※遠征の時期は妄想です。
七月。そう聞くと、もうすぐ夏休みだなぁと思う。事実期末テストも終わったことだし、終業式も目前となれば気持ちの上では夏のはじまりといった調子だ。
けれど未だに夏は来ない。窓の向こうではしとしとと雨が降り注いでいて、日の落ちた三門市を淡々と濡らし続けている。気落ちもするし、低気圧だと怠くなるみたいだし、あんまりいいことないよな、なんて。
けれど雨の日故のいいことも、少しくらいはあるもので。私は何気なく世間話を持ちかける。
「そろそろ、梅雨が開けてもいいと思うんだけどねぇ」
「ツユ?」
気持ちいつもよりもふもふの髪を揺らして、机の向かいにいた遊真が声をあげた。
雨が降ると、遊真はよく家に上がっていく。行動できる場所が制限されると、遊真の選択肢も自然と狭まるのだろう。ここしばらく、雨の日の夜は一つ屋根の下で過ごすことが当たり前になっている。
「六月から七月くらいまでは、こうやって雨の降り続く季節なんだよね。それが終わったら、やっと夏が来るの」
「ふーん」
遊真に説明しながら、私は眼前の課題帳を開き直した。夏休み目前だからと早めに配られた課題帳。当然、夏休みまで待つ必要なんてないだろうと手をつけ始めているところなのだ。
遊真も遊真で同様に自分の課題帳を開いてはいる。けれど、中学時代から既に日本の勉強レベルに追いつけていなかった遊真にとって、高校の課題帳はさらに難関だろう。特に問題を解いている様子もなく、まるで読書でも嗜むかのように問題文を眺めるだけだ。
「なぁ、じゃあツユってどうしたら終わるんだ?」
「……梅雨前線がなくなったら?」
「バイウゼンセン?」
遊真の質問て、たまに難しい。地学で少しやったような気がする知識を掘り起こしても、さらに質問が飛んでくるのだ。私はしばらく考えてから、「わかんない」と告げる。
「いつも天気予報で言ってるのを聞いてるだけだから、難しいことはわかんないや」
「ふむ? 勉強しないとダメなんじゃないのか?」
「……遊真に言われたくなーい」
痛い所を突かれた。ふてくされれつつも拗ねてみれば、遊真はふすりと笑う。「そうか」と軽く答えた遊真は、変わらず課題帳の文章を目で追っている。
この時間はきっと、そう長くは続かない。だってもう七月十八日だ。さすがにもう、いつ梅雨が開けたと言われたところで驚くこともないくらいの頃合い。というか夏休みになるのだから、いい加減梅雨が開けてくれないと困るくらい。夏休み早々に遊びの予定も立てているし、暑いのも日に焼けるのも嫌ではあるが、雨の中遊びに行くのも嫌だから。
――それでも。あともうちょっとだけ、こんな日が欲しいとも思ってしまう。
「遊真、夏休みはどうするの?」
「ボーダー以外でか?」
「以外で」
自然に訊ねることができただろうか。遊真は一度ちらりと目線を上げて私を見ていたようだったけど、すぐにまた課題帳へと視線を落とす。ちょっとだけあがった心拍数は、どうにか、話の合間に落ち着けないと。
「……わからん。特に決めてないが、どっかに行こうと誘われたような気もする」
「へぇ」
「先輩たちなんか、遠征前に遊びつくそうって話してた」
……そっか、という返事は普通にできたんだろうか。
夏休み。学生たちの楽しみが終わればいよいよ、その日が来る。近界への遠征。選ばれた隊員達の訓練も大詰めなようで、ボーダー内部もどことなく浮き足立っているような雰囲気を感じるくらいだ。
そして遠征に行かない私も同じく浮き足立っている。今回の遠征期間はこれまでより長期間を予定している。そもそも目的地が遠いようだし、だからと遠征に向かう隊員もいつもより多く、さらには訓練の期間も長くとられていた。
そう入念な準備は間もなくで終わり。いよいよ――遊真はしばらく日本を離れることになる。
「……言いたいことはちゃんと言え」
少し低い遊真の声には、なんだか怒りが滲んでいるような気すらした。びくりとして見れば、遊真はいつの間にかしっかりと私を見ていて、眉根を寄せた不機嫌顔だ。
「な、なに。イキナリ」
「おまえ、最近ずっとそんな感じだぞ」
「……どんな感じ?」
「ちょうどこの雨みたいに、じめっとした感じ」
遊真は口をへの字に曲げて、うんざりと言わんばかりの表情だ。私が言いようのない寂しさや不安に苛まれていることが、態度から滲み出てしまっていたのだろう。
遠征に行けることになったのは良いことだ。遊真の、遊真たちの目標だったそれが叶うのだから、文句のつけようがないだろう。実際にそうと決まった時は私だって嬉しかったし、お祝いもした。
けれどいざ遠征出発の日が近づくほどに、気持ちが沈んでいったのも事実だ。それは寂しさだったり、不安だったり――その日が、最後になってしまうのではないかという恐怖と、そんなことを考えてしまう自分への嫌悪感。
「……じゃあさ。ついでだし、遊真にまとわりついていい?」
「んん? ……よくわからんが、まぁ」
歯切れの悪い返事だったが拒絶ではない。それをいいことに、私は重い腰を上げて遊真の後ろに回りこんだ。遊真の背後に座って、遊真のお腹にゆるく腕を回して、背中に顔をうずめて一息。
「……それは抱きしめる、って言うんじゃないのか?」
「なんか、照れるじゃん」
「いまさらだな……」
会って、話して、声を聞いて。こうして抱きしめることがもうすぐできなくなるなんて、考えただけで寂しくてしょうがない。
私はその寂しさを埋めるように遊真の背中へと頬ずりする。それだけでなんだか愛しさが募って、今度は視界を過ぎったうなじに唇を当てる。
好きだなぁ、って。自然とため息が漏れてしまえば、背中越しに遊真の不思議そうな声。
「なんだ、ヨッキュウフマンだったのか?」
「……もうちょっと言い方がない? っていうか、違うし」
「ほう」
……ちがう、よね? ちょっとだけ不安になったけど、遊真はとくにウソだとも言わず、私に抱きしめられたまま動かない。
すると少しして、今度は遊真がため息をこぼす。呆れられたか、やっぱり嘘だったのか。けれど、続いた言葉にはどこか嬉しさが滲んでいた。
「仕方ないから今度はおれの番だな」
「え、なに?」
「祭りがあるんだろ? デートにはもってこいだと言われた」
「……うん」
「だから、一緒に行くか?」
――あぁもう、
「……好き、遊真」
「返事になってないな。でも、おれも好きだぞ」
「行く。一緒に行こう? 私、浴衣着てくね」
「おう、楽しみにしてる」
遊真の返事に「浴衣知ってるの」と聞けば、「祭りのだいごみだと言われた」、だって。遊真の期待に応えられるように、今からとっておきの浴衣と髪飾りを用意しておかないと。
遊真が好きで、好きでしょうがない。寂しいこともその日が近いことも変わらないけれど、遊真とのデートの約束に、私のじめじめ梅雨前線はちょっとだけ未来に持ち越されたようだ。さらには止めと言わんばかりに、振りむいた遊真からのキス。好きの気持ちが熱を持てば、心の中まで夏模様、なんてね。
乙女心と夏の訪れ
(Happy Birthday 空閑遊真!)(2019/07/18)