水をもらい、猫の餌をもらい、さらに陽太郎くんは「一日に一回だけだぞ!」とおやつまでくれる。迅さんにお風呂に入れてもらってから気持ちもさっぱりしているし、至れり尽くせりの玉狛生活をすっかり満喫している私。
(……っていうか、何日過ぎたんだろう)
独り言のにゃぁん、という鳴き声はしんとした部屋によく響く。
記憶が確かなら、遊真くんはまず三門中学に転校するはず。そうして修くんに出会うのだが……それ以降の記憶が曖昧だ……。
しかも宛がわれた部屋で過ごすばっかりに、思い出すきっかけになりそうな話も聞いていない。たまに陽太郎くんと雷神丸が遊びにきてくれるけど、最後にはいつも迅さんが現れて、私を部屋に戻してしまうのだ。
(なんでかなぁ……)
しんみりとしたにゃぁん、という鳴き声もまた、虚しく部屋に響くばかり。
せっかく玉狛支部にきたんだから、もっと皆に会ってみたかった。今のところ会ったのは最初の栞ちゃん、レイジさんと、陽太郎くんくらいか。まぁ、暗躍に忙しいはずの迅さんまで私の世話をしてくれるのだから、たぶん貴重な時間を過ごしてはいるんだろうけど。
「おーい、元気にしてるか〜」
噂をすればなんとやら。部屋に入ってきたのは迅さんだ。
「悪いけど、ちょっと引っ越しな。あと少しの間はおれの部屋に来てもらう」
迅さんはそう言って、餌皿と水皿、それらを乗せたトレー、爪とぎと最近もらったおもちゃまでをさっとまとめて持ち上げる。そのまま部屋を出ていってしまうので、ついてくると見通されているらしい。私は素直に迅さんの後に続く。
ぼんち揚げの段ボールがたくさんある中、扉から死角になりそうな部屋の隅にトレーを置いた迅さん。なんで急に引っ越しなんかしたんだろうか。様子を伺ってもにこにこ笑顔を浮かべているので、まったく意図がわからない。
「なるべく静かにして……悪いけど、しばらく外にも出してやれない。ごめんな」
迅さんの希望は普通なら、猫に対して難しいものじゃないだろうか。それでも言うのは、私ができると信頼されているからか。
簡単に言えばここに隠れてろって意味だろう。私がここにいるとバレないほうがいいのかもしれないとなると、鳴いてしまわないように気をつけないと。
大丈夫だよ、と返事ができない代わりに、私は迅さんの元へ歩み寄る。私を見下ろす迅さんの足に擦り寄って、見上げて。鳴くのを我慢しておずおずと部屋の隅で丸まる。
「……おまえ、ほんとうに賢いね。いいんだか悪いんだか」
迅さんの呟きに返事もできないので、私は大人しく眠ることにした。
*
それから数日、私は迅さんの部屋で大人しく過ごし続けた。いっぽうで、外に出してやれないと言ったわりに気を遣ってくれたのか、迅さんは日中の人がいない時間なら部屋から出してくれた。
そうして迎えた、とある日の朝。
「……ん……」
唸り声を上げた迅さんの下、ベッドがぎしりと音を立てる。のろのろと身体を起こしたと思えば、迅さんはベッドを軋ませながら床に足を下ろして。私はそんな様子を部屋の隅でぼうっと見つめる。
いつもなら、そのまま部屋を出ていってしまう迅さん。なのに今日は、私のほうを見ることはなかったけれど、ぽつりと呟いたのだ。
「……今日の夜、やっと会わせてやれるよ」
迅さんは「さーて」とわざとらしい声を上げて伸びをし、部屋を出て行った。扉を開けるや否やレイジさんの「起きたのか」なんて声と「おはよう、レイジさん」の会話が聞こえてくる。
今日の夜。会えるってことは連れ出してもらえるのか。あるいは逆に遊真くんがここにくるのか。
そうしてピン、と蘇った記憶。もしかして今日って、遊真くんが修くんや千佳ちゃんと一緒に玉狛支部に来る日なんだろうか。ってことは私の知らないうちに、イレギュラーゲートのことが片付いて……三輪隊の強襲があって、みんなが玉狛にやってくる、と。いよいよ!
待ち遠しくてたまらなくて、いつもより念入りに毛づくろいをし終えた夕方。
ふと、下の階から栞ちゃんの「お客さん!?」という声が聞こえてきた。あぁ、遊真くんもいるんだろうな。会いたいなぁ。そう思ったけれど迅さんは夜、と言っていた。勝手に出歩くのも気が引けて、私は大人しく丸まる。
すると少しして、迅さんが部屋へと戻ってきた。
「……は〜、疲れたなぁ……」
大袈裟に独り言を呟いたかと思えば、ベッドにどさりと腰を落とす。それから、ちらりと視線。私がいることを確認してから、おもむろに段ボール箱に手を伸ばして。
……ぼりぼりとぼんち揚げを食べはじめてしまった。えぇと、やっぱりこれ出て行かないほうがいいんだよね? 迅さんはなにも言わないけど、窓の外はどう甘く判定しても夕方でしかない。
「どこでも好きな部屋を選んでいいよ〜」
廊下の方では栞ちゃんの声が響いている。たぶん、遊真くんたちが玉狛支部に泊まるからと部屋を決めているんだ。
迅さんはぼんち揚げを食べながら、もう一度私をじいっと見つめる。無言の間はあまりいい雰囲気ではない。私はさらに扉付近からは死角になりそうな部屋の隅へと引いて丸まる。
「ここは?」
「あ! そこは……」
「……お、迅さん」
ガチャリ、と扉が開いて皆の声がハッキリと聞こえてきた。引き止めるような栞ちゃんの声と、遊真くんの声。ここからは見えないけれど、遊真くんがそこにいる。
今すぐにでも出ていきたかったけれど、私はぐっと堪えた。そのまま皆に見つからないようにじっと息を殺しながら待つ。
「なんだ? ぼんち揚げくうか?」
「……今はいいや」
「そこは迅さんの部屋なんだよ〜」
それから少しだけ妙な間があった。様子を見れば迅さんは、じいっと扉のほうを見つめている。そこにいるだろう遊真くんもまた黙っているようで、なんとなく緊張した雰囲気。
けれど少しして栞ちゃんが「隣の部屋なら空いてるよ」と話を振った。遊真くんは「そうか」と応えて。
「……じゃあ、またくるよ」
そう言ってぱたりと扉を閉めた。そうしてまた賑やかな声はくぐもって、部屋の中にはちょっとした静けさが戻る。
「…………悪いな」
迅さんがポツリと呟いた。状況がよくわからないけれどとりあえず、私は大人しく丸まって時がくるのを待った。
*
しばらくして「夕飯だよ〜!」と呼びかけが響いてきた。呼ばれるままに、迅さんは部屋から出ていってしまう。
今日は人が多いから、こっそりと私の餌を用意するにも一苦労じゃないだろうか。そんな心配をよそに、部屋に戻ってきた迅さんの手にはいつもどおりにトレーがあった。未来視ってすごいなぁとしみじみする。
そうして待ちに待った夜がきた。確か、みんな各々に玉狛支部で過ごしていたハズだ。レプリカが、部屋で過ごしていた修くんに遊真くんの話をしたり。千佳ちゃんが、栞ちゃんから遠征の話を聞いたり。そうして遊真くんは……。
そわそわしていると、ようやく時が来たらしい。少し部屋を出ていた迅さんが戻ってくるなり「おいで」と私を呼ぶ。
「主人に会いにいこうか」
そう言う迅さんの手にはマグカップがふたつ。これから起きることを察した私は大人しく迅さんについて歩く。行き先は、当然――
「遊真」
声をかけた先。屋上の縁に腰かける、少年の背中。
「うん? 悪いね迅さん、せっかく誘って――」
振り返って、迅さんへと話しかけた遊真くん。その目がふいに迅さんの足元へといる私に移った。途切れた言葉。ぽかりとした表情は、次第にまた不審げなものへと変わる。
「……どうかしたのか?」
「つれないな、会いたいだろうと思って連れてきたのに」
怪訝そうな遊真くんの表情を受けても、迅さんは飄々としている。そんな迅さんを見上げれば、私の戸惑いを察したのか「もういいよ」と微笑まれて。
ようやく私は、遊真くんの元へ駆け戻った。
(ただいま!)
鳴けば、遊真くんがゆるりと目を細める。すっと手が伸ばされて「くるか?」と尋ねられるので、私は飛び上がって遊真くんの膝の上へ。丸まれば、遊真くんは私の背中をゆったりと撫でてくれる。
迅さんはそんな私達を眺めたあと、どこかで聞き覚えのある台詞を口にするのだ。
「おまえの話聞かせてくれよ。この猫とどこで出会ったのか、どうしてここに来たのか。それと――今までの、おまえと親父さんの話」
遊真くんはじいっと迅さんを見つめる。それから、遊真くんはゆっくりと話しだした。聞かれたとおり、今日ここにくるまでの話を。