空閑遊真という人は、何もかもが突然だ。
突然現れたと思ったらいつの間にか仲良くなっていったし、あぁいい子だなぁって思ってたら突然告白されてしまった。熱烈な部隊勧誘に困っていたら颯爽と助けてくれて、注目の視線から逃れたと思ったら突然お姫様抱っこされてしまったり。結局押しに押されてお付き合いが始まったと思ったら、突然嫉妬なんかされて名前を呼ぶように言われたりもした。
普通の人相手なら何となく感じる感情の機微みたいなものが、私ってそんなに空気読めないかなって不安になるくらい、薄い。
「……い、今、何を」
「キスってこうじゃないのか?」
きょとんとした顔が眼前にあって、理解が追いつかない。
今日はただ、私が非番だからと自宅でゆっくりしていただけだ。連絡が来たから家にいると答えたら遊真は自宅まで来てくれて、そのまま部屋で寛いでいる最中、だったはず。
ベッドを背もたれ代わりに座っていた私は雑誌を開いていて、遊真はベッド傍の本棚から色々取り出しては見て遊んでいた。待って本当にわからない。それから何がどうなってこうなったの?
と思ったら、遊真が本棚から出してベッドの上に広げていた漫画が目に留まる。いわゆる少女漫画が一冊、どこかのページを開いたまま伏せられていた。
「……これ、見て真似たの?」
「うん。女の人は不意打ちに弱いのか?」
「うーん……好きな人も苦手な人もいるんじゃない?」
「じゃあ名前は?」
純粋な疑問を向けられても、さっきの今だと何て答えればいいんだろう。嫌ではなかった、けど。驚いたし心臓に悪いしなんというか。好きかと聞かれればそれにしてはもう少しなんというか、雰囲気とか、その。
「……難しいなぁ。どっちでもない、かも」
「ふーん、そうか」
私の答えに納得したのか遊真は再び伏せていた漫画を手に取る。少女漫画は確かにときめくし色々と楽しいんだけど、それを遊真が参考にしてしまったら、とても心臓に悪そう。ベッドに散らかった漫画を見ながら後でちゃんと片付けてね、と言えば、わかってる、と言いながらも視線は開いたページに向けたままだった。
……これ、ファーストキスの余韻としてどうなの……?
*
と、思っていた私が甘かった。
その日を境に遊真とキスをすることが増えた。それだけならいい、恋人らしいスキンシップが増えたのは悪いことじゃない。お互いに好きで付き合ってるんだからそれは厭うことじゃないはず。
問題はその、タイミングと場所だ。
私は経験豊富なわけじゃないから、そういう空気みたいなのはわからない。ましてや相手は遊真だ。遊真がそういう気持ちになる時なんてさらにわからない。だから本当にふとした瞬間に、キスをされる。
例えば遊真に会いにいった玉狛支部の屋上で、とかはまだ良い方だ。油断していると本部で会って一緒に帰る途中の警戒区域の中で、もあった。一番心臓が縮み上がったのは、ボーダー本部の廊下の隅。まるで突然吹いた風が私の唇を撫でていくように掠めとられるキスだった。
私はその度に慌てふためいたものだけど、遊真はけろりとしていた。悪いことなんて何もしていないと言うように平然としているものだから、何度目かの、帰り道の途中でのキスの後に遊真に宣言したのだ。
「……しばらく、キス禁止」
「え? なんで?」
「外でこういうのはよくないと思うから」
「家ならいいの?」
「……だ、だめ」
「なんで」
突然の禁止宣言に対して思いの外食い下がる遊真。私の言い分に納得して無いのはわかるし、私も無茶を言っている自覚はある、けど。
「遊真はもっと、キスの大切さを考えるべき」
だから、と言って私は遊真の顔を見れないままに再び足を踏み出した。遊真はそれに対して何も返事をしないまま私の後に続く。
なんか、なんだろう、自分でもわからないけど嬉しいし嫌だったんだ。最初はもっと少女漫画みたいだなってときめいていた筈なんだけど、段々と遊真の突然のキスに慣れていくのが、嫌だった。
結局遊真は私のその宣言を聞き入れてくれたようで、その日を境にぱったりとキスをしなくなった。手を繋いだり、他愛もない話をしたり、一緒に帰ったり。そういう、いわゆる健全なお付き合いの日々が再び戻ってきたのだ。
――の、だけど。
「……本当に、全然、しないんだ……」
一週間。たかだか七日間なのに先に音を上げたのは私だった。
毎日何かしらの機会に遊真にキスされていたのが無くなっただけなのに。本当に何なんだろう、遊真ってなんであんな簡単に私にキスしてたんだろう。遊真にとってはキスってそんな軽いものだったのかな。だから私が禁止って言ってから七日間そのままでも平気なのかな。
だったら、やっぱり――だめだ、暗いことしか思い浮かばない。
気晴らしに漫画でも読もうと本棚から一冊を取り出した時だった。違和感を感じて見てみると、表紙の折り返しがしおりの様にページに挟まっている。もしかして遊真がどこまで読んだかを残しておくためにしたんだろうか。そう思って開かれたページから何の気なく読み始める。
“そうやって試すのは、俺を信じてないからだろ。”
一番最初に目に入った台詞が脳裏に焼きついた。どんな話だったっけ、と思うけどその先の展開から目が離せない。
“違うよ、だって、私は好きでも我慢してるのに、”
“別に我慢しようなんて俺は言ってないじゃん。”
確か付き合いを始めた主人公が人気者の彼と距離を置こうとする話だったはずだ。付き合っているって主張したくて、だけどそうすることで彼の枷になりたくなくて。だから主人公は付き合ってることは秘密にしようって彼氏に持ちかけるんだ。彼氏は納得していない様子だったけどそれを了承していて、だけど結局そうすることで、いつも通りの彼氏の姿を見てやきもきしてしまう主人公。
“別に平気なんでしょ、私がいたっていなくたって変わらないじゃない!”
なんだろう。喧嘩している内容は全然違うのに。何かが似てて、見ていて凄く苦しい。泣き始めた主人公を見て彼は、苦々しげにこう呟くのだ。
“……俺の気持ちを勝手に決めるなよ。聞いてもないくせに。”
遊真が初めてキスした時は、確かに唐突だった。だけど、そういうのが嫌いかどうかってちゃんと聞いてくれた。キス禁止って宣言した時だって、どうしてとか、色々聞いてくれた。
じゃあ私は、遊真の気持ち聞いたことあったかな。
どうしてあんな風にキスしてきたのか、とか。どうしてそんな平然とキスしてくるんだとか。私、あんな無茶な事言う前に出来たこと、あったんじゃないのかな。
でも、と考えそうになる思考を頭を振ってどうにか誤魔化す。今を逃したら言い訳をしそうだったから、手元の端末を取って深呼吸。
もう夕飯も済ませた時間だろうけどもしかしたら部隊のミーティングがあるかもしれない。そう最後の言い訳をしてメッセージを選ぶ。内容は、会いたい、ってことだけだ。
送信ボタンを押せば、相手にメッセージが届いてしまった、はず。今更取り消すことなんて出来ないから、じわじわと後悔の気持ちが浮かんできた。送ってしまった、やめとけばよかった、怖い、とぐるぐるしていると、すぐにぴろんと間抜けな電子音とともに返信がディスプレイに表示される。
“わかった”とたった一言だけ。
どうするのこれ、遊真今どこにいるの。せめて何時位とか、何処で会おうとか、ないの。これはどうやって返信すべきかと悩んでいると、ぴんぽん、とチャイムの音。まさか、と思って慌てて玄関へと走って言って扉を開けばそこには遊真が立っていた。
「よ」
「……、お、つかれ?」
「うん。で、どうした?」
遊真の真っ直ぐな瞳が自分に向くのがとても怖くて、私はそれを誤魔化すようにとりあえずは家にあがるように促す。部屋に通せば、遊真は当然のようにベッドに腰掛けて私を待つ。だから私も隣に座ればいいだけなのに、いざ話そうと思うとどうしたらいいかわからない。
迷った末に私は、おずおずと遊真の向かいの床に腰を下ろした。
「……なんでそこに座るんだ?」
「え、えーと、あの、ね」
何から、話せばいいのか。頭の中を整理できないままこんな状況になってしまった。
それでも私が何かを話そうとしているのがわかったのか、遊真は黙ったままだ。怖いけど、話さなければ何も始まらない。大丈夫。どうしてって聞けばいいだけ。
少しだけ泣きそうになりながらも、私は一度深呼吸をしてから口を開いた。
「あの、ね。どうして、私がキス禁止って言ったのに、何も言わなかったの?」
聞いて、しまった。再び後悔の気持ちが湧き上がる。
別にキスできなくても困らないとか言われたらどうしよう。いやでも、そんなこと面と向かっていうかな? うん、遊真なら言いかねない。
返事を待つ間ばくばくと早鐘を鳴らす心臓の音に耐えていると、ふむ? と遊真はこてりと首を傾げる。
「名前が言ったろ、キスの大切さを考えろって」
「え、……うん」
「じゃあ名前にとってはどうだろうって、わからなかったから」
なん、だろう。改めてそう聞かれると自分でもよくわからない。口走ってしまった言葉に今更なんと言い訳したらわからなくて、私は逃げるように続けて疑問を口にする。
「遊真は、何であんなキスしてても平気なの?」
「平気って?」
「ぜ、ぜんぜん緊張したりとか、照れたりとかしてない、し」
「そう見えるのか? これでも最初は緊張してたぞ」
「う、嘘だ」
「嘘ついてどうするんだ?」
う、嘘をついて、どうするんだろう。私を騙そうとしてる? 違う。遊真がそういう人じゃないって私は知ってるはずなのに。
でも、緊張してた割には平然とまた漫画読むのに戻ってたじゃないか。
「遊真、キス禁止ってなっても、平気そうで」
「そうか?」
「別にキスできなくたって困らないんじゃ、ないの?」
「じゃあ逆に聞くけど、名前はキスしたくないのか?」
散々疑問を投げていたら、突然遊真にそれを打ち返されてしまった。真っ直ぐに問われたその質問に再びどう答えていいかわからなくなる私。したくないわけじゃない、けど、したいって言っていいのかわからない。
「だ、だって、私、精一杯なのに。遊真は、あんな簡単に、するから」
「質問に答えてないぞ。おれ名前からキスされたこと一回もないけど?」
これまでとは一転して、遊真の口調が段々と私を責めるようなものに変わる。じとりと私を睨む遊真から目を逸らせば、響いたのはふぅ、と小さなため息の音。それがとても胸に刺さって、痛い。怖い。
「別におれだって簡単にしてるわけじゃないよ」
「……」
「それでもしたいって思ったから、してるだけ。なんでそれがダメなのかわからん」
拗ねたように唇を尖らせた遊真は一度言葉を切った。様子を伺うような視線を感じて居た堪れないけど、言葉が出てこない。遊真の言葉を心の中で繰り返して、もう一度落ち着いて考える。
私はきっと、遊真があんまりに平然としているからキスの真剣さを疑っていたんだ。軽い気持ちだからあんな風に何度もキスできるんだって思い込んで、だから嫌だった。
けど、遊真が平気じゃないって言うなら悪いのは私の方じゃないか。
初めてのキスの後、遊真が漫画を読み始めたのは照れくさかったからなのかな。よく考えたらそれだって、漫画を参考にしたみたいな言い草だったし。キスの度に平然としてるのは、漫画の彼がそうやってかっこつけてたからだとしたら? それに遊真は、私がキスの大切さを考えろなんて無茶なこと言ったのに、私がどう考えてるのかって真剣に向き合おうとして、くれたんだとしたら。
「……ご、めん」
「……それは、何に対してだ?」
「わ、がままというか、勝手に誤解してた、みたいだから」
浮かんだ言葉はごめん一つだけだった。じわりと泣きそうになるのを必死で耐えていると遊真はもう一度ふぅと息を吐く。
厭きられて、しまっただろうか。怯えていると遊真は私の目の前にしゃがみこんで、目線を合わせるように私の顔を覗きこむ。怖いけど、私はおずおずとその瞳を見つめ返した。
「名前が考えてたこと、やっとわかった」
「……う、ん」
「普段からちゃんと言ってくれ。言われないとおれはわからん」
静かに頷いて、もう一度ごめんなさいと言えば、遊真はもういいよと笑ってくれた。前と変わらない笑顔が自分に向けられることに安堵したら気が抜けて、じわりと滲んだ涙がそのまま溢れて一筋零れてしまう。
「……で、どうするんだ?」
「え?」
「キス禁止はまだ続くのか?」
からかうような笑顔で私を見る遊真。ばつが悪いけど今回悪かったのは私だし、遊真も私がキスを求めないことに不安を感じていたことを知ってしまった。
だとしたら、私ができる事はひとつしかないじゃないか。
「……、あの、ね」
「うん」
「……キス、したい、です」
おずおずとそう請うれば、遊真はゆるりと笑って私の頬に手を添えた。瞼を下ろして待てば、唇にふれる懐かしい温かさと柔らかさ。それはあっという間に離れていってしまう。
「満足したか?」
「……うん」
嘘だ。不安が全部溶けて無くなった今、もっと触れたくてたまらない。だけどそれを求めることは、はしたないような、我侭なような気がして。
遊真の問いに渋々と頷けば、遊真はにたりと笑ったのだ。
「名前、可愛いウソつくね」
心の内を見透かすような眼差しにどきりとしていると、再び重ねられる唇。それは触れて、離れたと思ったらまた触れられてを何度も繰り返す。柔らかく唇を吸われたり、舌先で舐められたりと戯れるようなキス。
唇がしっとりと潤う頃にようやく離れた私達。遊真は私の瞳の奥まで見据えながら、柔らかく私を咎める。
「ちゃんと言えって言ったばっかりだぞ」
「……ごめん」
「謝るだけじゃ駄目なんじゃないか?」
紅い瞳は目の前で静かに輝いていて、とても綺麗だ。覚悟を決めて、勇気を振り絞った私は最後にもう一回。
今度は自分から、唇を遊真のそれに重ねた。
大切だから、形にしよう。
(Special thanks 粒々様!)(台詞「お前、可愛い嘘つくね。」)
(したい時にするってのはやっぱりこのシリーズの空閑さんじゃないと!)
(ネタ提供ありがとうございました!!)