▼ どこにいくの
保健室にいなかった和泉さんは、意外なことに屋上にいた。壁に背を預けて足を投げ出して、反応がなかったから寝てるのかな?
て言うかさ、鍵開いてるんだね。及川さんびっくりしたよ。屋上なんて初めて来たけど、なんにもなくて面白味もなにもない。こんなところで呼び掛けてもわからないほど寝るってなんなの?見た目と違ってあんまり気にしないの?
「和泉さーん」
授業中に寝てるなんて聞いたこともなかったし、先生からの評判も上々。期待だってたくさんされてるんだろう。もしかしたら、それが重石になって家でもゆっくりできないのかな。
「しょーがないから及川さんが見張っててあげましょう」
校内とはいえ、和泉さんは青城では知らない人がいないくらいの有名人だからね!寝てるのをいいことに良からぬことをたくらむ奴がいるのは間違いないだろう。あ、及川さんは違うから安心してね。
ひらりと風で揺れるスカートについ目がいくのを必死に阻止。和泉さん、脚めっちゃきれい…あ!違うからね!及川さんは危なくないからね!
すぐそこのグラウンドから遠く聞こえる体育の授業を聞きながら、ぼんやり空を見る。ボールに触ることもなく、こんな風にただぼんやりするなんていつぶりだろう。空をこうして見ることすら久しぶりだ。
サボったの現国なんだよな、写させてもらうのめんどくさいな、なんてことを考えてたら、和泉さんが小さく動いた。
「あ、起きた?」
俺が声をかけるとぼんやりした表情から一転、驚いたように目が丸くなった。
「女の子が1人でこんなとこにいたら危ないよ?しかも熟睡するなんて、もしなにか起きたらどうするのさ」
そう言うと状況を整理できたのか、いつもの無表情になった。しかも少しも俺を見るつもりがないと言わんばかりに顔をそらされた。
さっきみたいに、驚いた表情もかわいかったんだけどな。
「なにか起こるわけがないのでご心配には及びません」
「そうじゃないでしょ!」
そうじゃなくて!女の子がこんな人気のないところで1人無防備に寝てたらいくら学校でも危ないから気を付けてってこと!いつか事件に巻き込まれるんじゃないかって及川さんは今から心配だよ。
「岩ちゃんから和泉さんが体調不良って聞いて保健室に行ったら、まさかの誰も来てないって言われるんだもん。無駄に絆創膏もらっちゃったよ」
でも、和泉さんは事件に巻き込まれてもなにも変わらない気もする。汚されそうになっても殺されそうになっても、それを受け入れてしまう予感がする。
「本当に具合悪いなら保健室行く?」
「大丈夫です。ありがとうございます」
「家で眠れないの?」
「いいえ、そのようなこともなく日々健康に過ごしております」
「ならいいんだけど…」
これだって本当かどうかわからない。
体感なんて人それぞれだから申告を信用するしかないんだけどね!
「俺も授業休んじゃったし、時間がくるまで話でもしようよ」
3時間目が終わるまで、あと20分。
「話すことはなにもありません」
「でも黙ってるのも不自然じゃない」
「そうですか?」
「それに俺が和泉さんと話したいのっ」
「そうですか」
「俺ね、聞きたいことがあるんだ」
聞いたところで答えてくれないかもしれない。なんせ俺は和泉さんが聞かれたくないと思ってるだろうことを聞くんだから。
「和泉さんの昔のことを聞きたいんだ」
「なにもおもしろいことなどありませんよ。普通の子供でした」
おとなしくて手のかからない子供ってやつだったんだろうか。
「和泉さんと「とーるくん」のことを教えてよ」
俺が聞きたいのはこれ。そう言えば、和泉さんは弾かれたように俺を見る。
「別に無理に話してくれなくてもいいけど、好きな子の事はどんな些細なことでも知りたいもんなんだよ」
「あなたに教えることは、何ひとつありません」
「事故の事じゃなくていいんだ。和泉さんが小さかった頃、どんな風に過ごしてたのか知りたいんだ」
和泉さんの心を繋ぎ止めるそいつが知りたい。だけどそいつはもう世界のどこを探しても見つからない。だって死んでるんだもん。そっくりさんがいたとしてもそいつじゃないし、似てるからって和泉さんに興味をもってもらえるかなんてわからない。
しばらく目があったまま黙ってしまったけど、和泉さんは1つため息をついた。それから、思い出すように高い空を見つめながら、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「…どこにでもいる普通の子供でしたよ。私は部屋にいるよりも外で遊ぶ方が好きでした」
「意外、おてんばだったんだ」
「お転婆どころか、近所の悪ガキを叩きのめすくらいには粗暴でした」
え、意外なんてものじゃないんだけど。今の和泉さんからまったく想像がつかない。
予想外の言葉に和泉さんを見ると、話している本人は空を見つめたまま、どこか愛おしむように言葉を紡いでいく。
「そして私が叩きのめしてた悪ガキが透くんでした」
しかも「とーるくん」悪ガキだった!
「家が近所だった事もあり、一緒にいる機会は多かったです」
話す和泉さんとは、目が合わない。いつかと同じようにただ遠くを見ている。
あの時も、こうして思い出していたんだろうか。
「仲良かったんだ」
「あの頃は四六時中一緒にいましたね。不安で目を離せなかった感じでしょうか?」
「そんなに酷かったの?」
「相手が歳上だろうと納得できなければ食って掛かって、口も悪くて、ついでに態度もあまり良くはなかったです」
…なんだろう、うっすら岩ちゃんが出てきた。態度は狂犬ちゃんなんだけど。
「言っても聞かないときは武力行使もありました」
「え、和泉さんが?」
「はい。当時は女子の方が男子よりも成長が早いので、透くんと喧嘩になっても必ず勝ってました」
頭の中で岩ちゃんが和泉さんに負かされる絵になった。すっごい絵面。
「でも本気で殴られてなかったのだろうと、今だから思います」
まぁ男として女の子をホンキで殴るなんてあり得ないよね。
「いつだったか、迷子になって隣町まで行ってしまい、2人で怒られたこともありました」
何を思い出してるのかはわからないけど、きっとすごく楽しかったんだと思う。そうでもなかったら、そんな愛おしそうに大切に話すわけがない。
「悪ガキでしたけど、不思議なことに透くんは人から愛される人でした」
岩ちゃんも後輩からは慕われてるし、嫌われてるわけでもない。
もう「とーるくん」が岩ちゃんにしか思えなくなってきたんだけど。どうしてくれるのさ。
「でも、透くんはいなくなりました」
空気が変わったのがわかる。
じとりと張り付くシャツが不愉快だけど、そんなことを気にする余裕がない。
「あれはうだるように暑い雨の日、7歳の時の事でした。季節は今とほとんど変わらないでしょう。蛙を捕りに行った帰りでした」
「都会にも蛙っているの?」
「いますよ、同じ日本なんですから」
蛙ってどこにでもいるんだ。都会にはいないイメージがあったけど、それは変えていかないといけないかな。
「雨の日に、遊びになんかでなければよかったんです。あの日だけでも、おとなしく家で遊んでいればよかったんです」
泣きそうな顔をして口を開く和泉さんは、苦しそうなんてものじゃなかった。きっとその日が和泉さんを今も縫い留めてる。
「カッパを着ていたから、透くんと話していた私には後ろから来てたトラックは見えなかった。それに気付いたのは、私と話していた透くん。あの日に限って、通りに人はいなかった」
「ごめん、いいよ」
「及川はこれが聞きたかったんですよね?ならお話しますよ」
目が合って後悔するって、なんなんだろうね。
顔は笑ってるけど、蔑むような憎むような歪なもの。哀しみなんて言葉で言い表せないほどに暗く澱んだものがそこにある。それでいて静かに煮えたぎるものがあるのもわかる。
そうじゃない、俺は和泉さんのそんな顔を見たかったわけじゃない。
「居眠り運転だったそうです。私を突き飛ばして、透くんは私の代わりに轢かれました。パニックになった私は人を呼ぶなんて考えが回らず、座り込んだまま動けなくなっていました」
想像したくもない。隣にいた人間が、目の前で突然いなくなるなんて。
「信号に突っ込んで止まったトラックからは煙が出て、周囲にはガラスが落ちてました。じわりと地面が赤くなっても、意味がわからないままでした」
そんな現実を、たった7年しか生きてないのに突きつけられた。それがどんなに重く大きな事だったのか。やっぱり想像もつかないけど、それでも子供の心を壊すには十分すぎる衝撃だ。
「ついでなのでこれもお話しましょう」
ふと立ち上がった和泉さんの表情は見えない。
「あの当時、透くんと結婚しようって話をしていました。よくある子供の約束です。だけどそれを嘘にするよりも反故にするよりも早く、透くんはいなくなってしまった」
声だけじゃ和泉さんの表情はわからない。
「ごめん、和泉さん」
俺は何がしたかったんだろう。
「なにも及川さんが謝ることはありませんよ。他人の不幸ほど甘美なものはありませんからね」
そう言われて、泣きそうになった。
子供の気持ちなんて俺にももうわからないけど、子供だってそれなりに覚悟して結婚しようって言うはず。言葉の意味も重さもわからなかったとしても、子供なりに本気だ。だからこそ和泉さんはその日から動けなくなってる。
「それでは失礼します」
屋上を出ていく和泉さんに、俺はなにも言えなかった。なにを伝えればいいのかもわからない。
それでも、和泉さんは「今」を生きてるんだよ。
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