偉い人からの激励を受けて、滞りなく終了した入隊式。その後すぐに現れたのは、ボーダーの顔、嵐山隊だった。
どうやらこの後のオリエンテーションは嵐山隊が指揮を執るらしい。三門市のアイドルだけあって新入隊員が湧きたつ中、動じないままに指示を出していく嵐山さん。狙撃手志望の人が佐鳥先輩に連れられていくと、残されたのは、私と友人を含めた攻撃手、銃手だ。
「まずは訓練のほうから体験してもらう。ついて来てくれ」
私たち新入隊員の白い隊服の中では、嵐山隊の赤い隊服はとてもよく目立つ。そんな彼らに誘導されるまま、私たちは見知らぬボーダー本部内をどこかへ歩いていく。
そんな最中、ふいに友人がこそりと囁いてきて。
「ねぇねぇ沙智。うしろ見て、こっそり」
「なに?」
「あの子、なにか特別なのかな? 木虎さんと、正隊員の人と一緒にいる、黒い隊服の」
小声でそそのかされて、私は友人と話す素振りを装いながらも視線だけで後ろを探る。友人の言うように嵐山隊の木虎さんと、青い隊服の正隊員らしき人。
その中に混ざっていたのは、黒い隊服の少年だった。対になるかのような白い頭。それだけ確認して、私はすぐに前を向く。さすがに、じろじろ見ていたらバレるだろうし。
「白い髪に白い隊服じゃかっこつかないから、特注なんじゃない?」
「なにそれ、テキトーすぎない?」
「ならなにが特別だって言うのさ」
「そりゃあボーダーの特別でしょ? めっちゃくちゃ強いんじゃん?」
「安直〜」
そんなことで二人けらけらと笑っている内に、目的の場所についたらしい。列の先頭方向からどよめくような、感嘆の声が微かに聞こえてきている。重なるのは嵐山さんの「到着だ」という声。
案内されるがままに足を踏み入れたのは大きなホールだった。見下ろした先には、小体育館くらいの大きさを持つ部屋がいくつか。
嵐山さんは私たちに対して「対近界民戦闘訓練だ」と告げた。いきなり戦闘訓練なんて、と突然のことにどよめきが起こる。けれど嵐山さんは淡々と、訓練について説明を済ませてしまって。
「説明は以上! 各部屋始めてくれ!」
号令に従って、新入隊員たちはぞろぞろと訓練室へと別れていった。一号室、開始。二号室、開始。始まりはどの部屋もほぼ同じくらいで、開始のアナウンスが重なっていく。
私は友人と一緒に、なんとなく人の波に流されるまま中央寄りの部屋に並んだ。移動の時はわりと後ろの方にいたハズなのに、ホールに降りるまでにズレてしまったのか、私たちの番までそれほど遠くない。
「沙智のトリガーなんだっけ、剣?」
「そうそう。弧月、って言ったかな」
訓練生が使うトリガーはボーダーからの支給品だ。使える武器は適性を考慮して与えられるとのこと。しかしその武器は今のところ、仮入隊の時に換装できるかどうかの動作確認で一度持っただけだ。それを使ってこれから戦わなければならないとはなかなか、試されているなぁ。
ともかく、私に与えられたトリガーは弧月という剣だった。まぁ銃なんてよくわからないし、弾切れになったらダメじゃない? ってのもあるから剣で良かったと思っている。体育で剣道もやったことはあるし、折れない限りは何度でも切れるなら、その方が性格にあっている。ゲームでも、基本的には特攻タイプだし。
友人は確か銃を持っていた。弾切れなんて滅多撃ちするからだとからかわれたことはちゃんと覚えてる。あと、兄弟の趣味がサバイバルゲームだからモデルガンを撃ったことがある、ってことも。そういうのも適性として考慮されているのかな。
「どっち先行く?」
「じゃんけんっしょ」
よし、とお互いじゃんけんをする姿勢になったものの、次の人! と呼ばれてしまった。まさに今、どっちが先にいくかを決めようとしていたのに。
残念なことに私の方が、気持ち訓練室に近かった。だからだろうか、嵐山さんにさぁさぁと促され、あれよあれよと訓練室の中に入らされる私。
え、待って。全然心の準備できてないんだけど。
『三号室、用意』
アナウンスが響いた。目の前には大きい恐竜みたいな近界民。訓練だとわかっていてもやっぱり怖いみたいで、足が震えてきた気がする。
丸腰じゃ当然だと自分に言い聞かせて、換装する時と同じように弧月、と意思表示。応えるように手中に生まれた柄を握れば、剣先までその姿を現した。私は、剣道の授業で初めて竹刀を持った時みたいに、柄を両手で握る。利き手を上に、反対の手を下に。
緊張のしすぎで、今にも喉が詰まりそうだ。でも大丈夫。これはつまり、ゲームで言うところのチュートリアルステージだから。
『はじめ!』
ぎろり、と近界民の眼――なのかは知らないけど――が私を捉えるのがわかった。そのまま屈むかのように、大きな口みたいなものが勢いよく、私目掛けて振ってくる。
――いや、こんなの怖いでしょ! なにこれ、なにこれ! どう言い聞かせたって怖いもんは怖い!!
私の身体は咄嗟に足を一歩引いて腰を落とし、その巨体を全身全霊で打ち返していた。ギィン、と響く鈍い音。近界民が上から来たから、怖くて、振り払うように下から弧月を振り抜いたのだ。おかげでどうにか、弾くことには成功したらしい。
一回弧月を振っただけなのに動悸が収まらず、私はぜいはぁと息をつく。それでも視線は、近界民から逸らせない。
近界民の口の中、目玉がぎょろりとまたこちらを向いた。背筋がぞっと冷える。直接食うことは諦めたのだろうか、今度はその巨体がゆらりと傾いて――右前足が、持ち上がっている。
「えっ、まっ、踏むの!?」
さっき渾身の力で弧月を振り抜いたから、ちょっとだけ緊張が緩んできている。足に力が入るのがわかる。
私はそのまま地面を蹴って、降ってきた奴の前足を掠めるように避け……られた。もう一度前足が持ち上がるので次も避けて、さらに前足が持ち上げられて避けて。このままじゃ埒が明かないからと、次の足踏みに見切りをつけて私は近界民の懐へと飛び込む。
「え〜、もう、どうすんのこれ……」
アクションゲームの定石として、こういう大きい敵は懐に潜り込んだ方が安全だったりする。とは言え、私の弧月は効くのだろうか。とりあえず、目の前のぽっこりした腹を殴るように弧月をぶち当ててみることに。
ギィン、とやっぱり鈍い音が響いた。手に伝わる感覚的にも、どうやら相当硬いらしい。
腹を叩かれて怒ったのだろう。近界民の足がもぞもぞと動きだしたので、隙間を縫うように懐を通り抜けて近界民の後ろ側へと出る。
「うっわ、足太いな……」
振り返って、近界民を観察した感想だ。このまま定石を踏むなら、足を狙うのがセオリーかな。巨体のバランスを崩せば隙が生まれる。
けれど見る限り、巨体を支えるに相応しい足の太さだ。しかもさっきの下あごといい腹といい、弧月を握る手にまで振動が響いてくるくらい硬い。だとしたらこれを削りきれるかと考えると、正直自信はない。
「……う〜ん……」
近界民は私が背後にいるとわかっているのだろう。足をのっそのっそと持ち上げては下ろし、ゆっくりと巨体ごと私へと向き直ろうとしている。
……おっそいなこいつ。おかしいな、さっき食われると思った時はすごく速く感じてたんだけど。やっぱり怖かったからかな。
さてさて、改めて見るとこの近界民は四つ足だ。ってことは、一本潰してもそれほど効果はないかもしれない。いや、動きは鈍るだろうけど、この近界民はそもそも移動速度が遅いみたい。なら、足をどうにかするのって結構な労力の割にあんま旨味がないな。でなくてもこの足に踏みつぶされるかもしれないのだから、あんまり足に纏わりつくのも危ないし。
「じゃあもう、イチかバチかでやってみていいかな」
怖さも一周過ぎると諦めの境地になるらしい。訓練なんだからさすがに死なないでしょ。それならちょっとくらい冒険したって大丈夫、大丈夫。そう自分に言い聞かせて、一度大きく深呼吸。気合を入れ直して柄を握りしめる。
近界民は再びその目玉で私を捉えた。パクリと口を開いて、今にも私に食いつこうと構える。
「死なない、死なない、大丈夫」
声に出して言い聞かせても、正直めちゃくちゃ怖い。緊張しすぎて心臓がばくばく言ってるし、今にも気が狂いそうだ。それでも口が回るなら、頭も一緒に回るはず。
装甲が固いなら、内側を狙う方がいい。これもまたセオリーだ。
縦に振り抜いたらダメ。唇みたいな上あごと下あごはめちゃくちゃ硬い。あそこに当たらないように振り抜くなら、横。
「早くして!」
奮い立たせるように大声を出す。答えるように近界民の口が、私目掛けて襲ってくる。
――つまりは、カウンター。食われる前に私は、そのぎょろりとした目ん玉目掛けて剣を薙ぎ払った。
手ごたえがあった。割れるような、砕けたような、妙な感覚。
『三号室終了。記録二分三十五秒』
終わった。緊張の糸が切れると同時に、深く深く息を吐きだす。
「おつかれ沙智。大丈夫?」
開いた訓練室の扉の向こうには見慣れた友人の顔。それだけでほっと安心して、やっと重力が戻ってきたような覚束ない足取りで訓練室を出る。
「なんとかね。私、終わったしあの辺に座ってるよ」
「おっけー」
友人は肝が据わっていて、「じゃあ行ってくるね〜」なんていつもどおりの声で返事をしつつ、ひらひらと手を振ってる。余裕すぎない? まぁ、向こうは元々ボーダーになりたかったわけだし、敵を前に意気揚々としてしまうのも当然か。
私はやっとの思いでホールの階段を上がり、適当な椅子に陣取った。どうせなら他の人たちの訓練振りが見えるように、ちょっと高めの席を。
「……あ」
白い頭に黒い隊服はやっぱり目立つ。あの少年もこれから訓練のようで、端の訓練室へと入っていくところだった。
特別、なのかなぁやっぱり。友人の言うように、特別強い、とかなのだろうか。ならば少年はどんな風に、あの近界民と戦うのだろう。
その答えはものの一秒後に示された。
『五号室終了。記録〇.六秒』
正確には一秒も経っていない、とか、なにそれ。さっき私があれほど怖がっていた巨体は、あの少年の一閃によって難なく沈んでいく。
訓練室から出てきた少年は涼しい顔をしていて、どうやら本当に特別らしい。だけど誰だかしらないが、今の結果に疑問を抱いているようで、やり直せ! と騒いでいる。
少年は案外気前がいいようで、特に文句を言った様子もなく訓練室へと戻っていった。もう一度やるのなら、今度こそ。私はじっと訓練室を見つめる。
『五号室終了。記録〇.四秒』
刹那、というのはこういうことか。少年は息つく間もなくあっさりと、まるで近界民を豆腐かなにかのように真っ二つに切ってしまった。あれほど硬かったはずの装甲は、少年の前では紙切れ同然らしい。
『三号室終了。記録一分二十二秒』
続いたアナウンスの声にはっと我に返った。三号室なら、友人の記録じゃないか。慌てて三号室の入り口を見れば満足気な友人が出てきていて、私を探して上を見回していたのだろう視線とかち合う。そうして来た友人は、私の隣に腰を下ろすとどうだと言わんばかりに胸を張って。
「どうよ。無駄撃ちしないってのはこういうこと」
「いやごめん、ぜんっぜん見てなかった」
「はぁ!? どういうこと!?」
詰め寄る友人をいなしながらも、私は再び訓練室から出てきた少年を見やる。
「さっき言ってたあの人、めちゃくちゃ強かった」
私の視線の先に気づいたのだろう。友人も、なにやら他の人たちに取り巻かれている少年を同じように見やった。へぇ? とぼんやりした相槌が返ってきたので少年の記録を告げれば、ようやくその凄さがわかったようではぁ!? と声を荒げる。
「おかしくない!? あれ相手に一秒切るってそっちのがよっぽどバケモノじゃん!」
「はは、確かに」
軽い笑いで応えつつ、私はまだ少年をぼんやりと見ていた。一瞬のことだったからまったく見えなかったけど、少年はなんのトリガーを使ってるんだろう。近界民を切り裂いているのだから間違いなく剣のタイプだとは思うけど、弧月は見えなかった、ような。
「沙智? なに、惚れたの?」
「……だったらどうする?」
「えっ、マジで?」
「ある意味、マジかも」
私はようやく友人へと視線を戻した。面食らった友人の顔に吹き出せば、からかわないでよと小突かれる。
それから少ししてざわめいたと思ったら、時枝先輩の指示を受けて訓練生はラウンジへと移動させられた。移動する人の中に黒い隊服は見当たらず、さっきのざわめきには少年も関わっていたのかな、とぼんやり考える。
「……で、ある意味ってなに?」
友人が私に訊ねるので、一言。
「あんなの、見惚れるしかないでしょ」
私のはじまりの日は、まるで閃光のような出会いからはじまったのだ。