▼ 消え去った君の香
人は誰でも、ふと気付いて恐ろしく思うことがあるだろう。
それは、多くの人は失言をしたと気付いたときや、怖かったことを含む経過した時間の長い短い問わない、昔の事を思い出したときが多いのだろう。この「思い出したとき」が、私にとっては大問題だった。
ここのところ透くんに「会って」ない。それどころか頭の中から抜けていたことすらある。
今までこんなことは1度だってなかった。東京から宮城に引っ越してからも、高校受験のときも1度だって忘れたことなんてなかった。それなのに、私は今日まで忘れていたことにも気付いていなかったのだ。
「和泉さん、よかったら一緒にお昼食べない?」
ゆゆしき事態。これは、そんな言葉で収められるものじゃない。許されざる事態だ。
「あれ?和泉さん?」
こうなったのも、きっとこいつと関わるようになってからだ。
ことあるごとにこいつが話しかけて来るものだから、なにを思ったのか最近では私に話しかける人が増えてしまった。下級生からは僻みや誹謗中傷、同級生からは励ましの言葉。そしてなぜか話すようになってしまった1年の時の同級生だと言う人。
「おーい?」
これもおかしい。どうして私はあっさりと男子を名前で呼んでしまったのか。名字は慣れないと言われたからとしか言いようがないけど、そんなこと私には関係ないことなんだからいくらでも無視できたはず。
「お前いい加減和泉に絡むのやめろ」
「岩ちゃんには関係ないでしょー」
そうなったのも全部、目の前のこいつ、及川に原因がある。
「飯なら俺が付き合う」
「えー」
「てめぇ…」
責任転嫁と言われても仕方ないが、そうとしか思えない。
及川に声をかけられたあの日、練習試合を観に行ってしまった。帰っても暇だったから気分転換にちょうどいいと思って、気紛れに、軽い気持ちで行ったのがそもそもの間違いだったんだろう。
「和泉さん?」
あの日から及川はしつこく話しかけてくるようになり、あの日体育館にいたらしい一静さんに声をかけられ、あの日体育館に見学に来ていたのかいなかったのか、及川のことが好きだと言う女子に度々呼び出されて。それから、なにを思ったのかクラスの人も稀に声をかけてくるようになった。
ついで、及川さんを及川と呼ぶようになって、松川さんを一静さんと呼ぶようになった。
「大丈夫?体調悪いの?」
「いえ、ご心配頂かなくとも結構です」
その後からだ。透くんが現れなくなったのは、つい最近のことだ。どうしていままで気付かなかったんだろう。
「でも顔色が」
「わざわざご心配頂きありがとうございます。ですが体調は悪くありませんので、私のことはどうぞお気になさらないでください」
きっと及川が原因だ。
及川に話しかけられてから、透くんに言われたことがある。「いつまでもここに来るな」と。なんで透くんがそんなことを言ったのかわからなかったし、今も理由はわからない。
「そう?ならいいんだけど…」
「重ねて申し訳ありませんが、しばらくは忙しいのでお時間を作ることが難しくなってしまいます」
それなら原因たる及川から早急に離れないといけない。私なんかが普通になったらいけない。それを忘れるつもりなんてないけど、忘れかけていたのも事実。
「そうなの?俺でよかったら手伝うよ」
「結構です。及川さんのお手を煩わせるようなことはなにもございませんので、どうぞ私のことはお気になさらないでください」
及川はいらない。私に必要なのは、今も昔もこれからも、ずっと透くんだけでいい。
「和泉さん…?」
…あれ?透くんってどんな顔してたっけ?
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