▼ それは難解な個性


「なー松川さんや」
「なんだい花巻さんや」

朝練終わり、着替えながら花巻に声をかけられた。
ふざけた呼び方のくせにいつもより潜められたそれに、どこか違和感を感じずにいられなかった。

「及川が恋してるんだとよ」
「…へぇ」
「なんだよ、驚かねぇの?」
「いや、驚いたけど」

そんな話なら声も潜めるか、なんて妙な納得をしながら、それ以外の言葉が出なかった。
及川はやたらめったらとモテるけど、彼女を作ったなんて話は1度も聞かなかった。だから、及川はバレーに青春を捧げるものだと勝手に思ってた。それがどうだ。俺が知らなかっただけで、ちゃんと高校生らしい青春も送っていたらしい。

「相手誰だか知ってる?」
「いや、今初めて知った俺が相手知ってたら怖くね?」
「知ってたからその反応なのかと思った」
「残念ながら初耳。誰?」
「和泉」

その名前に、ついに言葉すら出なかった。
前置きもなにもなしに名前だけ出したと言うことは、俺も知ってる和泉で間違いないんだろう。

「及川があの和泉に片想いとか面白くね?」

しかもそれなりに甘酸っぱい青春らしい。

「面白いって言うか、意外かな」
「だよな」

不思議なことに何度告白されても、相手が青城のアイドルとか呼ばれていようとも付き合うことがなかった及川。花巻や他のやつから聞いた話だと「バレーに集中したいから」そんな断りの言葉ばかり聞いていた気がする。
それがまさか、想い人がいたとは夢にも思わなかった。

「なぁ、なんで和泉なのか聞いた?」
「さぁ?でも気になるのは和泉だけだってよ」

確かに綺麗なタイプだとは思う。1年のときは、まさかこんな美人と同じクラスとかラッキーくらいには思った。他のやつもそれなりに気にしていた。
始めのうちこそ声をかけるやつも多かったがそれは次第に少なくなって、1ヶ月もすれば和泉に話しかけるやつは1人としていなくなった。いじめとかそんなのじゃなくて、和泉が溶け込むのを拒絶したからだ。
その頃から、どこからともなく聞こえるようになった噂がある。

和泉加奈枝は人を殺した、と。

昔から火のないところに煙は立たないなんて言うくらいだから、何かしらあったんだろうとは思う。それでも、あまりに突拍子のない噂だった。

「なんで和泉なんだろーな」

花巻の言うこともわかる。いいなと思うことと、知りたいと思うことと、近付きたいと思うこと。どれも似てるようでまったく違う。

「お前もいいなと思ったことくらいあるだろ?」
「一瞬だけな」

花巻は、いいなと思っただけ。まぁ、あれだけの美人だ。和泉を見たことがある人なら、誰でも1度くらいはそう思うだろう。でも、それ以上でも以下でもない。
たぶん及川は近付きたいって意味で気になってるんだと思う。直接聞いてないから知らないけど。

それで、俺は知りたいと思った。なんでひとりを選んだのか、どうしてそんな物騒な噂が出たのか。きっと本人に聞かなきゃわからないだろう。だからといってそう簡単に声をかけられるものでもない。

「でも他の奴らもそんなもんだろ?」
「だろうな」

和泉に近付こうとする人は少なくない。それでも、誰も不用意に近付かない。なぜならひっそりと噂になってるからだ。遠くから眺めるだけで、けして手折ってはいけない高嶺の花と。和泉は、近付いた瞬間、蜃気楼のように目の前から消えると。同時に、癒えることのない深い傷を負わされると。

それも噂にすぎないケド。

「和泉なんかほっとけばいいのにな。他にいい子いっぱいいるじゃん…くそ、なんで及川がモテるんだよ。バレー除いたら顔だけのくせに…ムカつく」
「それは否定しない」

そんなことを言われても、及川同様、俺もなんとなくほっとけなくなってるんだから仕方ない。きっと和泉のことを知りたいと思ったことがそもそもの間違いないんだろう。


  
back