「遊真は疲れないの?」
そう尋ねてみても、遊真は私の向かいでしゃんと背を伸ばして座ったまま、課題のノートとにらめっこしていた。勉強を教えてほしいだなんて殊勝なお願いをしてきた遊真。珍しいこともあるものだとこうして夜まで二人向き合って勉強会を続けているわけだけど、平気なのかと伺えば遊真は不思議そうにことりと首を傾げる。
「トリオン体なんだから、疲れないよ」
「それはそうだけど、なんだろ、頭というか、集中できなくなるっていうか」
「飽きてはくるけどな。これ、なんだ?」
通じているのかいないのか、遊真はテキストの一か所を指で示すのでしょうがなく姿勢を整えた。文字式という概念は遊真には少し難しいようで、このバツはなんだ、どこからきたんだ、何の意味だと問い詰められる。難しいなぁ。単なる公式に書いてあるだけのエックスの意味とは説明が難しい。
「うーん、箱?」
「箱?」
「そのバツにはどんな数字が入ってもいいですよ、っていう」
「ふぅん?」
イマイチわからなかったようだけど、まぁつまり、と遊真が書きかけた数式に少しだけ説明を書き足す。これが、こうで、こうなって。図解を混ぜたことで多少はわかったのか、なるほど? と首を傾げながらも頷くので、とりあえず一問解いてみてよ、といえば遊真は素直にまたノートを睨みつつ手を動かしはじめる。
やっぱり遊真は疲れないんだなぁ、とぼんやり眺める。だって普通なら、ずっとトリオン体でいることってできない。頭がぼうっとするというか、集中力がきれるというか、何も考えられなくなっていく。開発室の人達に聞いたら確か、脳や神経が疲労を感じるからだと教えられた。あとはトリオン器官も休めないとダメらしい。つまり、トリオン体を操作するのは生身の人間であり、生身の人間は生きていくために休息が必要だからトリオン体で活動し続けるということはできないのだ。
けれど遊真はトリオン体で生きている。さらに、眠ることはない。本人いわくできないらしい。かれこれもう何年も寝ていないと聞いた時は驚いたものだけど、眠る必要がないからいいんだと穏やかに微笑まれたので何も言えなかった。それに遊真は眠らない時間を色んなことに使っているようで、これはこれでいいものだぞ、なんて言ってのけるから。人の価値観はそれぞれで、私は眠ることが必要な身体だし眠ることが大好きだけど、遊真は眠れない身体で起きている時間も好きだというなら、確かにそれはそれでいいのだろう。
さて、じゃあつまり遊真の身体ってずーっと働いているってことになる。脳も、神経も、トリオン器官も。それって疲れないのかなぁ、と思ったから聞いたんだけど、なんだか本人には上手に伝わらなかったみたい。まぁ勉強の邪魔をするのも悪いから、と諦めて背後にあるベッドを背もたれ代わりに体を預ける。
「ふむ、なるほど、身代わりか」
「……その表現はどうかと思うんだけど、まぁ、そんな感じかもね」
遊真の努力の甲斐あってか、文字式の意味を多少は理解したらしい。いや、理解した結果が身代わりっていうのもどうなのかと思わなくはないけど。感覚的にまぁそこまで外れてもない感じだからまぁいいかと、私はそれを肯定する。
「そっちはもういいのか?」
「うん。課題も予習も終わったからね」
「ヨシュウ、って頭がいいやつがやるんだろ」
「違うよ、私の担任は準備運動だって言ってたよ」
「へぇ」
それは大切だな、なんて言いながら遊真は机の上を片付けはじめた。どうやらおしまいにするらしい。もういいの、と聞けば飽きたからの一言。まぁいいかと片付けるのを見守る。
「んで、さっきのなんだ?」
「さっきの?」
「おれが疲れないなんて今更だろ。なんでわざわざ聞いたんだ?」
……まさか、私の質問のために勉強を中断したのだろうか。なんて、さすがに自惚れすぎかな。それでも私の疑問を大切にしてくれるのは優しいなぁ、と遊真を眺めていると、なんで? ともう一度尋ねてくる。私はさきほど考えていたトリオン体でずっと活動ができることへの疑問をそのまま遊真に話してみることにした。
「――ってことで、つまり」
「眠らないおれがずっとトリオン体でいられるのが不思議って話か」
「うん」
「答えを先に言うと、おれもよくわからん」
スッパリと一刀両断。慈悲もなし。
「おれはこの身体になってから眠らなくてよくなったし、多少傷ついてもすぐ直る。ずっとこのままだけど眠いとか疲れるとかは感じたことがないな」
「……うーん、不思議だねぇ。それもブラックトリガーのおかげなのかなぁ」
「かもな」
淡々とした解説。眠らないということ、疲れないということは遊真にとって当たり前のことだから、それに対して特別思うことはないのかもしれない。というか、人間が疲れたり眠くなったりするのは多分、生身の身体のための安全装置のようなものだ。無理をして身体を壊してしまっては困るから、活動を制限させるために疲れを感じたり眠くなるような機能がついているんじゃないかな。それがないというのはある意味、遊真は自由ということでもある。
そこまで考えてふと、頭を過ったもの。
「……お父さんのおかげ、でもあるのかもね」
「うん?」
「今の遊真がいるのはお父さんのおかげでしょ。だから、なんだろうなぁ、遊真にいっぱい時間をあげたかったのかな、って」
「……ほう」
遊真はゆったりとその紅い目を細めた。的外れなことを言ってしまっただろうか。今度は私が首を傾げる番だったけど、遊真は少しして――とても優しい笑顔を浮かべたのだ。
「そうだったら、いいかもな」
どこか嬉しそうな遊真をみたらなんだか、遊真はお父さんが大好きなんだなぁって。場違いかもしれないけれどそんなことを思った、ありふれた夜のお話。
孤独の夜に祈りをこめて
眠れない空閑遊真が大好きなんです。