「まさか迅が、猫を拾ってくる日がくるなんてな」
レイジさんはそう言って、私の前にことりと陶器を置く。形からも明らかにペットのための餌皿といった様子で、中にはゆらめく白い液体。これもまた買ってきてくれたらしい猫用のミルクで、さらにはレイジさんが少しだけ温めてくれたもの。
鼻を近づけて、少しだけ舐めて。レイジさんは心配そうに私を見ているけれど、ほんとうにちょうどよい温かさだ。私は安心してミルクを飲みはじめ、見てくれていたレイジさんもほっと安心したように息を吐く。
そんなやりとりを眺めていた迅さんが、いよいよ不満げな声を漏らした。
「レイジさんまで、おれがペット飼ってって駄々こねてるみたいに言うのやめてくんない?」
「違うのか?」
「だからさぁ、なんか変なんだって、この猫」
迅さんはやっぱり私を怪しんでいるらしい。レイジさんは残っていたミルクを冷蔵庫にしまったり、温めるのに使った小鍋を流しに片付けながら迅さんの話を聞いている。
「動物でここまで未来がブレるの、初めて見るよ」
「雷神丸はそうならないのか」
「あいつは良くも悪くも陽太郎に影響受けるからな〜。でもこの猫は『どうしてそういう未来に進むのか』が視えない。だから変なんだよね」
「変?」
「こいつに、選ぶ意志があるって感じの視え方なんだ」
――未来を選ぶ、意志。それは動物にないものなのかな。そうして、私にあるもの?
私と同じような疑問を抱いたのだろう。レイジさんは理解しかねているのか眉根を寄せつつ迅さんに訊ねる。
「動物にだって意志はあるだろう。なにが変なんだ」
「今日さ、陽太郎が聞くより先に名乗ってたっぽいんだよね」
「……ほう?」
「『名乗ろう』なんて発想が最初に出てくるの、変だよ。今までは陽太郎が聞いたことを答える動物がほとんどだった。それか向こうから話しかけてきても、自分の用件が優先だ。腹へった、とかどうしてほしい、とか。最初に名乗るって、そんな……」
「……人間みたいだな」
レイジさんの視線が私へと移る。私はなるべく視線を合わせないように、無我夢中でミルクを舐め続ける。
どうやら、あの時迅さんが不審がっていたのは私が名前を名乗ったからのようだ。見知った顔だったからつい浮かれてしまっていたけれど、迅さんたちからしたら当然、私は知らない人間――いや、猫だ。それなりの知能がありそうと気づけば、怪しむ理由にはなるのだろう。
「それでも迅がここに連れてきたということは、危険があるわけではないんだろう」
「今のところはね。まぁでも、それもすぐに確定しそうかな〜」
はぁ、と一度ソファの背もたれに身体を預けた迅さん。そうして何度か深呼吸して、よっと、と掛け声と同時に起き上がる。
「とりあえず、陽太郎が世話を焼きたがると思うけど……細かいところはレイジさんにもお願いするよ」
「おまえは世話しないのか」
「……はっはっはっ」
迅さん、なんか笑って誤魔化してないか……? レイジさんはそれを怒ることもせず、ふぅ、と息をつく。
会話に一区切りついて、その頃には私もミルクを飲み終えていた。するとレイジさんはそっと私を抱えあげて二階へと上がっていく。そのあとには部屋に戻るらしい迅さんも続く。
連れていかれた先は空き部屋だった。そのまま二人は部屋を去っていき――残された私はどっと疲れが出てうずくまる。
遊真くんもレプリカも休息が必要ないから、私がフードの中で寝ている間もほとんど移動を続けていたようなのだ。ようやく到着した安堵感からか強い眠気に襲われて、どうしようもない。
遊真くんは無事に目的の場所についたのだろうか。ちょっとだけ心配する気持ちはあれど、私はあっという間に夢の世界へと落ちていった。
*
気づけば、部屋にはやんわりと朝日が差し込んでいた。いや、もしかして昼だったりするだろうか。私はどうにか起き上がってぐん、と伸びをする。とてもよく寝た。こんなにぐっすりと寝たのは久々だ。
さて、お腹が空いたのだけどどうしたものか……と辺りを見回せば、部屋の入口近くに昨日の餌皿がふたつ置かれていた。ひとつは水が張ってあり、もうひとつは……カリカリだ! これまでは遊真くんから人間の餌をわけてもらっていたけれど、レイジさんは猫用のカリカリ――つまりはドライフード――を用意してくれたらしい。
(……い、いただきます)
意を決してカリカリを一つ咥えて……カリ、とかみ砕く。感覚的に猫のカリカリを食べるのは抵抗があるような、ないような。でも思ったより美味しい。私はしばし食べるのに夢中になる。
水も飲んで、すっかり元気満タンだ。さて、そうなると日課としては日光浴と毛づくろいなんだけど……と考えはじめた頃、廊下から誰かの足音が響いてきた。感覚的に、これはこの部屋に入るつもりだろうと察して待ち構えれば、開いたドアから顔を見せたのは迅さんだ。
「よう、ねぼすけ。爪とぎ買ってきたぞ〜」
迅さんはそういって、ひらひらと爪とぎらしきものを掲げてみせる。そうして部屋の隅に置く迅さんに違和感。
隊服を着ていないのか。ゆるりとしたロンTに、だぼっとしたズボン。ぱっと見は部屋着と言わんばかりのゆったりした格好だ。普段はわりと気を抜いているのかな、とか考えていると迅さんはにこりと私に笑いかける。
「ついでに、おまえ用のシャンプーも買ってきたんだ。風呂入ろうな」
迅さんは遠慮なく歩いてきて、なんの躊躇いもなく私を抱き上げた。私が抵抗しないのに慣れたらしい。いや、そもそも未来視で視えてるんじゃないのかな、そういうの。
部屋着になっていたのはつまり、私を洗うためか。納得している間にもあっという間に風呂場に連れていかれ、洗い場に下ろされる。
おもちゃがあって、シャンプーやリンスは数種類。それぞれの好みで持ち込んでるのだろうか。なんとも家庭的な雰囲気のお風呂だ。
「安心していいぞ〜。雷神丸も洗ってるからな、おれ」
シャワーヘッドを持ってお湯を出しはじめた迅さん。しばらく指先で温度を確かめている様子だったけど、少ししてから洗面器にお湯を溜めはじめて。迅さんは「おいで」と言いながらも私を抱え、そうっと洗面器に張ったお湯の中へと下ろされる。
(……き、気持ちいい……!)
温かいお湯に浸かる気持ち良さは格別だ。あまりに気持ち良くて零れた感動は鳴き声ではなく、甘えたようにごろごろと喉を鳴らす音に変わる。
実を言うとこれまでお風呂に入れなかったのだ。カルワリアという環境もあったし。レプリカの知識で猫にお風呂は不要だと判断され、汚れた時に濡れた布で拭かれるくらいだった。
「あ、首輪外してなかった。ちょっとごめんな」
(はい〜……)
久々の湯船は格別だ。あまりに心地よくてまどろんでいる間に、迅さんの手がさっと首輪を外していく。……意外と、無ければ無いで違和感があるものだな、これ。でもまぁ今はともかく、お風呂が気持ちいい。
そうリラックスしながらも手持ち無沙汰。なにとはなく風呂場を見回すと、壁に貼り付けられたひらがなのパネルが目に留まる。
(……懐かしい、なぁ……)
リラックスしすぎてついつい鳴き声がもれる。これも陽太郎くんのおもちゃだろう。しみじみと昔を思い返して――ふと、これがあればコミュニケーションが取れたりして? と思い浮かぶ。
……ただでさえ怪しまれている状況で、そんなことをしたら怖がられないだろうか。というか、前みたいにスパイかなにかだと疑われたりしないだろうか。
おずおずと迅さんを見上げれば、いつの間に表情を変えていたのか、きょとんとした表情を浮かべていた。けれどそれも束の間で、あっという間にとろんとした笑顔を見せた迅さんは私をゆるりと撫でてくれる。
「うんうん、お湯も嫌がらない、いい猫だな〜」
そのまま「じっとしてろよ」なんて言われたので、私は浮かんだ考えを放り投げた。遊真くんもレプリカもいないのだ。今はともかく大人しく過ごして、機を待つほうがいい。
「じゃあ洗うからな」
予告されてから全身をしっかりとお湯で濡らされ、買ってきたらしい動物用のシャンプーでわしゃわしゃと擦られると……ひたすらに心地いい。うぅ、人に洗ってもらうのってなんて気持ちいいんだろうか、骨抜きになってしまう。
しっかり洗ってもらって脱衣所に戻れば、今度はふわふわのタオルで全身を拭かれた。そうして次は、だいぶ離れたところからドライヤーの風を当てられて乾かされ。ふわふわの毛並みに戻り首輪を付け直される頃には気分爽快、あまりの気持ち良さにもうひと眠りできそうなくらいだ。
「お〜い、歩けるか〜。部屋に戻るぞ〜」
(……は〜い……)
迅さんに呼びかけられたけど、リラックスしすぎて起き上がる気持ちになれない。できるならこのまま寝たい。
つまりは本当にそうなる未来が視えたのか、迅さんは困ったようにふすりと笑った。それからひょいと私を抱えあげ、来た道を戻って部屋へと連れていってくれて。
「夕方には陽太郎が戻ってくるぞ。構われると思うから、しっかり寝とけ」
迅さんの囁きにどうにか鳴き声で答えれば、少しして部屋の扉が閉まる音。静かになった部屋の誘惑に耐え切れず、私はあっという間にまた眠りに落ちた。