わらって、笑って、嗤ってみせて
 空閑遊真はうそつきである。
 さて、彼をよく知る人であればそんなまさか、と思うかもしれない。だって彼をよく知るならば、彼が持つサイドエフェクトのことも知っているだろうから。
 空閑遊真はウソを見抜くことができる。そういうサイドエフェクトを持っている。だから彼は、吐かれた言葉にウソが混じっていればそうとわかるし、言い換えればホントに言っていることもわかる。たとえ真実か否かがわからずとも、相手がそれをウソと思って言っているのか、ホントと思って言っているのかは判別できるのだ。
 だから。だからこそ空閑遊真はウソを嫌うのではないか。なにせ、人のウソというのはあまり心地の良いものではない。見栄からつくウソ、相手を想ってつくウソ、恥を隠すためのウソ、エトセトラ。どれにも疚しさがあり、後ろめたさがあるものだ。そうと知る空閑遊真という人が自らウソをつくというのは、どういう心情によるものか。

「おまえ、おれを何だと思ってるんだ?」
「なにって、遊真は遊真でしょう」
「うん。だから、別にウソだってつくよ」

 ことん、とマグカップを机に置いた彼は小さく息を吐く。呆れたような、疲れたような、そんな雰囲気を滲ませながら。

「遊真はウソ、嫌いじゃないの?」
「好きでも嫌いでもないよ」
「遊真はウソつかれてもいいの?」
「ウソだってわかるからな。それだけだろ」

 それ、だけ。だけ、というのはこの場合正しいのだろうか。だって、自分に向けられた言葉にウソが混じっているとわかった時、どう思うだろう。悲しいんじゃないんだろうか、怖いんじゃないだろうか。

「それは、おまえにはウソがわからないからだろ」
「うん?」
「おれは言葉の、どのあたりがウソかもだいたいわかるからな。それがわかれば相手の考えてることとか、ウソをつこうとした理由も何となくわかる」

 やはりウソを見抜くことができるというのは、痛いものだ。
 はっきりとはわからなくてもウソの部分がわかる。その結果は確かに彼の言うとおりだろう。ウソがわかればその反対、ホントもある程度察しがつく。ウソとわかってしまうからこそホントが伝わってしまうというのは、なんとも皮肉なものだけど。

「たぶん、人がウソを怖いとか思うのはそれがわからないからだ。わかれば、たいして怖いもんじゃない」

 彼はそうと言えるようになるまで、何度ウソを聞いたのだろうか。私がウソを怖いと思う理由は一つ、悪意が怖いからだ。何かを隠そうとしている、誤魔化そうとしているウソ。それはウソと見抜けなければ誰かに騙されてしまうだろうし、知るべきことを知ることができないのはもどかしいし道を踏み外してしまうかもしれない。
 ――けれど。ウソはそれだけではない。

「ほんとに?」

 聞けば、彼は穏やかに笑うのだ。

「ほんとだ」

 あぁ、私にもウソを見抜く力があればよかったのに。であれば、こんなに疑うこともなかったのに。
 誰かのためを想ってつくウソを、彼はどう思うのだろうか。きっと彼も、誰かが彼を想ってついたウソを聞いたことがあるだろう。空閑遊真という人のことが好きだから、大切だから、心配だから、だからこそホントが言えなくてついてしまったウソ。それすらも彼はウソと見抜いてしまう。きっと彼はウソをつかれた理由も、それが自分を想ってのことだともわかって、それでも誰かが隠していたかったホントも見抜いてしまう。

「……そっか」

 ウソを見抜く彼はきっと、私なんかよりずっとウソを知っている。数えきれないほどのウソを見抜いて、ホントを察して、ウソとホントを生み出す人々を識ってきたんだろう。

「だから、おれだってウソをつくよ」

 にっこり。口角を上げて目尻を下げて、しっかりと笑顔を象った彼。私には、その顔がまるで道化の笑顔のように見えてしまうから、やはり、ウソを見抜くことは難しいのだろう。

わらって、笑って、嗤ってみせて

(空閑遊真とウソは永遠の研究課題ですね)

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