窮鼠、猫噛み、ただでは起きず
 ぼふん、とブース内ベッドに落とされて、ほっと一息。
 さすがに自分が思うより一歩踏み込むというのは勇気がいることだ。しかも相手は空閑くん。腕を落とされた恐怖も残っている中でさらに自分から仕掛けるなんて、なんだか精神的にどっと疲れた。
 とは言えこれでようやく一本勝負がついたところだ。後二本。私はこの感覚を引きずらないように深呼吸を繰り返しつつ、端末上に表示された転送OKのボタンを押す。

「……あれ、空閑くんがいない」

 転送された先は、ありきたりな住宅街のど真ん中と言った感じ。両脇にコンクリート塀があり、一軒家やアパートが立ち並んでいるのだが、どうにも空閑くんの姿が見当たらない。
 ランク戦は基本的に相手と一定の距離を置いて転送されるだけで、姿が見えないことはなかった、はず。これがランク外対戦だからか、それとも私に気づかれる前に空閑くんが身を隠したか、どちらかだろうか。
 ――ぞっ、と背筋が冷えて、本能的にその場を飛びのく。

「うむ。思ったよりいい反応だ」

 ヒュン、と風切り音の残響がまだ耳の奥で鳴っている。今、どんな風に避けられていたのか、自分でもよくわからないくらいにあっという間の出来事だった。

「び、びっくりした……」
「金子はトリオン体動かすの上手だな」
「そ、そう?」
「うん。イメージするのが上手なのかもな」

 イメージ、と空閑くんの言葉を繰り返す。聞くと、トリオン体の操縦とはイメージした動きを再現することなので、しっかりとイメージできるほど滑らかに、俊敏に動かせるらしい。

「……ってことは、空閑くんのおかげだね!」
「ふむ?」
「私、いつも空閑くんの記録見てるよ! 好きだもん! ファンだから!」

 それこそ、目に焼き付くほどに見ている。空閑くんの雄姿、空閑くんの戦い方、空閑くんの動き方。好きだから、何度見ても飽きないくらいだ。だから私のイメージはきっと、空閑くんで成り立っているに違いない。
 そう拳を握って力説すれば、空閑くんはきょとりとした後――ふすりと笑う。

「そうか」

 不思議な笑顔だった。ファンだということを揶揄っている様子でもなく、困っている様子でも照れてもいない。ただ静かに、穏やかに笑って頷く空閑くん。なんだろう。別に、そんな笑顔を見せられるようなことを言ったつもりは、なかったんだけど。
 呆けている内に空閑くんはまた表情を変えてしまう。その手にはスコーピオン。続けて仕掛けてくるのだろうかと、私も慌てて気持ちを切り替え、弧月を握る。

「じゃ、いくぞ」

 そう言って駆けだした空閑くんに、私も集中して待ち構える。
 次の瞬間地を蹴った空閑くんは、すぐ脇にそびえる建物の壁へと着地した。これは、と過去の記録を思い出しながらも弧月を構えていれば、予想通り、空閑くんは今度壁を蹴った勢いのまま私へと飛び掛かる。
 振り下ろされるスコーピオンをどうにか受け流すと、空閑くんは今度飛びのき、コンクリート塀を足場にしてまた飛び掛かってくる。再び弧月で受けるものの、一度引いたと思えばまた建物の壁を足場にして、飛び掛かってくるの繰り返し。

「意外とやるね」

 空閑くんがそう呟くのが聞こえた気がするが、私は猛攻を凌ぐのに精一杯で返事もできない。
 これは空閑くんがB級になってから緑川くんと戦った時に似ている。緑川くんも相当な機動力で、重力なんてお構いなしにあちらこちらを足場にして互いに競り合っていた。二人ともおそらく、グラスホッパーを使って戦っていたのだろう。
 ふ、と頭上から影が落ちる。宙に浮いた空閑くんの姿。スコーピオンがきらりと瞬く。
 ――考えるより先に、私は重心を落として弧月を構え、背後へと振り抜いていた。

『戦闘体活動限界、ベイルアウト』

 気づいた時にはもう既にベイルアウトしていた。あれ、私、今どうやって落ちたんだろう。
 最後の最後、よくわからないまま負けてしまって拍子抜けしたようで、肩の力が抜けてしまった。私はまた気楽に転送OKのボタンを押して次のステージへ。
 今度は空閑くんも姿を隠すことなくそこにいて安心だ。けれど表情はなんだか呆れた様子で、何かと思えば空閑くんは苦々しく口を開く。

「おまえ、本当におれの記録をよく見てるんだな」
「うん? だから、ファンだって言ってるじゃない」
「さっきの、おれの行動を先読みした動きだった」

 本来ならそれは誉め言葉のような気がするけど、空閑くんは呆れた表情のままだ。それどころかふぅ、とひとつ、ため息までついている。

「今は金子と戦ってるんだぞ。グラスホッパーは使わないよ」
「……え、そうなの?」
「訓練生はトリガーひとつしか使えんだろ」

 それはまぁ、そうだ。選んだトリガーで四千ポイントを越えるまで、そうして正隊員になるまでは訓練生用のトリガーしか持てない。これは、一つのトリガーしか使えないモノだ。
 だからと、空閑くんは同じ土俵で戦ってくれるらしい。つまるところ私は弧月一本、空閑くんはスコーピオン一本のみで。
 
「二本目があっという間だったから、これで最後だ。ほら、やるぞ」

 空閑くんはスコーピオンを構えて私を見る。私も同じように弧月を握り、構える。

「最後だからな、そっちからでいいよ」

 空閑くんは私を見据えたままそう言った。つまり、先手を譲るということのようだ。
 私は弧月の柄を握りながら改めて考える。一本目の最後と同じように仕掛けることも考えたが、さっき結局負けてるしな。不意をつく、っていうのも今からじゃ難しい。なにより機動力勝負では空閑くんに分があるし、見切られてカウンターを食らうのが目に見えてる。

「――じゃあ、お願いします」
「うむ。おねがいします」

 挨拶をして、覚悟を決める。私は地を蹴って――

「ほう?」

 空閑くんが再び、にまりと好戦的な笑顔を浮かべる。私にはその表情がよく見えた。なぜなら、私は空閑くんを見据えたまま真っ直ぐに向かっているからだ。
 踏み込んで弧月で切り上げれば、空閑くんはスコーピオンで受け流しつつ避ける。刃を返し、もう一閃。予想していたのかくるりと身体を翻すと同時に、その勢いのままスコーピオンが滑ってきた。
 私はそれを弧月の腹でいなし、受け流してから懐目掛けて一突き。空閑くんが無理矢理身体を引いた隙に、弧月を引く勢いのまま、空閑くんが引き損ねていた足を狙う。

「っ、」

 ――掠めた。わずかだけど手ごたえを感じた。
 すぐに持ち手を返し、大きく薙ぎ払う。案の定カウンターを狙っていたらしいスコーピオンとガチリ、刃が噛み合った。互いに弾き合い、その場を引けば、空閑くんはふぅと息をつく。

「今の、よかったな。なかなかいい手だったぞ」
「……ほ、ほんとに?」
「さすがはおれのファンだけある。思ったよりやりにくかったし、食らってしまった」

 空閑くんのズボン――膝ちかくの太もも近辺に一筋、浅いものの傷がある。これは、私がつけた傷で。

「……す、すごい! ホントに空閑くんに当たった!」
「うむ。よく頑張ってるな。で、どうして斬り合いに持ってったんだ?」

 真っ向勝負を挑んだのは一つの賭けだった。けれど弧月ならきっと、その方がいいと思ったのだ。
 弧月は、スコーピオンほど多彩な攻撃はできない。刃の形は変わらないし、空閑くんみたいに身体から刃を出すなんてこともできない。だから奇襲ではなく、発想ではなく、純粋な剣戟に持ち込みたかった。ランク戦で練習していたし、刃のぶつかり合いなら弧月にもそれなりに利があることは実感済みだったから。
 概ねそんな感じに答えれば、空閑くんはなるほど、とまた頷いて。

「『有利な部分で勝負する。不利な部分では戦わない』」
「……え?」
「弧月と比べるとスコーピオンはもろいからな。いい判断だったと思うぞ」

 にっこりと、まるで花丸だ、とでも言わんばかりに笑う空閑くん。嬉しくて、じわじわと湧き上がってくる喜びに受かれそうになるものの、さて、とまた空閑くんが場を引き締める。

「じゃあ、今度はおれの番だ」

 浮かれる気持ちを必死で押しとどめている内に、空閑くんは隙もなく地を蹴った。
 空閑くんの有利な部分なんて一杯あるだろう。機動力、変幻自在のスコーピオン、見切りの正確さと、判断の素早さ。つまり空閑くんは、勝負できる土俵がいくらでもあるわけで。
 ――そう、思っていたのに。

「別に、不意をつく方法はいくらでもあるんだぞ」

 空閑くんの最後の一手もまた、真っ向勝負だった。けれど私は、いつ、どこへ移動するのか警戒していたために、弧月を振り留まってしまった。空閑くんは呆気なく一閃で弧月を弾いて、隙を突いて心臓を一突き。

「それじゃ、今日はこれでおしまいだな」

 空閑くんのその笑顔を最後に、私はベイルアウトしていく。
 ――今日はいっぱい、空閑くんの笑った顔が見れたなぁ。なんて。

 すぐにベイルアウト先のベットから起き上がり、端末を見る。前とは違って、今回は画面にまださっき空閑くんに言われたブース番号と、スコーピオンの文字が表示されたままだ。だからと、数タップ操作すれば難なく通信がつながって。

「えーと、付き合ってくれてありがとう、ね」
『いいよ。それなりに楽しかったし』
「せっかくだし、またお礼にジュースくらい奢るよ」

 提案すれば、「じゃあ遠慮なく」なんて言って通信が切れた。ふぅ、と一息。今日のランク戦も相変わらず空閑くんは強くて――かっこよかった。
 これまでずっとそう思ってきたハズ。初めての戦闘訓練の時から鮮やかに決める所とか、他の訓練も難なくクリアしてしまうところとか。ボーダーにおいて出来過ぎているくらい優秀なところがただ、凄くて、カッコ良くて、憧れるなぁって。

「……なんか、まだドキドキしてる」

 これは戦った後で興奮しているからなのか。やられる、瞬間から急上昇した心拍数が、いまだ落ち着いてないだけか。ついさっきだって楽しそうな笑顔が見られたのだから――ファン冥利に尽きるというもので――興奮していて当然か。
 でもあの時、ファンだと言った私に微笑んだ空閑くんの笑顔だけは……何か、違った。好戦的に笑っていたわけではなく、ファンだという私をからかったわけでもなく。ランク戦が楽しくて笑ったわけでもなくて、よくわからないけど空閑くんは確かに――微笑んでいた。とても、優しく。
 
「いやいや、まずはお礼」

 なんだかぎゅうっと苦しくて、泣きたくなるような気持ち。そりゃあ負けたのは悔しいけどやる気は出たし、ランク戦ができて楽しかった。それなのに、どうしてこんな気持ちが残るんだろう。
 振り払って、私はブースを出る。ともかくお礼は大事に、だ。
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