かちゃん、という微かな金属音に目を開けた。飛び込んできたのは壁紙の白。朝の明るさに目が開ききらないまま、私はぼうっと目の前の壁を見つめる。
室内にはささやかな風の音が響いている。あぁ、クーラーつけっぱなしで寝たんだっけ? だから、タオルケットからはみ出した足先がやけに冷えた感覚がするのだろうか。私はぎしりとベッドを鳴らしながら寝返りを打った。そうして壁に背を向けつつ、両足をタオルケットの中に仕舞う。包まるように丸まって、眠気に逆らうこともせず再びゆるゆると瞼を下ろす。
少し間があって、きぃ……と軋む音が微かに鼓膜を揺らした。これは、玄関から部屋に入るまでにある中扉の蝶番の音。あの扉、そっと開けると決まってこの軋んだ音を出すんだよなぁ。どうにかならないのだろうか。まぁ、別段困っているわけではないけど。
肌に触れる空気が微かに揺れる。そうしてふわりと漂ってくるのは嗅ぎ慣れた匂い。洗剤か柔軟剤かは知らないけど、私の大好きな匂いだ。その匂いに釣られてうっすらと目を開ければ、ちかり、瞬くもの。カーテンの隙間から差し込んだ朝陽がちょうど指輪に反射したらしい。瞼越しでも眩しいものだから、私はうるさい目覚まし時計を止めるのと同じように手を伸ばして、指輪ごと手のひらをゆるりと握った。
「――びっくりした」
ぼそりと呟いた遊真は、言葉の割に動揺した様子もなく私の手を受け入れる。本当に驚いたのだろうか。そもそも、そのセリフは本来なら私が言うところじゃないか。隠密訓練さながらに、気配を消して近づいてきたのは遊真だろうに。
「起きてるのか?」
「……うぅ、ん」
唸るように頷いたものの、耳に届くのは否定するかのような自分の声だ。頭は動きはじめているものの、眠気から身体は覚醒しきっていない。問いかけに答えたくても怠さの方が勝ってしまう。
「なるほど、今起きたのか」
けれど、意図は通じたらしい。納得したような声が聞こえて、遊真はおもむろにベッドの端に座った。気遣ってはもらったようだが沈んだマットレスで頭がくらりと揺れて、嫌な感じ。でも、少し我慢すれば振動もその響きも収まったから、私はどうにか重い瞼を擦って遊真を見上げる。
「……おは、よう」
「おはよう。まぁ、まだ5時なんだが」
時刻を聞いてげんなりとしてしまう。さすがに、おはようと言って起きるには早過ぎかな。あともう少し寝たいという気持ちと、そこにいる遊真の誘惑に逆らう気力もなく、私はずるずると身体を引きずって――ベッドに腰かけている遊真の太ももを枕代わりに、頭をのせる。
「ひざまくらとは、おれがしてもらうもんじゃないのか?」
「……どっちでもいいんだよ、そんなの」
「ふぅん」
別に、彼女が彼氏にひざまくらを強請ってはいけない、なんて話はないだろう。私としては、まだごろごろとだらけていたい気持ちと、会えた遊真に甘えたい気持ちの両方が満たされるから最高のスキンシップだし。
遊真は私を起こすつもりはあんまりないようで、ゆるゆると私の頭を撫ではじめた。まるで、膝に乗った猫をあやすような手つき。優しく愛でるように撫でられるのが心地よくて、私はまた瞼を下ろしていく。
「寝るのか?」
「……いや……起きる、けど……もうちょっと……」
横になっていたい。それとも、甘えていたい? どっちともつかない気持ちのまま言葉を濁せば、遊真は何も疑うことなくそうか、と頷く。
「……遊真、最近は朝早いね」
「日の出が早いからな」
「…………へぇ?」
「意外とみんな起きてるぞ。ここに来るまでにも、知らんじいさんが散歩してたよ。若いのに朝早くてカンシンだとほめられた」
得意げに話す遊真に、少しだけ吹き出してしまう。想像するだけで微笑ましい光景だ。きっとおじいさんは自分と同じように遊真も、朝早くに起きて散歩をしていると思ったのだろうな。さすがに、そんな“若いの”がこんな早朝から恋人の家にお邪魔するつもりだった、なんて想像もしてなかっただろう。
「遊真は悪い子だねぇ」
「なんでだ? ちゃんと夜は大人しくしてたぞ」
一変して不満げな声を漏らす遊真にまた笑ってしまった。夜は危ないから、あまり一人でふらつくな、と三雲くんやレイジさんをはじめとする玉狛メンバーにきつく言いつけられてる遊真。見た目が幼いから目を付けられやすいだろうし、そうなると面倒ごとになるのは火を見るよりも明らかだからだ。もちろん、色んな意味で。
そういうわけで、日が長くなった夏は遊真にとって自由時間が増えたようなものなのだろう。冬場は日が短い。日が沈んだら一人で出歩くわけにいかず、手持ち無沙汰に考えに耽ることも多かったらしい。今ではその頃の鬱憤を晴らすかのように、こうして早朝に私の元に来ることも増えた。
「朝一番にすることが、彼女の夜這いってのはなぁ」
「ヨバイ」
「夜とか、女の人が寝てる寝室に忍び込むこと」
「今は朝だろ」
「へりくつ〜」
くすくすと笑えば遊真も笑って、頭を撫でていた手がじゃれるかのように私の頬を滑る。応えるように猫のごとくその手に擦り寄れば、遊真はまたくつくつと笑って。
「それならおまえはワガママだな」
「あ、ひどい」
「悪いことだって文句言うくせに、おれにヨバイされて喜んでるじゃんか」
「その言い方は誤解を招くでしょ〜」
まるで、私が遊真に襲われたがってるみたいじゃないか。違うのか、なんて揶揄うように訊ねられるので違います、と答える。襲われたいわけじゃない。私は、ただ。
「会いに来てくれるのが嬉しいだけだし」
「知ってる。だから来たんだろ」
――知ってる。私は声に出さない代わりに、もう一度遊真の手のひらに擦り寄る。
知ってるよ。私は遊真みたいにウソを見抜けるわけじゃないけど、それでもちょっとはわかるつもり。夜が短くなって自由な時間が増えたからこそ、日中忙しい故に会えない時間を埋めるかのように会いに来てくれていること。こんな他愛のない会話で私が満たされるってわかっているからこそ、私の寂しさを埋めにきてくれているんだって、知ってる。
「夏はいいねぇ」
「あついのはイヤって言ってなかったか?」
「暑いだけじゃないでしょ、夏って」
「ふーん? まぁ、悪くはないな」
まだ、七月も半ばを過ぎたくらい。夏はまだまだこれからで、今日だってまだこれからだ。そんな今日が、夏が、遊真の笑顔ではじまる。これ以上ないってくらい幸先のいいスタートじゃないか。
そんな“これから”はじまる夏の日に思いを馳せて、私はようやく起き上がることにする。せっかくだし、遊真のほっぺにおはようのキスもおまけして、ね。
ウェイクアップ、サマー!
誕生日おめでとう空閑遊真!!
2018.07.18