矢巾

「柏手さん!今帰り?」

普段滅多に関わらない柏手さんを見付けて、俺は迷いなく声をかけた。

「そー。矢巾部活は?」

眠そうなとろんとした瞳。顔に影を作る程に長い睫毛。染めてるのか天然なのかわからない栗色の髪。パッと目立つ方ではないけど、笑うと全体的にふにゃりとしてかわいい。
あんまり笑うの見ないけど。俺に笑ってくれることなんて1回もないけど。

「今日は休み」
「そうなんだ。なんか、運動部って祝日でもなんでも休みがないイメージだった」
「そう言うとこは多いんじゃないか?でもうちは毎週月曜が休養日」
「毎週?」
「練習ってのはただがむしゃらにやってもダメなんだよ。たまに休まないと怪我に繋がるし」

とは言っても、ただで休めるもんでもない。言われたことそのまま言っただけだし、なにより練習が足りないと思ってるんだから仕方ない。
俺以外にも別の場所で練習しようと考えてるやつはいるだろう。

「疲労骨折とか?」
「さすがにそれは滅多に聞かないけど、肉離れとか関節が炎症起こすかな?」
「ふぅん」

知っている言葉をなんとなく言っただけなんだろう。興味なさそうな返事が返ってきた。
ああこの感じ、なんとなく国見と話してるときの感覚に似てるかもしれない。比べるまでもなく柏手さんの方がかわいいけどな。

「せっかくだしどっか遊びいく?」
「矢巾と遊んだりしたら明日がめんどくさそうだからやだ」
「なんだよー」
「矢巾のこと好きな子から睨まれるの、めんどくさいんだよ?」

そこは怖いじゃないんだ。

「あと勘違いされたら困る」
「誰が?」
「私が。そんなことになったらとっても迷惑」

んん?

「なに?柏手さんには勘違いされたら困るような相手でもいるの?」

まさかな。そう思っていたのにそれは当たっていたらしい。
とろんとした目も長い睫毛が作る影もさっきとなにも変わらないのに、頬だけがほんのり赤くなった。風に遊ばれる髪を乱雑に手で抑えるのが、何故か照れ隠しのように見える。

「そんなの矢巾に関係ないでしょ」
「え、マジで?」
「じゃあね」

すぐに追えば、早足で逃げる柏手さんに追い付けないことはなかった。目付き同様あんまり俊敏な動きができる子じゃないから。それなのに足は少しも動かせなかった。
柏手さんを追えなかったのは、いつからか知らないうちに俺の中にあったものに気付いたからだったのか。

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