もしかしてバチでもあたったんだろうか。
いや、単純にあの数週間が特別だっただけ。普段なら、何事も無く市民の平和を確認してめでたし、の筈。だから苗字さんに会えないことの方が日常だ。
胸元には今も折り畳まれたハンカチが入っていて、だけど返したい相手にはずっと会えないまま。せっかく会えたあの機会を蔑ろにしてしまった報いなんだろうか。
彼女との未来は出会う直前、唐突に明確な予知となって現れる。それって本当に凄い可能性だったんだろうと思うようになった。きっと一般人の彼女とおれなんかの人生が交わる未来なんてなくて、偶然おれの気まぐれとか彼女の不運とかが交差しただけ。
あの邂逅はどれも奇跡みたいなもんだったんだ。そうらしくもないセンチメンタルに浸りながら、公園のベンチに座って青空を見上げる。
――平和だ。とても。憎たらしいくらいに。
焦燥感に駆られる理由なんて気付きたくもないし認めたくもないけど、これくらいは言葉にしてやってもいい。そうだな、端的にいうなら。
気になっているんだ、彼女の未来が。目の前で突然灯る、不確かな未来の可能性を瞬かせる彼女を、もっとちゃんと視たいと思っているんだ。
ばちり、見慣れた感覚は悔しくも待ち望んでいたものだった。視えたのはただ偶然、本当になんの不運もなく目の前を通り過ぎる姿。そんなまさか、どうして、と瞬きして気付く。とっくに目の前の人物がおれに笑いかけていたことに。
「どうしたの? 目開けながら寝てた?」
苗字さん、と普通に名前を呼びたかったのに、口の中が乾いていて掠れた声が途切れてしまった。そんな情けないおれを見て、何か飲む? と伺う苗字さん。自販機あっちだよ、なんて平然と指差しておれを誘う。
完全に不意打ちをくらったおれは上手い言葉も見つからず、黙ったまま立ち上がれば苗字さんは先導して自販機へと歩いていく。背中を追いかけて、ぼんやりしたままジュースを買って、二人揃ってベンチまで戻ってきて。何故か二人、並んで座った。
「迅くんどうしたの、熱中症?」
「……いや、ちょっと驚いただけ」
口数の少ないおれを不審に思ったみたいだけど取り繕う余裕もなくて、缶ジュースをゆるゆる口へと運んで喉を潤しながら考える。落ち着いてはいるけど、言いたかった筈のことが喉に張り付いたように出てこない。そもそも、胸元のハンカチだって返したいのに、なんて切り出せばいいのかわからない。
いや、普通に言えばいいんだ、忘れてましたよって。それなのにどうしておれはこんなに何も言えないんだ。
「……やっぱり、ボーダー隊員って知られちゃうの嫌だったの?」
静かに、それはもうあまりに穏やかに告げられるものだから、嫌という言葉すら柔らかくておれは耳を疑った。ゆるゆると彼女の表情を伺えばやっとこっち見たね、と穏やかに笑う苗字さん。だけどすぐに彼女は缶ジュースに視線を逃がしておれを見ずに口を開く。
「最初にあれって思ったのは、嵐山くんへの反応かな」
「……変だった?」
「うん。嵐山くんならどう言うかって聞いたら、殆ど悩みもしなかったしね」
なるほど、自分としては普通に答えたつもりだったけど、彼女にとっては有名人の話をしているようには見えなかったということか。嵐山と顔見知りかもしれないと考えることができれば、ボーダー関係者かと推測するのはそれほど難しいことじゃない。
「日中よく会うから社会人でも学生でもなさそうだし、怪我も見慣れてるって」
「あー……」
「でも最初から自分のことあまり聞いて欲しくなさそうだったから聞けなかったの」
結局その後聞く余裕もなくなっちゃったしね、と笑う彼女。緊張が緩んだのか自然に、研修には間に合ったの? と言葉が滑り出た。まともに発言したのに少し驚いたようにしたけれどすぐに、ギリギリね、と返される。あぁこれもしかして、ちょっと遅刻したのかもなぁなんて的外れな事を考える。
でも、どうやらそれが彼女には、話題を逸らしたいかのように映ったらしい。手持ちの缶ジュースを弄びながら今日は休みだの、整骨院に言った帰りだの、そんなことをポツポツと話し出す。まるで、今までの話が無かったことのように話を続ける彼女はやっぱり優しいのだろう。
そして、その優しさがおれの胸を突き刺すような感覚。彼女のせいじゃなくて、きっとこれは罪悪感だ。理解すると同時におれが話したくなかった理由を自覚する。
「おれ、結構昔からボーダー隊員なんだ」
せっかく振ってくれた話題を遮ってそう告げた。彼女はおれが自ら逸らした筈の話へと本筋を戻したことに驚いたようで、それでもすぐに相槌を返してくれたから、おれも冷静に言葉を続ける。
「昔からずっと戦ってきて、今も戦ってるんだけど」
「うん」
「それ以外にもおれしか出来ない仕事があるから、日中はふらついてる」
一瞬、躊躇った。だけど多分、もう言いたいんだろうなとおれはそれを口にする。
「信じられないと思うけど、おれには目の前の人間の少し先の未来が視える」
サイドエフェクトのことなんて、聞いたってどうせ信じない。一般人にはトリオンの事だって基本的には知られていないし、未来視なんて、もし本当に信じられたら機密漏洩クラスかも。
そうだとわかっていてもおれは自らの口を閉じる選択だけは選べなかった。先にあるのは邂逅の終わりと、再び滲む、未来のない未来だったから。
「最初から視えてたんだ。あのままじゃ苗字さんが轢かれるって。だから助けた」
ぱき、と小さな音を立てて手元のアルミ缶が歪んだ。無意識に込めていた力を抜いて、だけど視線はあわせられない。情けなく缶ジュースを握る手は震えていないか、それだけが気がかりだ。
「それで終わりの筈だったんだ。こんなに何度も会えるなんて思ってなかった」
彼女は相槌もせず、黙っておれの話を聞いている。やっぱりその優しさが痛くて、怖い。ねぇ、貴女には、おれがどんな風に映ってるかな。
「普通の、年下の男の子って扱い、嬉しかったよ」
苗字さんは何も知らないから。その隣が居心地良くて、甘えてしまっていたんだ。だからおれは何も知らないままの苗字さんで居て欲しかったなんて。その為に見えない振りさせて、だけどそうする彼女が、もどかしい。
「……迅、く」
ピピピピ、と電子音が彼女の声を遮った。端末を使ってわざわざおれを呼び出すなんて珍しい。手早く応答すれば支部長からで、すぐ戻る旨を伝えて通話を切る。
「ごめん、おれもう行くね」
「迅くん」
「ばいばい、苗字さん」
手を振って、おれは駆け出した。急ぎの用だったからだよ。別に深い意味はない。
そうだよ、だから偶然だ。
呼び止められる未来を、無理矢理潰したのなんて。