ただそこに、あるということ。あなたの存在。
ただそこに、いるということ。あなたの命の鼓動。
「でも、それもいつか終わることだよ」
さも当然のごとく遊真は自分の存在の終わりを示唆する。命あるものいつか終わりが来ることは疑いようのない事実だ。
けれど遊真に対しては特に、まだ追求する余地があると感じている。だから私は遊真の答えに静かに首を横に振った。それを見て僅かに眉を顰めた遊真は、だけど、何も言わない。私が話す時間をくれるということだろうと判断して、無言の静寂になるべく溶け込むように、静かに言葉を落とす。
「いつかなら、それは今じゃないでしょう」
「だから?」
「先の終わりばかり見るのもよくないと思うな」
一度視線があって、透き通った紅がゆっくりと瞼の裏に隠された。きっと言葉を選んでいるのだろうその間に、私は風にふわりと揺れる遊真の髪を眺める。
夕陽に照らされて眩しい橙を反射するそれの本来の色は、白。容易く他者に染まる儚い色は、だからこそ遊真にぴったりだと思う。
そして仮初の身体を彩るのが白なら、彼の根幹は真紅だ。生と死を司る、命の息吹を思わせる色。その瞳が、ゆったりと持ち上げられた瞼から顔を覗かせた。
「知っていて目を逸らすことの方がよくないと思うよ」
「目を逸らす?」
「知っているからできることもあるのに、そうしないで、後悔しないとは思えない」
互いに主張はするけれど、明確な言葉にするようなことはしない。それは私にとっても遊真にとっても互いの為の思い遣りだ。
簡単なことだと思う。それは、お互いに。
私はただ遊真と一緒にいられる今を大事にしたいだけ。だから“いつか”を想って躊躇うようなことはしたくなかった。
例えばそれはふとした瞬間に感情を吐露することだったり、衝動に身を任せて相手に触れるとか、言葉にすれば些細な出来事だ。心が震えたその時でなければ感情は色褪せていくものだから。感じたまま、ありのままに私は今を遊真と共に過ごしたい。
だけど遊真は少しだけそれを躊躇う。私の事となると殊更に自分の意志や感情を踏み留めようとするんだ。
例えばそれは重ねられようとしていた唇がほんの少しずれて頬にいくことであったり、私の身体を引き寄せようとしていた筈の腕を引き攣らせ、手を引くだけの僅かな違和感。遊真は私をおいていくとわかっているから、名残を遺さないように迷うのだろうか。
「私はそうやって遊真に我慢させてることこそ、後悔すると思うよ」
「だけどこれ以上は、名前がおれ無しで生きられなくなりそうで怖い」
相手に対して互いに傲慢な態度を緩めることはできず、絡んだ視線は互いに鋭い。そのくらい私達は真剣に、互いの未来の事を考えていた。だけど、先に折れたのはどちらか、殆ど同時に吐き出された吐息が緊張をさらっていく。
「……ばかだなぁ、遊真は」
「それは名前もだと思うぞ」
「もうとっくに、遊真なしで生きるのはしんどいよ」
「それならおれだって、結構我慢の限界なんだけどな」
茜色だった空は次第に濃紺へと色を変えて夜に染まろうとしている。それと一緒に私達の中に燻っていた憤りのような感情も、地平線の向こうへ沈んでしまった太陽のように、穏やかにその息吹を消した。
――今更なのだ。お互いに。
互いの意地だということはとっくにわかっていて、張り続けたところで得はない。だけどそれでも張ってしまうのが意地なのだというそれだけの話。それが緩んだ今は、もはや取り繕う必要もなければ互いの意志を突っぱねる必要もない。
私が私なりに考えているように、遊真も遊真なりに考えていること。逆もまたしかりということを互いにわかっていて、だけど曖昧なのがもどかしい。私達はそうやってもがいていただけなのにやっと気付く。
「さよならの準備って、バカみたいだと思わない?」
「今がずっと続くと思うなら、今を大切にしようなんて思わないだろ?」
問いかければ問い返されて、あぁ言われてしまったと嘆息で応える。その通りだ。きっと私は無意識にどこかでお別れをわかってる。だから終わりを見ないように、今だけを見ようと必死になっていたのかもしれない。
バカみたいね。だから遊真は私が後悔するんじゃないかと心配してくれたのに。
「ねぇでも遊真」
「ん?」
「終わりのその場所に、私達は飛んでいけないんだよ」
私達が歩き出さなければ、終わりに辿り着くことはできない。それとも時間に無理矢理引きずられて終わらせる方がいいと思うのかな? 自らの意志で終わりへと伸びる道筋を踏みしめないと、それだって後悔する。踏みとどまって時間に身を委ねようとした遊真だって同じようにバカみたいだ。
遊真は私の言葉に込められた意図を汲んでくれたのか、ぱちぱちと瞬きしてから息を漏らすように苦笑いを浮かべた。お互いに自分が見えているものを、相手が見ていないことに焦れて、だから意地を張って躍起になっていただけなんだ。
「悪かったな」
「ううん、わたしこそ、ごめんね」
私が歩んできた道のりと、遊真が歩んできた道のりは全然違う。だけど偶然にも私達は互いを見つけてしまって、手を取ってしまったのだ。今私達が立つこの場所を今と呼ぶのなら、私たちが手を離すその場所がサヨナラの場所だ。その点と点を結ぶ線を人は軌跡と、人生と、呼ぶのだろう。
「連れてくぞ、おれは、名前を」
そう言ってから遊真は今度は躊躇いなく私の手をとった。
けして強く握られたわけではないけれど繋がれた手の平から温もりが伝わって、私はそれに応えるようにぎゅうと握りしめて、ただ笑う。自然と引き寄せられるように身体を寄せて、私は遊真の肩へ顔を埋めた。
「一緒に行くから、ちゃんと見ててね」
遊真にだけ背負わせたりしない。私はちゃんと私の意志で遊真の隣でその道筋を歩く。
繋がれていない手が私の背中を優しく撫ぜるから、応えて顔をあげた。好機とばかりに頬をそっと包まれて、額と額がこつりと合わさる。何も言わず伺うように揺らいだ瞳を同じように見つめていればふと細められた眼差し。それと呼応するように私はゆるゆると瞼をおろして暗闇の中息を潜ませる。
恐る恐る重ねられた唇は少しの間押し当てられて、互いに震えたそれはすぐにそっと離れていった。
名残惜しくも瞳をこじ開ければまだ眼前には私の様子を伺う遊真がいて、気恥ずかしさから僅かに顔と共に視線を外せば静かに笑う声。向けていた頬にふわりとまた唇が落ちて、誘われるようにもう一度視線を戻す。遊真はゆったりと穏やかに笑って頬を包んでいる手に力を込めるものだから、私は手持ち無沙汰な片手でそっと遊真の服の裾を掴んで引っ張った。
今度は互いに迷いもなく、唇が緊張で震えることもなくて、しっとりと重ねられたその温もりと柔らかさを記憶する。
再び離れて行った熱は名残惜しくも愛おしくて、まるでいつかのお別れを暗示しているようだと胸が締め付けられた。だけど、大丈夫。私はもうその切なさから逃げたりしない。
――例え、遊真がいなくなっても。私の中に遊真があるなら、大丈夫。
「……ねぇ遊真」
「先に言わせてくれ」
すっかりと夜の漆黒へ染まった空の中でぽつんと輝く白い月。私はきっとこれからもずっと、月夜を眺める度に遊真の瞳を思い出す。
「好きだぞ、名前」
「うん。好きだよ遊真」
ねぇ今がずっと続かないなんて、ウソかもしれないよ。だってこの瞬間は確かに切り取って私の中に残しておくから。
たとえ思い出という悲しい名前であっても。それを人は永遠と呼ぶんだと、今なら思える。
クラップユアハンズ
(曖昧な未来を、確かに約束しよう。)
clap your hands(アインP)(重音テト)