「……うん、そりゃあもちろん」
――空閑くんが好きだよ。
ボーダー本部基地は入り組んでいる。本拠地というのはそう複雑なつくりになっているのが当たり前だと教わった。でなければ、侵入者に簡単に攻められてしまうからだ。
だから苗字は、まさか今の話をおれが聞いてるとは思っていないだろう。苗字から見れば死角の位置にいるおれには、苗字の姿が微かに見えるけど。それだけで、ほんの少し会話が聞こえてきただけで。
――その言葉がウソだと、わかっただけで。
「そうなの〜?」
「そうだよ、もう、ほら行こうってば!」
話している相手は隊員仲間か。ともかく、仲良さそうに話しながらどこかへ行ってしまう。
おれがいる方にこなくてよかったと思った。たぶん、すぐには反応できなかっただろうし。今の話を聞いていたと思われても困るし、なんと声をかけていいのかもわからないし。
「……さすがに、嫌われてるとは思ってなかったんだが」
廊下でぽつりとおれの声が響いた。しばらく立ち尽くしたまま。けれど少しして、やっとの思いで一歩を踏み出す。
これからランク戦の約束をしていたんだ。先輩たちとまた、訓練しようと。だから急がないといけないからな。
*
「……クガ、てめぇ舐めてんのか」
「いやいや、ぜんぜん。そんなことないよ」
いつもより明らかに勝てない。そんなおれの調子に腹が立っているようで、なめられてるのかと疑われてるらしい。もちろんそんなことはないので否定するけど、かげうら先輩は不機嫌なままだ。
「珍しいな、調子悪いのか?」
「うん? まぁ、どうだろうな」
むらかみ先輩はおれの調子を心配してくれているらしい。別に、そんなことはないはずなんだけどな。とはいえ、心あたりがないわけでもないから適当に話を誤魔化す。
「やーめだやめだ。今日のおまえとやってもつまんねぇ」
「……そうか、すまん」
「どうする? 今日は早めに帰るか」
「そうするよ」
かげうら先輩はすごく不満そうだったけど、むらかみ先輩に言われるままにランク戦はおしまいになった。二人がまだ戦るんだったらそれでもよかったんだけど、むらかみ先輩は続けるつもりはないらしい。かげうら先輩はそれも不満の原因みたいだ。
むらかみ先輩はブースから出て、「なんか飲むか?」とおれに聞く。そうだなと頷けばずんずんと歩いていくので、おれも後に続いて。その後にやっぱり不満げなかげうら先輩がついてくる。
あっさりとおれにジュースを奢ってくれたむらかみ先輩。それから、ちょっとだけ端の方のソファに座っておれを呼んだ。
「で? 不調の原因、わかってるのか?」
「……まぁ、たぶん」
むらかみ先輩は心配そうに、傍に立っているかげうら先輩は面倒くさそうにおれを覗き込む。話してみろという雰囲気にちょっと悩んだけど、たいしたことでもないから話してみようと考え直して。
「ふつうに、一緒にランク戦したりするし仲が悪いわけじゃないと思ってたんだが」
「……うん?」
「おれのこと、好きじゃないみたいでな。嫌われてるとは思ってなかったから、ちょっとびっくりしたんだ」
言ってみれば、かげうら先輩は不思議そうに「誰だソイツは」なんておれに聞いてくる。言わなきゃダメだろうか。あんまり話したくはないなと思っていると、むらかみ先輩は「もしかして、苗字さんか?」と一言。
どうしてわかったんだろうか。びっくりして返事ができない間に、かげうら先輩は「あぁ!?」とまた苛立ったように声を荒げる。
「んなわけねーだろ、あれが好きじゃないヤツの態度かよ」
「オレもそう思うけど、空閑が仲良くてランク戦もしててそれで落ち込むって、苗字さんくらいしかいないと思って」
「……で、この反応は図星ってわけか」
かげうら先輩はおれのことをじっと睨む。喋らない間にどうやら苗字の話として確定してしまったようだ。とはいってもホントのことなので、まぁ、とそれなりに返事をしながらジュースに口をつける。
「空閑はどうして、苗字さんが空閑を好きじゃないみたいだ、って思ったんだ?」
「……思ったというか、そう言ってるのを聞いた」
言えば、むらかみ先輩とかげうら先輩が一度顔を見合わせる。そうしてすぐにおれへと向き直った。
「ぜってぇ〜なんかの聞き間違いだな」
「オレも、ちゃんと話を聞いた方がいいと思う」
二人ともまるで、『おれのことを好きじゃない』ということがウソみたいに確信している。でもおれは『おれのことが好きだ』というのがウソだと、知っている。
「……うむ、まぁ、話せたら聞いてみる」
「オイオイなにビビってんだ。ほら、今すぐ聞いてこい!」
かげうら先輩はおれの首根っこを掴むと、そのまま乱暴にソファから立ち上がらせた。なんで急に、と思っていると向こうの方からタンタンタンと響く軽快な足音。
――あぁこれは、よく聞きなれた音だ。
「空閑くん! お疲れ様!!」
「お疲れ様、苗字さん」
「相変わらずうるせーんだよお前は」
「村上先輩と影浦先輩もお疲れ様です」
元気よく駆け寄ってきて明るい声を響かせる苗字。村上先輩も影浦先輩も慣れた様子で挨拶をしていて、苗字も自然に答えている。まぁ、かげうら先輩は「テンションの差がうぜぇ」って呟いているけど。
「……? 空閑くん、どうかした? 元気ない? 調子悪い?」
「そりゃーお前みたいに喧しいヤツに見つかれば落ち込むだろーが」
「あ、今日は影浦先輩に負けちゃったとか? 大丈夫だよ! 空閑くんなら影浦先輩なんてあっという間に勝ち越せるよ!」
「テメェいい加減にしねぇとぶった切るぞ」
「えっ、私とランク戦してくれるんですか!? 鍛えてもらえるなら大歓迎ですけど!」
おれが静かだからか、今日はいつもより苗字とかげうら先輩のやり取りが盛り上がっている。むらかみ先輩は「まぁまぁ」と言ってなだめているけど、かげうら先輩はまた「ウゼェ」と文句を言ってるし、苗字は変わらずに元気そうだし。
……やっぱり、よくわからん。
「苗字さん、あとは任せてもいいかな」
「……はい?」
「カゲ、オレたちはランク戦でも行くか」
「チッ……しゃーねーなぁ」
むらかみ先輩はそう苗字に切り出すと、おれを置いてかげうら先輩を連れて行ってしまった。かげうら先輩も文句を言いつつ行ってしまったし、つまりはさっき言われたとおり訊いてみろということなのだろう。
苗字も、二人の先輩たちの行動に疑問を持ったらしい。さっきより心配そうな顔になったと思えば、まじまじとおれを覗き込んでくる。
「ホントになんかあったの? 大丈夫?」
「うん、まぁ、大丈夫だけど」
――大丈夫ではあると、思うけど。
苗字はあんまり納得した様子ではなくて、おずおずと「座る?」と聞いてきた。うんと頷いてもう一度腰を下ろせば、苗字はちょっとだけ距離をあけて座った。どうやらおれを気遣ってるようだ。
……いや、それともこの距離も『おれのことが好きじゃない』からか。
「なんだろ、私になにかできることある?」
「うん?」
「いや、村上先輩に任せてもらっちゃったし……ランク戦って気分じゃない?」
「うん、まぁ」
「じゃあどうしよっか。あ、先輩たちの記録見にいってみる?」
どうするべきか困っているようだけど、それでも必死におれを伺う苗字。どうしたものかと思うけど、解決策はわかってる。かげうら先輩の言うとおり『今すぐ』、むらかみ先輩の言うように『ちゃんと話を聞いてみる』ことだ。
「苗字は、おれのこと好きか?」
この質問の答えは『好き』か『好きじゃない』かだ。そして単純な答えだからこそ、おれのウソを見抜くサイドエフェクトもハッキリと反応する。
「……もちろん、好きだよ!」
――じわり、世界が歪んだ。
「……そうか」
「どうしたの? 誰かになんか嫉妬されたりとか、陰口言われたりした?」
「いや、違うよ」
「ならいいけど……それなら、どうして」
「苗字は」
いつもだったら和むはずの賑やかな雰囲気が、少しだけ腹立たしく感じる。元気そうで、明るくて、本当ならそれは見ていて楽しいものなのに、今はただムカついてくるだけだ。
「なんでそんなウソつくんだ?」
「……え?」
「おれのこと好きだって、それ、ウソだったよ」
おれが訊いた言葉は図星だったはずだ。だから苗字も、まるでさっきのおれみたいにびっくりした顔をして、そのまま返事をしなくなった。
「……別にいいけど、ムリして仲良くする必要ないだろ」
「え、っと、どうして、なにかの間違いとかじゃなくて?」
「おれにウソは通用しないよ」
まだ誤魔化そうとするのか。イライラしたままそう言えば、苗字はまた黙ってしまう。
「別に苗字が何を思っててもいいけど、そういうウソで利用されるのは気分が悪い」
「……え……」
「まぁ、それだけだ」
苗字は呆然としていて、それがまた腹立たしい。一緒にランク戦をするのも、その中で苗字が上達していくのもそれなりに楽しかった。けれどそのために――苗字がおれと訓練して戦い方を盗むために――おれを好きだと、ウソをついて取り入ろうとしていたのだとしたら、ただ、ムカつく。
けれど別に、関係のない話だ。そんなヤツはたくさんいるし、だから、そいつらと苗字が同じだったとしても関係がない。
それでも、おれはこの場にいるのが嫌になってきた。ムカつきも収まらないし早々に帰ろうと、おれは苗字を放ってソファから立ち上がる。
――苗字は、わざわざそれを引き止めた。おれの腕を引いてまで。
「お願い、ちょっと待って、あの、あのね」
「……まだなにかあるのか」
「ちょっと、一回だけ深呼吸させて」
苗字はそう言って大きく息を吸う。そうしてしっかりと吐き出したと思えば、おれを真っ直ぐに見つめ返した。
「さっきの、さ。ウソになったとしたら、ちょっと、心あたりがあるというか」
「へぇ」
「でもその、そこの誤解を解くのは、それはそれで空閑くんを困らせるかもなっていうのも思うんだけど」
「別に、どうでもいいけど」
好かれていないのになにをイマサラ。どうでもいいだろうとそのまま答えれば、苗字はまたびっくりした顔をして、それから――少しだけ泣きそうになっている。
なんだ、おれのことを好きじゃないと言うくせに、自分を適当に扱われるのは嫌なのか。イライラしたまま見つめ返していれば、苗字はもう一度静かに深呼吸をしてから口を開く。
「……さっきのはさ、空閑くんとしては『友達の意味で』好きかって聞いたんだよね?」
「……うん?」
「だから、その、そういう意味で『好き』っていうのは、ちょっと、いや別に友達として好きじゃないって意味じゃないんだけど、その、それだけじゃないっていうか」
「…………なんの話だ?」
というより、どういう意味か。いろんな言葉の意味がごちゃまぜになっていて混乱していると、苗字は意を決したようにしておれに叫ぶのだ。
「だから、私は空閑くんが『特別に』好きだって、言えなくて、だから『友達として』好きなんだって言ったの!!」
重ねる気持ちは違うもの?