痛い、痛いも愛のうち
※遊真が事故にあう話

 痛覚というのは人間にとって必要なものらしい。
 痛さを感じている間は、こんなもの無くなってしまえばいいのにと思うくらいには煩わしいもの。けれど、現実そうなってしまっては困るのだ。痛みを感じないというのは病気だから。無痛症という病名があることからもそれは明らかである。
 痛みというのは一種の防衛本能だと思う。痛い、というのは人間にとって避けたいもの。だから、身体が“そうさせたくない”ことを“痛み”として訴えるのだ。あるいは不調を“痛み”で訴えるなど、痛みの使われ方は色々ある。そのどれもが、基本的には“異常”を訴えるためのものである……はず。

「ふぅ……びっくりした」

 そう言って、私の目の前で自分の服の裾を軽くはたく遊真。そして私たちの元には、ようやく通り過ぎていった自転車がUターンして戻ってきた。乗っていた男の人は自分が撥ねてしまった遊真を見て、大丈夫ですかと声をかける。当然遊真は、平気だよ、と答える。それなりのスピードで遊真を弾き飛ばした自覚があるのだろう、その人は不審そうに遊真の頭からつま先までを注意深く観察している。けれど、特に目立った外傷もなかったからだろう。男の人はすみませんでした、とありきたりな謝罪をしてからまた自転車に跨り、夜の道へと消えていった。

「もう直ったの?」
「うん」

 私は見ていた。隣を歩いていた遊真が背後から猛スピードで迫ってきた自転車に弾き飛ばされたのも、その勢いのまま、運悪く道端にそびえていた電柱にぶつかった所も。あげく、遊真ときたらこういう時に“反射”というものがない。普通ならぶつかりそうになると咄嗟に手が出るものだが、遊真にはそうする必要がない。だから、何の抵抗もなくそのまま――まるで頭突きでもするかのように――電柱へと頭を当て、トリオン体が損傷するところもきちんと見ていた。運良く、か悪くか、猛スピードのせいですぐには止まれなかった自転車がどうにか戻ってくるまでに、遊真のトリオン体が持つ自己修復機能で元通りになるところまで、すべて。

「気を付けないとね」
「今のは向こうが悪いだろ。後ろからぶつかってきたし」
「まぁ、そうだけど」

 さっきの自転車の人も、相手が遊真だったのはある意味では幸運だったのだろう。普通の人間だったら間違いなく大けがをしていたし、警察や救急車を呼ぶ大惨事になっていたハズ。交通ルールは守るべきものだと、私はため息をつく。
 遊真はと言えば何ら気にしていないようで、自然と私の手を取った。そして、うん? と不思議そうな顔。

「なんか、冷たいか?」
「……そうかも」

 まさか、温度の変化にも鈍いはずの遊真にそう指摘されるとは驚きだ。けれど遊真が気付くくらいだから、きっと私の手はすっかりと冷えてしまっているのだろう。
 当然だ。唐突に目の前で起きた事故と、怪我……とは言えないが、損傷した遊真とを見て平然としていられるほど、私は人間ができていない。
 自覚したからだろうか、今更になってゆっくりと鼓動が早くなっていくのを感じた。遊真が目の前で自転車に撥ねられて何の抵抗もなく電柱へと吹き飛んでいった瞬間、止まってしまった心臓がようやく動き出したかのようだ。

「……しょうがないんだけどね」

 遊真は自転車に撥ねられても、電柱にぶつかっても、その後起き上がって修復が終わるまで、一言も『痛い』と口にしていない。当然だろう。遊真はきっと痛くないのだ。だって、トリオン体だから。どんなに触れていて違和感がなくても、それは決して人間の身体ではないことなんてとっくに知っている。遊真のトリオン体は少し特殊で、自己修復機能があることも。他のトリオン体同様、痛みや温度などを感じる機能が調整されているだろうこともわかっている。
 遊真の死にかけの身体がブラックトリガーの中にある。本当なら、その身体は酷い痛みを訴えてるんだろう。それとも、もう痛みを感じることすらできなくなっているだろうか。ぼろぼろの身体を封印して、トリオン体で元気に笑う遊真。どんな目にあっても平然としている遊真は、だからきっと、いつか呆気なく――。

「遊真」
「うん?」
「今日は私が寝るまで帰さないから」
「おぉ、ネツレツですな」

 にしし、と笑う遊真。けれど、ぎゅうと強く手を握ってくれるから少しだけ安心する。きっと私は最後まで、遊真が“痛い”と言う姿なんて見ることはできないんだろう。見てしまえばきっと脳裏にこびりついて離れないであろうその姿を、見ることができないのは幸せだろうか。大切な人の辛がる姿を見たくないと思う反面で、見せてもらえない寂しさを持て余す私はひどく自分勝手な人間だと、胸がつきりと痛んで消えた。

痛い、痛いも愛のうち

いつでも笑っている遊真に切なさを感じるようになりました

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