どさっとベッドに背中を落としつつ、呆然と天井を見上げる。
今のはなんだったんだろう。いや、ランク戦に負けたことは予想の範囲内だ。まぁ空閑くんの片腕を獲れたことは予想以上の戦果ではあったけど。
違う。今もどきどきと激しくなり続けている心臓は、この感覚はなんだ。
『おつかれ、金子』
「……おつかれ」
空閑くんの声に、どうにか返事だけはしておく。いまだに地に足がついていないような妙な浮遊感に自分の声まで浮ついているように聞こえるから、重症かもしれない。
空閑くんもなにか違和感を覚えたのだろうか。「金子?」と不思議そうに呼ばれるから、私はともかくベッドから身体を起こして端末に向き直った。
「大丈夫。ちょっと、びっくりした」
『……ふむ』
びっくりした……だけ、なんだろうか。だってこれまでも散々ランク戦をしてきて、落とされることなんて当たり前だった。首を切られようが胴体を切られようが、やられちゃったというだけで、こんなにも変な感覚になったことはなかった。
似ているのはたぶん、ついこの間の防衛任務で東隊長に狙撃されそうになった時。心臓が縮み上がったあれは間違いなく恐怖だ。訓練生の頃、初めて空閑くんと戦った時も似たような……しいて言えば危機感を覚えた記憶がある。
だから、違うのだ。これは恐怖でもないし、危機感からのものでもない。
ただ、空閑くんの笑顔を見ただけだ。かっこよくて、優しくて、強い、不思議な。それから心臓がどきどき鳴り続けていて、泣きたくて――それが、嫌じゃない。
『よし、じゃあたまにはおれがジュースをおごろう』
「……え?」
『金子はまだランク戦するのか? 帰るなら、おれもだから途中まで送るけど』
「か、帰る! 一緒に帰ろう!」
『うん、じゃあとりあえず出るぞ』
空閑くんから予想外の提案に、私は間髪入れず返事をする。了承してくれたらしい空閑くんがプツリと通信を切ってしまったので、私は慌ててベッドから飛び降り、ブースを出て。
目に映った空閑くんにまた、心臓がどくりと鳴った。いやいや、ここブースの外だからね。こんなところで驚いてどうするの。確かに空閑くんは予想だにしていないところからスコーピオンを出してきたりするけども、今、そんなことを警戒する必要はないわけで。
――あぁもう。心臓がうるさくて、顔が熱くて、とにかく恥ずかしい。
「よし、じゃあ行くか」
「う、うん!」
ふわふわとした心地のまま私は空閑くんの隣に並んだ。一緒にロッカールームに戻って荷物を持って、通り道でジュースを奢ってもらい、そのまま本部を一緒に出る。
この前の防衛任務の時は米屋先輩に提案されたからだった。けれど今回は、空閑くんから一緒に帰ろうと言ってもらったわけで。そう考えるとまたくすぐったくて嬉しくて、さらに気持ちがふわふわしていく。
空閑くんはすっごく強いのに、優しくて。戦いだけでなく一緒にいる今も翻弄されてしまうの、本当に、どういうことなんだ。
「……なんかもう、空閑くんには敵わないなぁ」
「でも金子も強くなってるだろ。今日片腕落とされたのはびっくりしたし」
「へへ、過去最高の戦果じゃない?」
「だな。いつもの金子だったら引くだろうと思ってたし、してやられた」
空閑くんはやっぱり笑ってくれる。まるで、よくできましたと言わんばかり。
それだけで嬉しくて、頑張ってよかったなって思うのだ。正隊員になってからは、初めてのトリガーセットだったり防衛任務だったり、頼れる先輩たちが増えたことによるランク戦と怒涛の一週間だったし。
「次は片腕と片足が目標かな〜」
「ケンジツな目標だな」
「そうかな? 私からしたら結構大きな目標なんだけど」
そう次の目標を思い描くと、ふとボーダーを続けると決めた時のことを思い出した。ただぼんやりと『戦えるようになりたい』と思ったあの時。
せめて、近界民と戦えるようになりたい。そう思った目標はたぶんもう叶ってしまっている。私はもう正隊員だから、実戦でトリガーを使うことができる。防衛任務にも出られるし、出ればひたすらに警戒区域に現れた近界民と戦うことになる。まだ駆け出しだけど、先輩たちにフォローしてもらってるおかげで任務中にベイルアウトしたことはない。だから今、私は近界民と戦えるようになりつつあるのだと思う。
だから今度は、空閑くんとも戦えるようになりたいと思うのだ。少しずつ、空閑くんに深手を負わせられるようになって。そうして、そのまま――
「強くなりたいな」
独り言のような呟き。けれど空閑くんは、「へぇ?」と興味ありげに私を伺う。
「ランク戦できるの楽しいし、色々教えてもらえるの、嬉しいし面白い。そうやって教わったことできるようになりたいし……負けっぱなしはやっぱり、悔しいじゃん?」
「そうだな。おれも同じだ」
空閑くんは意外にも、私の話に共感してくれた。空閑くんにもそういう気持ちがあるんだな、なんて。不思議に思っていれば空閑くんは笑いながら、「おれだって負ける時は負けるぞ」なんてけろりと言ってみせる。
「でも訓練だから、何回負けたってまた挑戦できるだろ。そういうのは楽しい。……それに」
ふいに空閑くんが、じっと私を見つめる。どきりと弾む心臓。一瞬、時間が止まってしまったような。
そんな錯覚に戸惑う私をよそに、空閑くんはまた、にこりと笑ってくれる。
「おれは、根性あるヤツは好きだぞ。金子が何回も挑んできて、毎回ちょっとずつ強くなってるの、おもしろいしな」
――あ、やばい。でも私の意思に反して、するりと言葉が滑り出る。
「私も、空閑くんが好きだよ」
言ってしまって、すっと背筋が冷える。やばい、何を口走ってしまったんだ私。
いや、まだ大丈夫。空閑くんが好きだって、初めて会った時も、この前のランク戦の時だって言った。そう、好きなんだ。だって――
「知ってるよ」
心臓が止まってしまうかと思った。空閑くんは動揺している様子もなく、変わらない笑顔のままそう返事をしてみせたのだ。
それなのに私は、なに一つ返事ができない。空閑くんは黙ってしまった私を不思議に思ったのだろうか。少しだけ首を傾げて、やっぱり笑ったまま口を開く。
「だって、おれのファンなんだろ?」
――あぁ、やっぱり違うかも。だって今の私、そうじゃなくて、って言いたくなっちゃったもん。
それでもどうにかその言葉だけは、最後の最後で踏みとどまることができた。だって、そう言うべきではない気がしたのだ。それがいつかはわからないけれど、少なくとも今ではない。
だけど、『そうだよ』とも肯定したくなかった。今の私の気持ちを『ファンだから』と結論づけられてしまうのが嫌だったのだ。
「あのさ」
私は肯定もせず、否定もしないことを選んだ。応援したいのは、見ていたいのは、空閑くんのファンだからかもしれない。それでもこの気持ちはたぶん違うんだと思うから。
だから、今の私の気持ちを。勇気を出して空閑くんを見つめて、私は宣言する。
「いつか空閑くんから、一本取ってみせるよ。待っててね」
空閑くんは私が今いるところより、ずっと遠いところにいる。そうして今も、空閑くんは先を目指して歩いているのだろう。
私は追いつきたいと思う。ちょっとでもいいから、この距離を縮めたい。そう焦がれる気持ちがなんなのかは、きっともうわかっている。
空閑くんは私の宣戦布告を聞いて、少しだけ驚いたようにしていた。けれどすぐに目を細めて――私の錯覚かもしれないけど――なんだか嬉しそうに笑ったのだ。
「おう、楽しみにしてるぞ」
自分でもわけがわからないくらい、空閑くんがかっこよくて、苦しくて。そして……泣きたくなるくらい嬉しかった。
だから私はまたひとつ、目標を定めたのだ。強くなる。空閑くんと肩を並べられるくらい。そうやって私は、空閑くんに手を伸ばしていたいと思ったから。