ゆっくりと夢の底から現実へ意識が浮上する。徐々に瞼の裏が明るくなって朝だなぁと認識すると、次に気付いたのはしとしと鳴る雨の音だった。
今日は雨か。今は何時だろう。そろそろ起きるべきか。のろのろと頭を動かしながらも固まった身体を解すべく身じろぎすれば、指先がぴとりと不思議な温もりに触れた。
そこでようやく、目の前にふわふわの白髪があることに気づく。髪の毛しか見えないのはどうしてだろうと呆けて、後頭部なのかと理解。つまり遊真は、どうやらベット脇にある窓を眺めているらしい。ぴくりとも動かず外を見ている姿に声をかけるのも気が引けて、私はそっとその背中に額を寄せる。
「……もしかして、起きたのか?」
くぐもった声が触れた背中から伝わってきた。耳で聞くのとはまた少し違った声。控えめな声量の割にはしっかりと聞き取れる。私を起こさないように配慮したのだろうそれに甘えて、返事をせずに温もりに縋った。
遊真はそのまま動かず、再び黙ってしまう。一体雨の向こうに何を見ているのかと、聞いてみたいとは思いながらもまどろみにたゆたう。
遊真はたまに添い寝をしてくれている。眠れない遊真は思い思いに夜を過ごしているのだけど、きまぐれなのか、こうして布団に潜り込んでくることもあるのだ。共にベッドに入り、私が眠りに落ちてから抜け出すこともあれば、今日みたいに私が寝ている間に潜り込んできて共に朝を迎えたりする。
本人に聞くところによると、普段は戦術だとか自分の戦法の復習をしているらしい。とにかく長い夜の時間。特にランク戦があるからか、そういうことに時間を費やしてばかりいるんだとか。
けど、こうしてベッドに潜り込んでくる日はなんとなく、違う気がするのだ。きちんと考えたいことがあるなら遊真はそちらに集中するし、どっちつかずや中途半端にするようなことはしないと思うから。
多分、一緒に眠った――というと語弊があるのだけど――夜は、私が寝入ると共に起きて、本人が言うように戦術の復習をしているのだろう。けれどそうではなかった日は、もしくは共に眠って起きたとしても何か違うことを考えた時は。こうして、朝も共に迎えにくるのじゃないかな、と思っている。そうやって一緒に朝を迎えたいと思う時は、きっと。
「起きたなら相手してくれ、つまらんだろ」
確信を持って告げる遊真の声で、私のとろけた思考は霧散した。さすがに気づかれていたか。
大人しく額を背中から離せばその隙に、遊真はくるりと寝返りを打ってこちらに身体を向ける。と同時に視界にはいったのは、ぴょこりと跳ねた髪の毛。
「……遊真、寝癖ついちゃったね」
気だるい身体をどうにか動かして布団から腕を出し、跳ねた毛先をつまむ。指で擦るように撫で付けても、くるりと曲がった癖は直らず頭から跳ねるように突き出して。遊真はそんな私の視線を追いながらも確認できない寝癖に、不思議そうに眉根を寄せて口を開く。
「眠ってなくてもできるもんか?」
「横になってたらついちゃうんだよ」
眠らない遊真が横になる姿は殆ど見かけないし、寝癖というのも縁遠い事象だろう。
だからこそ、私にとっても違和感のあることだった。だってそれは寝癖がつくほど長く横になっていたということだろうから。遊真は一体いつから私の隣にもぐりこんで、じっと黙って、雨が叩く窓を眺めていたんだろう。
「そういうもんか?」
「雨の湿気で癖が付きやすかったんだね」
何度か撫でたけどこれはもう駄目だろう。一度濡らさないと直りそうもない。そう考えながら髪を撫でていた手を下ろせば、見届けるなりもぞもぞと私に擦り寄ってくる遊真。鎖骨の辺りに埋められて私の肌を擽る髪の毛に頬を緩めていると、ふぅ、と小さく息を吐き出されて。
「なぁ」
「んー?」
「今日は寝坊したい」
珍しく甘えたように強請る遊真はそういってぐりぐりと頭を擦りつけてくる。くすぐったくて笑い声を漏らしてしまうと私の様子を伺うように顔をあげて、ダメか? と普段と変わらない表情でもう一度訊ねられる。
「私はいいけど、いいの?」
「うん」
私の了承の言葉を聞いた途端に遊真の顔が綻んだ。
嬉しそうにもう一度私の胸元に擦り寄った遊真に、理由を聞くのも野暮だろうかと黙ってそれを抱きとめる。まぁ少なくとも、多少休んでしまっても今更のことだから私は大丈夫なんだけども、と遊真の髪を撫でる。
「三雲君も遊真の体のこと知ってるでしょ?」
「うん」
「じゃあサボりってばれちゃうんじゃないの?」
「……いい。後で怒られる」
声色が拗ねたようなものに変わったものの譲る気はないようで、本人が納得しているのならいいかと私は黙ってもう一度頭を撫でた。少なくとも大人しく怒られるつもりなら、私が甘やかすくらい許されるだろう。
「何かしたいことあるの?」
「このままごろごろしたい」
そう言ってから離れていった遊真は、横になったまま私を見つめて呆けたように黙ってしまう。特別言葉を求めているわけでもないようで困ってしまうけど、それならば。思いつくままにそっと、遊真の掌を探して指を絡めてみる。遊真は一度ぎゅうと握りしめてから力を緩めたと思うと、柔らかく絡んだ指を動かして擦るように私の指を撫でて返す。
くすぐったくてふふ、と漏れてしまう笑い声がやけに響いて、身動きをする布擦れの音と外でぱちゃんと雫の跳ねる音が重なって。
「やっぱり、いいな」
遊真は呟いて、穏やかに微笑んだ。なにが、と聞いてしまおうかと少し悩んでいたら、ゆるゆると瞼を下ろした遊真が優しい顔のままひっそりと声を落とす。
「雨の日は名前の声がよく聞こえる気がする」
瞳を閉じたのは聴覚に集中する為なのだろうか。そう考えると改めて言葉を発するのに少し照れてしまう。だから私はありきたりとわかっていて名前を呼ぶことにした。
「……遊真」
変わらず表情は穏やかなままだ。だけど少しだけ笑みが深まって口角が上がった。名前を呼んだだけでそんな顔に変わるのがなんだかとても嬉しくて。遊真の目も閉じられている今なら言えるだろうとおずおず口を開く。
「……好きだよ」
途端にすぅと瞼が上がってしまった。透き通った赤色がつやりと光って私を見据え、慈愛の色を滲ませた眼差しとゆったりとした笑顔で遊真は答える。
「おれも好きだよ、名前」
あぁ、本当だ。よく聞こえる。遊真の声が鼓膜を通って頭を、心を揺さぶる。ひそやかな声ですら私にこんなに響くのだから、どぐんと唸った心臓の音だって遊真に聞こえてしまいそうだ。
繋がれていない手のひらがするりと私の頬を滑ったから、きっとそこは赤く染まってしまっているのだろう。遊真が何も言わないことに甘えて今度は私が遊真の胸元に額を沈める。言い出したのは遊真なのだから終わりを告げられるその時までは、私も遊真に甘えてしまおうとゆったり瞳を閉じた。
雨音、重なる心音
2017.03.08 修正