをしてることくらい、俺も研磨も気付いてる。初めてケガのことを聞いた時、やけに必死に否定したから気付いてないふりをしてるだけだ。
…まぁ、最初に「なにがあってもきなこに聞くな」って研磨に言われてなければ、俺は絶対に聞いてたけど。

正直気にならない訳じゃない。そんな毎日アザができるほど転ぶもんでもないだろ。だから俺はきなこの家を突き止めようと思った。

「ねぇクロ、やっぱりやめようよ」

今日も川原で日が暮れるまでしゃべって、1度帰るふりをした。

「ヤだね。いやなら研磨は帰ってもいいんだぞ」
「おれも気になるけど、きなこ絶対に嫌がるよ」

きなこが俺たちに背を向けて歩き出すのを横目で確認すると、そのまま立ち止まった。
もしも振り返ったきなこに気付かれたらまずいから、直接後ろは見ないようにして研磨としゃべってるように見せる。

「クロはきなこに嫌われたいの?」
「そんなわけねーだろ」
「じゃあなんでこんなことするの」
「そんなの、研磨が言ってたことが本当かどうか調べるためだよ」

前に研磨が言ってた。
「もしかしたらきなこはいじわるされてるかも」
それが本当かどうかわからない。家族みんな仲が良くて、ただきなこがびっくりするくらいどんくさくて、毎日転んでケガをしてるだけなのかもしれない。

そうだったらいい。何度だってそう思うのに、頑なにケガを隠して嘘をつくきなこがそれを許してくれない。きなこがどんくさいことなんてわかってるんだから、よく転ぶって言われたって驚くことでもない。それなのに嘘をつくってことは、俺たちに知られたくないってことだろ?

きなこが教えたくないなら、俺が直接調べるしかない。

「研磨だって気になるだろ」
「気になるけど、きなこが嫌がるかもしれないし」
「じゃあ、なにを見てもきなこにナイショな」
「え、うん…」

乗り気じゃなかったけど、研磨もずっと気になってたんだろう。そもそもきなこと遊ぼうと最初に決めたのは研磨だ。もしもきなこのことを気にしてないなら、絶対に全力で拒否して俺を止めてる。研磨はそういうやつだ。

だだっ広い土手の上に隠れられる場所なんてないけど、きなこは振り返ることなく歩いていく。その姿はどこか変な感じがするほど堂々としていた。そうして少し歩くと、また川原に降りて草むらの影に隠れた。

「まっすぐ帰らないのか…」

ここで待ってても出てくるきなこに見つかるから、俺たちも川原に降りて別の草むらからきなこが出てくるのを待つ。

そうして待って、きなこが草むらから出てきたのは完全に日が落ちてからだった。

「いつもこんな時間までひとりでなにしてるんだろ」
「知らない」
「なんだよその言い方」
「だっておれはきなこじゃないし」
「それもそーだ」

俺たちはきなこの後をついて歩く。不自然なほど堂々と歩くきなこは少しも振り返る気配がないから、曲がり角さえ気を付ければきなこに気付かれる心配はまったくなかった。

そうしてたどり着いたのは、所々ヒビの入った団地。たぶんここに住んでるんだろう。きなこが迷わず進んで行くのを、階段の音を聞きながら考える。

「さすがにこっから先は無理だよな…」
「怒られそう」

研磨がそう言ってふと気付いたけど、団地に人の気配がほとんどない。もしかしたら、あんまり人が住んでないのかもしれない。

「研磨はここで待ってろ」
「え、行くの?」
「きなこの家がどこか見るだけだ」

足音にさえ気を付けて着いていけば、何階かはわかるだろう。きなこも足音をたてずに歩くから、階段を登ってるきなこに全神経を集中させる。ドアの開く音でもすればそれでいいんだけど、それもない。

なにをしてるのかと思って階段から顔を覗かせると、ドアの前できなこが立ち尽くしてる。戸惑うようにドアノブへ手を伸ばすと、ガチリと金属の冷たい音がした。諦めたようにドアノブから手を離すきなこを見て、咄嗟に階段を降りて隠れたけど、きなこが降りてくる音はしなかった。
階段にでも座ってるんだろうか。覗いて見つかってもダメだから確認はできないけど、ドアの開く音がしないからきなこが家に入れないことだけはわかった。静まり返る階段では、誰かの笑う声が妙に耳につく。

どうしてきなこが家に入れないのか、俺にはまったくわからなかった。

これ以上遅くなると、さすがに親にバレた時にこっぴどく怒られる。1階まで降りると、研磨は郵便受けの正面の影に隠れていた。

「帰るぞ」

そろりと、それこそ猫のように影から抜け出した研磨を連れて、ついさっき歩いて来た道を戻る。振り返って団地を見上げると、所々にしかついてない明かりが、住んでる人の少なさを示しているようで少し寂しかった。

「…どうだった?」

あまり乗り気じゃなかったけど、研磨も気になってたらしい。

「玄関の鍵しまってて、入れてなかった」
「じゃあ、まだ外にいるの?」
「たぶん」

まさかきなこが家にいないって気付かなかったのか。でもそんなことあるか?帰りが遅くなって、怒られて閉め出されることはたまにあるけど、さっきみたいに帰ったら鍵が開いてなかったなんてこと、俺はいままで1度もない。

「今が冬じゃなくてよかったのかな」

いつ家に入れるかわからない状況で、今が冬だったらどうなるのか。そんなことは考えるまでもない。

「ねぇクロ」
「なんだ」

研磨が足を止めるから、俺もそのまま立ち止まる。

「おれは、自分の家が普通じゃないってわかってるけど、きなこはそれに気付いてないんだ」
「は?お前は普通だよ」
「普通じゃないよ」

研磨の言う普通ってやつは、マンガでよくあるありふれた家族のことを言ってるんだろう。

「なら俺んとこも普通じゃないだろ」

それなら俺の家だって普通じゃない。

「クロは普通」
「普通じゃねえって!」
「…まぁ、なんでもいいや」

普通かどうかなんて誰が決めるもんでもない。他人から見たら普通じゃない事だとしても、俺たちにとってはこれが普通だ。

「ねぇ、クロ」
「なんだよ」
「きなこを助けよう」

それは、研磨にしては珍しく強い意思を持った言葉だった。

「でもどうするんだよ」
「それは…これから考える」

きなこがどういう状況なのかまだわかんねぇけど、

「そーだな」

知らないことはこれから知っていけばいい。少しずつきなこの事を知っていって、それから俺たちにできることを探すくらいならしてもいいだろ。