嵐の始まり
 遊真くんの部屋、残されたレプリカと私は静かに向き合う。

『さて、今日もいくぞ』
(お願いします!)

 そう、いつもと同じレプリカとのお遊びタイムのことだった。猫じゃらしで遊ばれ、飛びつき、飛びはね、飛び掛かっていた最中。

『……おや?』

 そう呟いてレプリカの動きが止まった。当然、私は難なく猫じゃらしを捕まえられてしまったので、ふぅ、と満足したあとでレプリカの様子を伺う。
 レプリカはじぃっと床を見つめていた。なんだろうとその視線を追うと、橙色のミサンガ……みたいな紐が一本。いや、ところどころに黒いパーツがついているのを見るに、首輪に見える。
 ……もしかしてこれ、今まで私が着けてた首輪では?

『ふむ、壊れてしまったようだが……しかし……』

 まぁ、物はいずれ壊れるものだ。それは首輪でも同じだし、むしろこれまでずっと壊れなかったことが不思議なくらい。だからレプリカの反応を妙に感じて、私はおそるおそる壊れて落ちた首輪の元へ。
 ――目に留まったのは、黒いマジックで書かれた文字の羅列。

『首輪の裏側に住所が書かれていたのだな。しかも、ここからそう遠くない』

 住所は確かに三門市からはじまっている。まさか、私って三門市生まれだったの?
 混乱しつつも、いや、違うはずだと改める。もし私が三門市に生まれて普通に育っているとしたら、カルワリアやトリガー、トリオンのぼんやりとした知識を持っているハズがない。なにより遊真くんたちを知っていることからもおかしい、としか思えない。

 それでも私が着けていたらしい首輪に三門市の住所が書いてあるのは確かだ。どうして私は猫になったのかと思っていたけれど、もしかして、猫は猫で三門市に生きていたのだろうか。まるで幽霊みたいな私が、この猫を乗っ取ってしまったとか、そういう……?

『……ふむ、これは警戒区域の中だな』

 住所を読み取ったレプリカは解析を終えたらしく、静かにそう呟く。
 私はどうしても気になってしまって、そっとレプリカを見上げた。けれどレプリカはまだ首輪に夢中なので、私はそっと扉の前に移動して前足で優しく叩く。

(レプリカ、お願い、行きたい)

 にゃぁん、と必死に鳴いて訴える。私はこれまで一度だって外に出たい、というようなことを訴えたことがない。だからレプリカも、私が扉を開けてほしそうに前足で引っかく様を見れば理解してくれたらしい。

『案内しかできないが、それでもいいか?』
(大丈夫。だから、お願い)

 もう一度鳴いて扉を叩く。すると分身レプリカはさらに分裂し、猫じゃらしをまとったレプリカはそっと部屋のデスクの上へ。身軽になったもう一粒のレプリカが私の傍にやってきて、体を変形させたと思えばガチャリと音。

『いつゲートが開くかわからない。気をつけていこう』
(リア、了解!)

 にゃ、と軽く返事をして、私はとてとてと歩き出す。
 遊真くんたちは今日から中学校に行きはじめたばかり。他のみんなも学校に行ってるし、支部の中には誰もいないと思う。今はまだ午前中のはずだし、急げばみんなに気づかれることなく行って帰ってこれるかも、なんて。

 本当なら、警戒区域の中である以上誰かに付き添いをお願いすればいいんだと思う。けれど、居ても立っても居られなかった。だって私は私だと思っていたのに、本当は『私』じゃないかもなんて気持ち悪くてスッキリしない。こんな気持ちのまま、許可が出るまでなんて待ちきれない。
 そう急く気持ちのままに、私は先行するレプリカを追いかけて小走りで進む。道中また、この前みたいに野良犬とかに出会ってしまったら最悪だ。レプリカもそう思っているのか、塀の上や屋根を伝いながらも淡々と警戒区域の奥へ。

『リア、そろそろだ』

 だいぶ歩いてきたと思ったけど、それもそのはずだ。いつのまにか向こうにあった山がずいぶんと近くなっている。ボーダーが右手側に見えるけど、ここって西側、であってるのかな?
 そうしてレプリカが止まったのは、とあるマンションの一室の前だった。鉄の扉は重そうで、これ、どうしようかと途方に暮れる。

『少し待て』

 レプリカはカタンと音を立てて、扉についているポストを通り抜けていった。しばらく待っているとカチャン、と錠の落ちる音。そのあとでレプリカがじりじりと扉を開けるので、私は隙間を見逃さず身体を滑り込ませる。
 すぐにガチャン、と扉が閉まってしまった。普通に不法侵入だけど、もう後にはひけない。私は玄関の向こうに伸びる廊下を見据える。

『どうだ、行きたいところはあるか?』

 尋ねられ、私はともかく家に上がることにした。
 玄関マットを踏みしめて、廊下の奥へ。左右にいくつか扉があったけど、とりあえずは奥から順に見ていこうと進んでいく。
 廊下の奥はキッチンとリビングが一体になったようなスペースだった。カウンターキッチンのすぐ向こうには家族用のダイニングテーブル。椅子が四脚ということは、四人家族だったのだろうかとぼんやり考える。

『……リア』

 それまで静かに私についてきていたレプリカが名前を呼んだ。なにか見つけたのかと、レプリカが呼ぶ、カウンターキッチンの上へと飛び乗る。
 そこには餌皿と水皿らしきものが伏せて置かれていた。洗って乾かしてそのまま、といった雰囲気。しかしながらまったく見覚えがなくて、私は首を傾げるばかり。

『リア、これにも見覚えはないか』

 次に呼ばれた先はダイニングの隅に設置されたキャットタワー。そのすぐ下には猫用のおもちゃがいくつか入ったカゴが置かれていて、ちょっとだけくたびれたような雰囲気からも使われていたことがうかがえる。
 けれど、やっぱり覚えはない。この家に住んでいた、みたいな懐かしさもない。なにを眺めていてもやっぱり他人の家としか思えなくて、ほとほと困ってしまう。

『……ほかに目ぼしいものは見当たらないな』

 私も改めてダイニングのあちこちを見回すが、特に気になるものは見つからない。
 写真とか、そういうものがあったらよかったのになぁ。家人は飾る性格ではなかったのか、あるいは避難先に持ち出したか。アルバムを探そうと思うと骨が折れそうだし、これ以上は残されているものを見たところでどうしようもなさそう。

『リア、提案がある』

 動かなくなった私を見てか、レプリカがふよりと寄ってきた。

『住所があれば少なからず足取りは掴めるだろう。この家で思い出すものがなければ、あとは前の主人と思しき家族に会ってみるのもよいのではないか』

 それはおそらく真っ当な提案で、私が飼い主を探すのならばすぐさま頷いて肯定するところだ。
 けれど今の私にとっては受け入れがたい提案だった。私は前の主人らしき人を探さなければならないのだろうか。これほどまでに覚えがなくて、他人事で、会ったところでどうしたらいいのかもわからないのに。
 私の迷いをレプリカにどう伝えるべきか。そう考えはじめた頃、急にサイレンの音が鳴り響く。

『ゲート発生、ゲート発生。大規模なゲートの発生が確認されました――』

 ――同時に、今頃になって記憶が蘇る感覚。

『警戒区域付近の皆様は、直ちに避難してください』

 そう、つまり。大規模侵攻が始まったのだ。




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ねこてん!

 

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