ホントウがウソを人間にさせる

(21.2.4追記 単行本23巻にて明らかになった情報との齟齬があります)



 彼、というには年若い少年――空閑遊真にはウソを見抜く力があった。

 ウソをつく人間は、酷く歪む。それは水面に映った姿が波紋で崩れるように、ぐにゃりと。
 もっと違う要素で見抜ければ良かった、いや、むしろ聞き分けるであったらよかったと考えたことは一度や二度ではない。例えば声が濁るとか、変わるとか、そういう違いでもよかったのに。
 けれど少年はウソを見抜く。まるでウソを吐くことで、人間という器が実体を失っていくような、視覚の変化で。
 だから少年は、彼女が嫌いだったのだ。決して表に出しやしなかったけれど。

「はい、おまたせ」

 そう言ってにこやかな笑顔を見せる彼女は、プラスチックカップを少年に差し出した。透明なカップ越しに茶色とベージュ色がマーブル模様を描き、その表面を塞ぐように渦巻かれたクリーム。格子状にシロップがかけられている様相を見て、少年は不審気にまゆを顰める。

「なんだこれ、パフェか?」
「はは、なるほど面白いね」

 イエスともノーとも言わない彼女も、少年と同じパフェを手元で揺らす。おごりだと言われたので会計も注文も全て任せて先に席をとっていたのだが、結果与えられたこれはカフェで提供する飲み物として如何なものか。少年は決して甘いものが嫌いなわけではない。どちらかと言えば好きな方だ。だが、飲み物だと言ってパフェを提供されると、さすがに水分が欲しくなりそうで、だけど水分がこのパフェ。
 少年は一緒に渡されたストローの包装を破って、恐る恐るパフェへと突き刺していく。深い緑のストローが天辺のクリームにずぶずぶと潜り込み、順調に沈んでいく手ごたえが突如かつりと遮られる。底だ。やっぱり飲み物らしい。

「空閑君はそのまま派?」
「そのままって?」
「クリームを最後まで取っておく人と、混ぜながら飲む人がいるんだよ」

 そう話す彼女はどうやら後者のようだ。クリームの山を何回もストローで突き刺して、ぐずぐずにパフェを潰していく。確かに、クリームのままだと飲みにくそうだし、溶かしてしまうのはいい考えだ。真似をして潰せば、底からとぷりと液体らしきものが湧き出る。いや、飲み物なのだこれは。

「それにしても、意外だったなぁ」
「何がだ?」

 聞き返してから、ストローをくわえた。吸い上げれば思ったより飲料らしい様子でストローを通ってくる。甘い。クリームが溶けているからか、ねっとりと舌に甘さを擦りつけていく。だがまぁ、悪くない。

 ここに二人がいるそもそもの発端は、新発売のフレーバーが飲みたいと彼女が呟いたことだった。手に持った通信端末を叩きながらいいなぁ、と零した彼女。行けばいいのにと思ったままを告げれば、彼女はくるりと少年へ振り返って目を見張った。少年がいることに気づいていなかったらしい。あげく少年が誰も連れていないのを見て、暇なら付き合ってよと少年を誘い、少年もそれを受け、結果二人向かいあって座っている。
 意外というならば、彼女が暇という理由だけで自分を誘ったことだと少年は思っていた。特別親しくしているわけでもなく、かといって他人というには遠くない。そんな自分と二人でカフェに行こうだなんて、物好きだとは思う。
 彼女は、にこりと笑う。

「空閑君、私のことあんまり好きじゃなさそうなのに、カフェには付き合ってくれるんだね」

 ごくり。パフェを飲み下すだけのその音がやけに響いたような錯覚を覚える。
 いくら彼女の様子を探っても、そこには緊張らしい感情は見えない。疑っているとか、探られている感覚もしない。彼女は彼女のままそこにいる。

「……そう思ってて、なんでおれを誘ったの?」

 やっぱり、嫌いだと思った。いつまでも人間の皮を被り続ける彼女が。

「否定しないのね。いいの?」
「それ、言われたい?」
「はっきり言われた方がすっきりするかも」
「じゃあ、どちらかと言えば嫌いだよ」

 どんな顔をするんだろうと、彼女の様子を伺う。ぱちり、ぱちぱち。女性らしく強調されたまつげがふわふわ揺れる。そうして少しの間をおいて、笑顔。

「そっか。言ってくれてありがとね。嬉しい」
「……変な奴」

 気持ち悪い。これまで何度も思ったけど、今日は特段に。
 面と向かって嫌いだと言われたことに、人間の姿のまま嬉しいと言う彼女。この悪寒を表す為に、少年は気持ち悪いという言葉以外に適切なものを知らない。
 そんな不快感から生まれる苛立ちは人の判断を鈍らせる。それは幸か不幸か少年にとっても同じことだった。

「あんた、ホントウを喋ってる。それが気持ち悪い。大抵の人間は嫌いだとかそういう感情を向けられれば、平気なフリをしてその場を流そうとウソをつくか、素直に傷つくだけなのに」
「あら、嬉しいって言葉がホントウだって信じてくれるの?」
「わかるよ。おれはウソが見抜ける。そういうサイドエフェクトだから」

 一瞬目を見張って、彼女は人差し指を自分の唇へと寄せた。少年は訝しげに伺うが、少しして辺りを見回す。何の変哲もない三門市内のカフェの一角だ。ボーダーではない。つまり、そんな場所でサイドエフェクトなんて言葉を発したことを、彼女は咎めているのだと気付く。
 同時に落ち着きを取り戻した少年は仕方なくストローをくわえなおした。甘い。甘ったるい。胃に下りたそれがじわじわと体内全部に広がっていくような感覚を覚えながらもう一度彼女を伺う。
 彼女は、しぃと咎めていた指をそのまま下唇に添えてぼうっと少年のカップの辺りを眺めていた。自分が吸い上げる程に下がっていく液面が面白いのだろうか、それとも何かを考えているのだろうか。おそらく後者だろう。彼女がゆっくりと唇を開く様を、少年は期待を込めて見つめ、耳を澄ませる。

「嬉しいのはね、はっきり言われたいっていう私の望み通りに嫌いだと言ってくれたからだよ」
「……嫌いってことでも、いいの?」
「その良し悪しを私だけが決めるのは可笑しいでしょう?空閑君が誰かを嫌うことが悪いなんて思わないよ。それが私への嫌悪であってもね」

 笑う。彼女は綺麗に、愉快そうに笑う。可笑しいという言葉通りに笑う彼女は、いまだ人間だ。

「それにね、空閑君は悪感情を誰かに向けることが良くないことだと知ってるでしょう?」
「どうしてそう思うの?」
「言われたいかどうか、事前に私に確かめたじゃない。それってつまり、言えば私が傷つくかもしれないって考えたからでしょう?」

 なんともおめでたい頭をしているものだ。内心で少年はそう一人ごちた。責任転嫁だとは考えないのだろうか。例え傷ついただのなんだの言われても、その原因は言われたいと願った彼女なのだと、責任逃れするための。そんなものを、この期に及んで自分の為だなんて勘違いしてみせる。

「嫌いな奴に、気を遣われてるって思えるの、おかしいんじゃないのか?」
「そうは思ってないよ」
「じゃあなんで、あんたが傷つくかどうかを気にするって思えるんだ」
「誰だって自分が可愛いもの。悪者である自分を肯定できる人間はそうはいないから、大抵は悪者の振るまいだとわかっていることを、自らの責任ではしないっていう話」

 その返答にようやく、自分が随分とおぞましいものと対峙していると気づく。彼女は、少年が我が身可愛さに選んだ選択を、そうだと知ってなお心から嬉しいと吐いてみせるのか。
 甘ったるさに胸焼けした体内から今にも吐き戻しそうな、不快感。けれどトリオン体の身体は摂取した糖分をあっと言う間に吸収してしまったようで、実際に吐き戻せたのは大したことのない、悪感情ただそれだけだった。

「それ、言ってて嫌にならないの?」
「なんで?」
「人間誰もが、誰かを思いやることより自分の立場だとか責任だとかを大切にするって言ってるんでしょ。だからあんたは常に誰かより蔑ろにされるってわかってる」
「そうだよ、私も同じ。私が大事だよ。空閑君は違うの?」

 抉る。いや、そう無責任に傷つけるようなやり方ではない。覚えがあるこれはそうだ、パフェの中にずぶずぶとストローを沈めていくような、そんな行為に似ている。
 少年は考えて、違わないと肯定することを躊躇った。自分の行動原理に誰かの為、なんて殊勝な心がけはない。価値を見出せない。自分が価値があると認めたものの為にしか、行動できない。けれど。

「……あんたの意見に賛同するのは、なんか嫌だな」
「だろうねぇ。嫌いな人間の意見を受け入れて認めることって難しいのよ」
「あんたもそうなの?」
「もちろん。大事な自分の中に嫌いな奴の意見を取り入れるなんて、自傷行為みたいだもの」

 さらりと言ってのける彼女は、姿形は変わらない。けれど何故か少しだけ、前より人間に見える。もしかしたら彼女にも、人間臭さとがあるとわかったからかもしれない。
 そう考えて少年は、彼女を気持ち悪いと感じていた理由が少しだけわかった。嘘なく言ってのけるその内容が、傍目にはまるで聖女を気取っているような胡散臭さがあったのだ。ホントウであるのにも関わらず、それがホントウかと疑ってしまうような。ホントウとウソがぐずぐずに混ざったところに、真っ白のホントウで蓋をした、ような。

「おれが自己保身した上で嫌いだと言ったことを、あんたは嫌いだと言って“くれた”っていったな。それで、嬉しいって」
「言ったよ」
「それがウソじゃないのが気持ち悪い。“してもらった”わけじゃないってわかってて、それでも“くれた”ってホントウに言えるあんたは、おかしいよ」

 彼女の行動には決定的な矛盾があるように見えた。ウソだとわかってて、ホントウだと思いこんでいる、そんな矛盾が。
 やはり気持ち悪いと思った。人の悪意を分別しているのにも関わらず、まるで善意であるかのように解釈して、受け取って、そのままに行動出来る。案外、聖女を気取っているという言葉は的外れではないのかもしれない。そのくらい不可解な、言動。

「あんたはウソをホントウだと信じるんだね」
「空閑君はウソがわかるんじゃないの?」
「違うよ。ウソをつこうとしている、その意識を見分けてるんだ」

 人は、ウソをつくことに何かしらの感情を抱く。罪悪感であったり、嫌悪感であったり、理由は様々だ。けれど共通していることは“隠そう”という意志。見せたくない事実を、虚構を。あるいは醜い自分を、感情を。何もないこと、何かがあること、それらを隠そうとして人はウソをつく。
 なら、ウソの無い彼女は“隠そう”という意志がないということになる。隠したいもの、隠すべきものを持っていない。それはまるでホントウを何一つ持っていないかのように思えた。彼女と言う皮を剥ぎ取ったらもしかして、そこには何も残らないのではないだろうか。

「あんたは隠したいものがないの?それとも隠せるものをもってないの?」
「どちらかといえば、後者なんじゃないのかな」

 あっけなく彼女はそう認める。隠せるものが無いってどういうことだろうか。隠すだけの価値のあるものがないのだとしたら、やっぱりそれは真実を何一つ持っていないということのように思えた。
 ウソは、口から出る虚だ。何もない、実体のないもの。事実を伴わないもの。彼女の中にはそれが詰まっている。ホントウがない空っぽの中身にひたすら空虚を詰め込んだ、それが彼女の正体。

「あんた、からっぽなのにホントウが言える、ウソつきなんだね」

 空虚な自分の中身から、ホントウだと思いこんだものを吐ける、人間。そうでなければとっくに人間の姿を失っている。少なくとも、少年の前では。
 しかし、彼女は何が面白いのかくすくすと軽く笑ってみせる。視界に映ったその仕草に、胃の中をひっかかれるようなむず痒さを覚えた。その不快感のままに顔を歪めれば、彼女は困ったように笑う。

「誰の話をしているの?」
「……あんた以外に聞こえる?」
「それ、自分にも同じ事が言えるとは思わないんだ」

 ずぶ、り。見ればカップの中のクリームが全て沈んでいた。温かい店内で溶かされてしまったのだろうか、それとも無意識に自分が溶かしていたのだろうか。
 ストローでくるりとかき混ぜる。ずぶずぶと押しつぶされて溶かされていく。混ざり合って、ひとつのものになる。

「ねぇ、空閑君の中に詰まってる本当って、なぁに?」

 彼女のカップの中にはクリームが全部溶け切った薄茶色の飲み物が揺らめいている。くるくるとかきまわして、どうやら暇を潰しているらしい。少年の返事を待っている。
 だが少年は、待たせているとわかってもすぐに良い返事が浮かばなかった。自分の中にある本当。事実として存在するもの。
 思考、感情、命。そのどれもが偽物のようだと思った。思考はこれまでの人生の中で出会ってきた誰か、誰か、さらに誰かの考えを模倣したもの。感情だって、同じ。誰かがものを食べて美味しいという。その意味を経験で覚えて、誰かの感情を真似ているだけだ。
 なら、命。今少年のトリオン体の中に、空閑遊真という命は、存在するか。本当の命とは、なんだ。

「……わからない」
「私はね、多分逆だと思うよ」
「逆って?」

 甘ったるい、覚えのある味が彼女が吸い上げるストローを辿って彼女の空虚の中に注がれていく。

「空閑君は、“隠そう”っていう意志を見抜いてウソだと決めるんなら、空閑君が見抜けるホントウは、その人が疑っていない、信じているものなんだよ」
「……そうだよ。それはわかってる。おれがわかるのは真実かどうかっていうものじゃない」
「だからね、私達の中には不確かなものしか詰まっていないんだよ。いつだって信じていいのかわからないものしかなくて、だから人は信じたくてウソをホントウにするんじゃないかな」 

 なるほど。そう一瞬でも頷きたくなった自分が嫌だと、少年は苛々した勢いでストローに吸い付く。ずごご、と情けない音がする。あぁやっぱり、喉が渇いた。飲み終わったばかりだというのに。
 逆、という彼女の言葉の意味が少しだけ、わかってしまった。

 彼、というには年若い少年――空閑遊真には信じる意思を見抜く力があったのだ。

 事実であるかどうか、そんなことは瑣末事なのだ。現実として少年に彼女を思い遣る気持ちはなく、少年は自身の責任逃れをする為に言うべきか否かの判断を任せ、そうして本音を吐いただけのこと。
 けど、それだけが事実ではないのだ。少年がわが身可愛さにそうしたとしても、いや、そうだと知っていてなお、彼女が嬉しいと述べるその理由。信じているのだ、きっと。思い遣りでないと言われても、彼女が望むままに少年が本音を曝け出したことは、彼女にとって思い遣りなのだ。

「……あんたは、それでいいのか」
「何が?」
「空しくならないか。そんな実体のないものを信じて」

 ずご、と控えめな音がした。どうやら彼女もパフェを飲み終えたらしい。それならばもうこの会合は終わりだろうか。

「実体のあるものしか信じられない方が、空しいんじゃないかな」

 にこり、人間の彼女が笑う。もう帰ろうかと言いながら席を片付けている彼女を眺める。
 これまで、ウソを聞き分ける能力であればいいと考えてきた。それは今も変わらない。ただ、それでも、見抜くという行為に意味があったのかもしれないと漠然と思う。
 人間の形でいるということは、なんとも、儚いことなのだ。

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