おれにとって三門市散策は日課みたいなものだ。勿論、防衛任務とか他の用事がない時に限るけど。
ボーダーは、ネイバーから市民を守る為の組織だ。市民に危機が及ぶ事態はなるべく避けたいと考えているし、その為に今は惜しみなくおれのサイドエフェクトを活用して情報を共有している。基地を中心に各方面を一人で散策するのは骨の折れることだけど、できることをできるうちにしておかないと後悔するのは自分だと知っている。
他の奴らみたく大学に通っていないおれは時間はたっぷりあるし、大勢の人間が活動する日中の方が視えるものも増える。それを日毎に地区を変えてやっているだけなのだから、何ら他意はない。
例えばそう、散策の合間にちょっと公園で一休みなんてしていて、ベンチに腰をおろして辺りをぼんやりと眺めていた先に通りがかった女性。その姿をきっかけに映し出された不幸な未来を視てしまったことも偶然だ。
ばちりと瞼の裏に瞬いたのは女性が道路脇の水路に片足を突っ込んでいる映像。へたりこんだ女性の片足には脱げかけのヒールのストラップが引っかかっていて、なんだろう、もしかして転んだのかもしれない。
ぱちり、もう一度瞬きをすればぐらついた彼女がそのままフェンスの下へと消える。同時にざぽんと水音が聞こえてきて、あぁ、確定だったか、と腰を上げた。とりあえずはフェンスにまで歩み寄れば、その向こうには視えた通りの姿があった。
「大丈夫ですか、苗字さん」
「……え、迅、さん?」
前回会った時は、そうだ、通りで水をかけられていた。その前に会った時に車で轢かれかけた彼女を助けていたから、お礼にということでコーヒーショップに連れてって貰ったんだ。
「転んだんですか?」
「……すみません、みっともなくて」
恥ずかしそうに顔を俯かせて彼女は転んだ拍子に散乱したのだろう荷物を拾い集める。おれはフェンスを飛び越えてそれを手伝いながら、大きな怪我がないか彼女を観察した。多分おれが声をかける前に水路に浸かった足を引き上げたんだろう、道路には小さな水溜りと染みが出来ていて、投げ出された靴はヒールが折れていた。
つまり道路脇を歩いている最中にヒールが折れて、その勢いでバランスを崩して転び、あげく片足を用水路に突っ込んでしまったのか。と、再びちかりと彼女の少し先の未来が視えた。松葉杖をついて歩く片足に、巻かれた包帯とギプス。刹那彼女と視線が絡んで、反射的に拾っていた彼女のポーチを差し出した。
「ありがとうございます」
それを受け取って笑顔を返したかと思うと、彼女はよろよろと立ち上がる。片方のヒールはまだ無事だから両足の高さの違いにバランスを崩したようにも見えるそれ。だけどよろめいている理由はそうじゃない、と推測したおれは彼女の肩を支えた。
「足、痛くないですか?」
「少し痛いですけど……歩けない程じゃないので」
「肩貸しますから、このまま病院行きましょう」
多分無理させたからあんな松葉杖が必要な未来になってしまうんだ。こういう処置は早い方がいいからと協力を申し出れば、そこまでじゃないですよ、と案の定それをやんわりと拒絶されてしまう。
「今日の仕事が終わったら、病院行きますから」
「その頃には病院閉まってます」
「……え、っと?」
「すぐ近くに整形外科ありますから、そこにしましょう」
「でも、会社に戻らないと」
「怪我したんだから断って半休なりもらってください」
実際にちらついたのは、残業だったのか夜遅くになって道端を歩く彼女の姿。携帯で最寄の病院を調べているけど結果が思わしくないことが表情から伺える。結局彼女は一度溜息をついてそのまま携帯をしまうと帰路に着く、未来だ。ダメだ、そのままだと本当に悪化してしまう。
「おれ、こういう怪我見慣れてるんです。すぐ病院行かないとマズイですよ」
見知らぬ他人に言われたとあったら少し迷うところなのだろうけど、幸か不幸かおれと彼女は面識があった。だから多分、悪人とは思われていないんだろう。真剣なおれの表情を見て、彼女も考えを変えたのかわかりましたと小さく頷く。
「えっと、お手伝いしてもらってもいいですか」
「勿論です」
快く引き受けて、彼女に肩を貸しながらゆったりと整形外科へ案内する。その道すがらおれに断った彼女は会社に連絡するといって携帯を取り出した。
道端で転んだら、医療従事者に怪我を指摘されて病院に向かっている。そう聞こえてきた台詞に、医療従事者っておれかと小さく笑う。無事に許可が下りたらしく、彼女は通話を切ると同時に胸を撫で下ろした。
「おれ、医療従事者じゃないですよ」
「その位に言った方が、上司には説得力があるかと思いまして」
少しだけ悪戯が成功したかのような笑顔が返ってきて、今度は声に出して笑った。三度目の今はもう他人の気がしなくて、多分互いに気が緩んだんだろう。彼女も二度あることは三度あるんですねぇ、なんて面白そうに呟いている。
そうしてどうにか病院に辿り着くとすぐに彼女を院内へと押し込んだ。ここまでありがとうございました、と頭を下げる彼女が病院に入るのを見届けてから、さて、とまた視えた未来の為におれは一度その場を後にした。
*
「あ、あれ、迅さん?」
「あぁ、よかった間に合った」
ギリギリだと思ったけれど、案外丁度良かったらしい。戻ってきて病院の中を覗けば丁度会計を済ませた彼女が振り返った瞬間で、おれの姿を確認した苗字さんはまばたきして不思議そうにおれを眺めている。
「何か忘れ物でも?」
「あぁいや、とりあえずこれをと思いまして」
買ってきたばかりだけど店員にタグは外してもらったから大丈夫だろう。一応履けない未来は視えなかったからサイズも問題ないはずだと、新品のシンプルな女性用の靴を見せれば不思議そうに首を傾げる彼女。
「片方ヒールの折れたあの靴で帰ったら、余計悪化しますよ」
「え、え?」
「これ使ってください。今日家に帰るまでだからセンスは文句言わないで下さいよ」
病院の玄関にその靴を置いて、代わりに隅に置かれていた彼女のよれた靴を取り上げる。手元の袋にそれをしまったあたりで苗字さんはようやく状況を理解したのか、そ、そんな悪いです! と焦ったように病院のスリッパをパタパタと鳴らして駆け寄ってきた。
「ちょ、足痛めてるんだからそんな慌てたらダメですよ」
「あ、すみません、いえ、違うそうじゃなくて」
まぁ、そうだよなぁ。普通は遠慮するよなぁとは勿論わかっていたけれど、何故かこれは拒絶される未来が視えなかったというのと、もう一つ。
「三度目の正直って言うでしょう?」
「はい?」
「一度目は車に轢かれかけるし、二度目は水かけられておれにお茶をご馳走する羽目になった」
きょとんとしている彼女はおれの言いたいことがわからないらしく、仕方ないなとおれはもうちょっとだけ言葉を噛み砕く。
「一度も二度も不運な苗字さんだから、三度目位はちょっとしたラッキーがあってもいいと思いませんか?」
不運は少し言いすぎかとも思ったけれど、当の本人はしばし瞬きをするばかり。そうして意味を理解したらしく、肩を震わせたと思ったら結局耐え切れなかったのか吹き出した。
「ふ、不運って言われちゃうなんて、ふふ」
「初めて会ったのちょっと前で、三回全部会うたび不運って凄いですよ」
「そ、そうね、毎回みっともないもんね、私、ははは」
ツボに入ったらしいが、玄関とはいえ病院内だから声を抑えて笑う苗字さん。何なら自宅までエスコートしましょうか? と大げさに腰を折って見せれば、それがさらに面白かったようで、苗字さんは吹き出してしまった。
少しして息を整えた彼女ははぁ、と息を吐いてからおれに笑いかける。
「確かに最近ツイてないなーとは思ってたんだけど」
「自覚はあったんですか」
「ねぇ迅さん、もしかして年下ですか?」
「多分。おれ19です」
「ってことは最初に会った時は私を年下だと思ってましたね?」
「……えぇ、まぁ、正直」
「名刺渡した途端しまった! って感じで敬語になってましたよね」
あぁ、一応自然に口調を変えたつもりだったけど違和感に気付かれてしまっていたのか。彼女は何処となく危なっかしいというかそういう幼さを感じるから、逆にこちらが油断してしまうらしい。そういう隙にきちんと気付いて、それでも気付かないフリが出来る位には向こうが上手のようだ。
「今回は、お言葉に甘えさせてもらいます」
そう言って彼女はおれが用意した靴に足を差し込んで、おれがぶら下げていた彼女の靴の入ったビニール袋を受け取った。
「迅さん。三度目の後ってどうなると思いますか?」
「四度目ですか?」
それは、何について尋ねているのだろうか。今度はおれが彼女の意図を汲み取れず言葉の続きを待てば、これまでの静かで優しい笑みとは違う、楽しそうな笑顔で苗字さんは告げる。
「もし次も会えたら、最初みたいに敬語使わないで下さいよ」
「え?」
「私年下に見えるんだ、ラッキー、って幸運に変えてください」
彼女が提示した幸運は本当にささやかなものだと思ったけど、女性にとってはそのくらい年齢は気にかかるものなのかとそれを了承する。結局自宅に送ろうと申し出たのはそのまま流されてしまって、病院前で互いに別れを告げた。
変わらず彼女と再会する未来は現段階ではうすぼんやりした映像だったけど、きっとまた近いうちに会うんだろうなと予感があった。その時は彼女を年下扱いしなければいけないのかなんて可笑しな心配をしながら、おれは日が暮れはじめた薄紫の空を眺めて帰路についた。