何度見ても、机の上に置いた端末の画面は真っ暗なまま。
ボーダー本部内ホールには、隊員や仕事終わりの一般職員などのざわめきが絶えない。夕方過ぎというのは皆忙しいのだ。一般職員はもちろんだが、戦闘員も様々。
夜間の防衛任務シフトだから、それまで暇を潰したいだとか。隊のミーティングまで時間があるとか、むしろこれからホールでミーティングをするだとか。あるいは、学校帰りにそのまま来て、ランク戦に一区切りつく頃だとか。
何を隠そう私の彼氏も、そろそろランク戦に一区切りつく頃合いのハズなのだ。今日は一緒に帰る約束をしていた。最近忙しいから、せめて夕飯くらいは一緒に食べようって。
「……言ったのになぁ」
だから私は、待ち合わせ場所のホールで隅っこの席を陣取って待っているのだ。ちゃんと今いる席の場所まで伝えて、待ってるって連絡したのに。
待ちかねて、私は端末の電源ボタンを押す。点灯した画面に表示された時計は約束した六時半を十五分ほど過ぎていた。少しなら、どうせ先輩たちとのランク戦に熱が入っているのだろうと思える。けれど――あ、十六分経った――もしかして、忘れてたりしないだろうか、なんて。思えてしまうのはきっと、最近会えていなくて、不満が溜まっているからだ。
「…………遊真のばーか」
「ふむ、バカとは聞き捨てならないな」
ふいに零した愚痴に反応が返ってくるなんて。驚いて振り返ればなるほど、噂をすれば影というやつだ。いつの間に来たのか、そこには遊真が立っていた。
「忘れられたのかと思った」
「すまん。それと、もう一つすまん」
待ちくたびれた文句を口にすれば、平然と謝る遊真。しかも、『もう一つ』なんて嫌な予感。
「ランク戦を約束してたミドリカワがこれから来るらしいんだ。十戦で終わらせるが、もう少し待っててくれないか」
よりにもよって緑川くんか、とため息をつきたくなる。遊真は十戦と言うけど、本当に十戦で終わるのだろうか。たぶん、帰れるようになるのは七時過ぎだろうなぁ。
とは言え私の約束と同じように、緑川くんとも約束してたとなっては仕方がない。わざわざこうして私の元に足を運んでまで断りに来てくれたのだ。諦めて、「わかった」と頷く。
「悪いな」
遊真はそう言って――ぽんぽん、とまるで子供をあやすように――私の頭を撫でた。
ちょっとだけ、ほんのちょっとはまぁ嬉しい。遊真は誰にでもそんなことをするタイプでもないし、このスキンシップだって遊真の愛情表現だということは疑う余地もないから。
だけど、しばらくぶりだし。さらに待たされるわけだし。そういう不満と帳消しというわけにはいかなくて、私はそっぽを向いて撫でる遊真の手のひらから逃げる。
「……なんか、子ども扱いじゃない?」
「ふむ?」
「もうちょっとこう、彼女になんかないの」
拗ねたままの私をどう思ったのだろうか。……面倒くさいと思うだろうか。自分から不満を零したくせに、言ったそばから自己嫌悪だ。やめようと、謝るべく遊真を見やる。
すると遊真は、私を見ていなかった。何を見てるんだろう。ここはホールの隅だからそれほど人通りがあるわけでもない。さらには飾られた観葉植物がわずかな壁を作っている。そう影に隠れる場所だから、一人で待つにはちょうどいいと選んだのに。
よくわからないが、辺りを見回した遊真はようやく視線を私に戻す。
「じゃあ、」
言いながら、遊真の指先が私の頬に伸びてきた。座っている私に合わせるように、少しだけ腰をかがめた遊真はそのまま――
「……これでいいか?」
――キス。されるとはさすがに思ってもいなかった。だって隅とは言えホールで、誰かが見ているかもしれないのに。
「い、イキナリなんて卑怯!」
「うぅむ、文句ばっかりだな」
困ったように眉根を寄せてはいるが、言葉とは裏腹に笑っている遊真。ずるい、ともう一度私が零した文句に、けれど遊真はくつくつと笑う。
「大丈夫だ。誰も見てないだろ、たぶん」
「た、たぶんって……」
「続きは帰ってからな」
そんなことを平然と言ってのけた遊真は、私が何も言い返せなくなったのをいいことに「じゃあ、また後で」と言ってひらりと手を振る。すたすたと歩いて遠ざかっていく遊真の背中をいくら睨んでも、キスされた事実は変わらない。しかも私が睨んでいることも予想の内なのか、ホールから出ていく直前、一瞬だけ視線が合う。――やっぱり、笑顔で。
「……もう、悔しい」
不満は不満だ。しばらくぶりなことも、待たされることも、子どもをあやすようなご機嫌取りも、人前でのキスだって。
だけど私は、遊真の『続き』と『帰ってから』の言葉で浮き立つ心を抑えられない。悔しいけど、やっぱり惚れた方の負け。好きだから、好きな人との『これから』を想うだけで楽しみで嬉しくて、幸せになっちゃうのだ。
幸せ予告は的中必至
(特別な不満には、特別な幸せを)