ミルク色の夜
 暗黒に散りばめられた宝石。例えるならそんな宙の下に私は立っていた。

「……きれ、い」

 星空。そうか、今は夜なのか。明かりはそれだけ。だからなおさら綺麗だ。
 しかし頭の片隅、どこか奥でぼんやりと違和感を覚えていた。だって散らばる一つ一つの星にどうしても、見覚えがないのだ。もっと正確にいえば――私が知っている星図と噛み合わない。
 つるぎ座、おおかみ座、そんな私の知っている星座達が見えない。どの季節にも必ず特徴的な星座が存在するというのに。一目見ればわかる、そういう星の並びがないのだ。今頭上に広がる夜空の中には、一つとして。

「ねぇ、あの星は何ていうの?」

 そうは言っても、夜空を見上げる私には関係のないことらしい。何とはなく呼びかける先にいるのは、笑顔で私を見つめているのは、ふわふわの黒い髪を揺らした遊真だった。

「そんなこと知りたいのか?」

 呆れたような声色。けれど、優しく笑う口元。知らない遊真なのに、知っているように優しい表情だった。空を見上げる横顔が星の光に照らされて、綺麗で、見惚れる。
 そんな視線を気にも留めず、遊真は指差しひとつずつ名前を唱えた。聞いて、覚えていたい。けれど何故か、霧のように言葉が消えていく。

「次はあそこだな」

 遊真が特に目を輝かせて言うものだから、釣られて示す先を見る。指差された星は一際強く、青く輝いていて。

「親父が言うには水の国だってさ」
「……それはきっと、綺麗な国なんだろうね」
「どうかな。行ってみないとわからないもんだぞ」

 どこか奥でまた、私は考える。遊真は旅をしているのだと。暗黒に浮かぶ光へと――遊真達は行こうとしてるのだ。 
 生きてきた世界が違うのだなぁと、しみじみ思った。私達が星と呼ぶ光は、恒星。自らを燃やして光を発するものだ。辿り付いてもあるのは燃え盛る塊だけ。触れれば燃え尽きるのみ。
 けど、この空は違う。全ての輝きは命によるものだ。生きているから光を放ち、手が届けばそこには人の営みがある。そう思って見上げる星空はなんとも、

「……怖い、ねぇ」

 届くのだ。ここの人達は、あの空へと簡単に。遊真達のような旅人。もしくは、生きる自分達を脅かす、脅威。たくさんの命があり、星と星を跨ぎ、繋いでいく。

「……そうだな。けど――」
 
 呼ばれた、気がした。目に映ったのは柔らかな眼差し。唇が言葉を象るけれど、もうその声は聞こえなくて。



「……、あ、れ」

 ぱちり。一瞬の内に遊真の髪は白く染まっていた。瞳がきょとりと瞬いて、どうやら向こうも驚いているらしい。少しずつ意識がはっきりしてくると、ようやく遊真がベッドに頬を寄せているのだとわかる。あぁそうか。遊真が首を傾げているのではなく、私が横になっているんだ。
 遊真は瞳を僅か見開いたまま、それでも一言も口にすることはない。だから私はぼんやりとした頭のまま、声を潜めて呼びかける。

「ゆうま、だよね?」
「……驚いた。起きたのか」

 私が声を上げたことで、起きていると確信したらしい。いよいよ遊真の声がしっかりと聞こえて、どこかで安心する。夢じゃなかった。じゃあ、さっきの遊真が夢なんだろうか。

「なぁ、牛乳飲んでもいいか」
「……どうぞ」

 何の脈絡もなくそう告げる遊真に了承を返せば立ち上がった遊真。そのままキッチンへと消えていき、陶器の音をかちんと響かせる。次いで電子音が聞こえて、なるほどホットミルクを作るつもりらしい。勝手知ったる他人の家。遊真もずいぶんと慣れたものだなぁ。モーターの駆動音が低く静かに響いて、じわじわと意識がはっきりしてくる。

「なんだったんだろうなぁ、あの夢」

 もう既に記憶は曖昧だ。覚えているのは知らない星空と、黒髪の遊真。不思議な夢だった。潜在意識が現れるというけど本当だろうか。見知らぬ景色はいったい私の中のどこに眠っていたんだろう。ぴー、と電子音。あぁ早いなぁ。遊真は湯気の立つホットミルクを片手に戻ってくる。

「……遊真、いつからいたっけ?」
「んん? ついさっき、来たばっかだけど」

 記憶が曖昧だけど、今日は眠る時一緒にはいなかったのか。呆けている私の何かがお気に召さなかったのか、遊真の表情がむすりとしたような、不機嫌なものに変わってしまう。ぎしりとベッドを鳴らして腰をおろした遊真は、そっとマグカップに口をつけて、一言。

「……昨日から顔も合わせてなかったからな」

 ――そうだったのか、と、実感が遠い。
 何せついさっきまで遊真と会っていたのだから、変な感覚だ。けれど確かに、言われてみればそうだった。話すどころか顔も見ていなかった。

「……それで、会いに来てくれたの?」

 ちらりと一瞥だけされて、遊真は再びホットミルクを口にする。私は寝起きで気だるい身体をそっと遊真に寄せて、借りた肩に額を乗せた。ふわりと香る遊真の匂い。胸一杯に吸い込んで、ゆっくりと吐き出す。

「ねぇ、一口ちょうだい」
「ん」

 言えば、遊真はマグカップを差し出してくれる。寄り添ったまま唇だけを寄せれば、遊真がそっとカップを傾けてくれて。僅かに口に含んで、こくり。見届けた遊真はカップを浚っていく。

「あったかいねぇ」
「うむ。夜にはいいな」

 いつの間にか機嫌は直ったらしい。聞きなれた声色に安堵して、何とはなく言葉を漏らす。

「遊真と会えて、嬉しいなぁ」

 夢の余韻が私に教えてくれる。遊真が遠い星からやってきたこと。
 だからここにいる遊真に触れられることって、どんなに凄いことなんだろうか。銀河を越えて、とは少し違うのかもしれないけれど。けどもしあれが近界の宙なら、やっぱり遊真は星の海を越えてここにきたんだ。

「……なんだ、いきなり」
「嬉しくない?」
「急に素直になるから、驚いた」

 遊真はマグカップを両手で包んで、下ろす。そしてこてりと、私の頭へその頬を寄せた。

「……そうだな。会えて、嬉しい」

 あぁ、少しだけ夢の続きを思い出した。最後に告げられた言葉はどうしてもぼやけているけれど、それでも声色はこんな風に優しく、柔らかかったはず。

「……言われると、ちょっと恥ずかしいね」
「おれの気持ちがわかったか?」
「うん、少し」
「じゃあいい。もう寝なよ」

 遊真が立ち上がるから、私は仕方なく寄りかかっていた身体を起こす。飲みかけのホットミルクをベッドサイドに置いた遊真は、そっと布団の隙間にもぐりこんできた。私も少しだけ位置をずれて、二人で布団をわけあって横になる。眠れるだろうか。そう思うけど瞼はゆるりと下りてきて。

「……おやすみ」

 あぁ、意識がとろりとたゆたう。
 次に起きた時にもまた、そこに遊真がいるといいなぁ。

ミルク色の夜

(織姫と彦星の恋物語は、案外身近なもの)
special thanks! 遊呉さん!
素敵なタイトルありがとうございました!!

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