地に転がり落ちたレプリカの分身体によって、私は大規模侵攻が収束したことを察した。
安全……というわけではないが、おそらく侵攻していた敵の主犯格は撤退したハズだ。まだトリオン兵は残っているようで、遠くから爆音は響いてくるが――少なくとも、この付近に危険は感じない。
(……レプリカ)
にゃぁん、と小さく鳴いても、レプリカはピクリとも動かない。
大丈夫。レプリカは、生きてる。そうと言い聞かせても目の前の光景はあまりに辛くて、とてもすぐには気持ちを切り替えられそうになくて。
(……どうしよう)
頭が真っ白になってしまってなにも浮かんでこない。どうしよう、なんて言ったってなにを困っているのか、わかっていないのかもわからないくらいだ。
しばらくして私は、とにもかくにも転がったレプリカを咥えて犬小屋を出た。ずっとここにいてもしょうがない。とはいえ一人で玉狛に帰れる自信はない。だから、誰かが近くにいないだろうかと縋るような気持ちで人を探す。
建物が残っている区画もあれば、戦闘が行われたのだろう瓦礫が散らばった区画もある。えっちらおっちらと歩き続けて、足は自然とボーダー本部基地の方へ。
「……お? 秀次、ちょっと待った」
誰かの声が聞こえて足を止める。警戒区域の中にいるからにはボーダー隊員だろう。動物だとしても、ここにいるとなったら怒られちゃうのかな、なんて考えつつ声の主を探す。
「ん〜、違ったか? 首輪してないから人……いや、猫違いかも」
やっと見つけた先にいたのは、紫色の隊服が特徴的な二人組だった。私を怖がらせないようにか、ゆったりとした足取りでこちらへと近づいてくるのは、棒のような……槍を持った男の人。
(米屋先輩と、三輪先輩?)
反射でみゃぁんと鳴くと同時に、ことりとレプリカを落としてしまった。わ、やってしまった。痛……くはないんだろうけど、見ている私が痛そうなのでごめんね、レプリカ。
もう一度咥え直してから、私はとてとてと二人の元へ歩いていく。米屋先輩はちょっとだけ嬉しそうに「こいこい」なんて言ってくれるけど、三輪先輩は不愛想で私を睨んでいるかのようだ。
「おまえ、よくこんな所にいたな〜。危ないぞ? 外行くか?」
「陽介、その猫どこで見た」
「んん? いや、違うかもしんね〜けど、栞にもらった写真に映ってた猫に似てる気がしてさぁ」
陽介先輩は思い出そうとしているのか、首を捻りつつ宙を見上げている。……心当たりが少なからずあったが、私は自己紹介できるわけもなく、ぼうっと待つばかり。
するとさっきから不機嫌そうだった三輪先輩が、いよいよ苛立ったように「放っておけ」と告げる。
「そいつが咥えてるのは、玉狛の近界民が連れていたトリオン兵の一部だ」
「お? じゃあおまえ、白チビの猫か。なら大丈夫か」
――……遊真くんの、猫。
「行くぞ、陽介。まだトリオン兵が残っているんだ」
「了解。じゃぁな、ちびすけ」
三輪先輩の指示を受けて米屋先輩もすっと切り替え、二人そろってその場から消えた。あっという間に屋根を伝い市街地へと駆けていく様をみて、ぼんやりと考える。
大規模侵攻が終わって、どうなるんだっけ? 修くんは大怪我をしたハズだけど、米屋先輩が本部の医務室へ運んでくれたはず。その米屋先輩がこれから市街地のトリオン兵討伐に向かうのだとしたら、様々な後始末がはじまりつつあるはずだ。
なら遊真くんはどうしてる? 修くんが病院に行ったのを見届けたあとで、確か、レプリカを探しに行くんじゃなかったか。
私はレプリカを咥えたまま駆け出した。私だって、これまで一緒にいたレプリカが動かなくなった様を見て、怖くて、悲しくて、寂しくて、辛くて堪らなかったのだ。なら小さい頃から一緒にいた遊真くんの辛さはその比じゃないだろう。
――遊真くん、どこにいるんだろう。
レプリカに言われたばかりじゃないか。遊真くんを一人にしないでやってくれって。
私は記憶を手繰り寄せながら必死に駆け回る。修くん達がいたのは南西? 南東? いずれにせよその方向から本部に向かって北上してきていたハズ。だとしたらここから辿り着けない場所じゃないハズだ。
いまだ微かに遠くからの爆音が響く警戒区域の中、私は必死で遊真くんを探しはじめた。
*
しばらくすると疲れからか、レプリカを咥え続けることも辛くなってきてしまった。そうして何度も落としては咥え直し、駆け回って遊真くんを探す。
けれど次第に足取りは重くなり、いよいよと体力の限界から立ち止まってしまった頃。再びレプリカをカツリと落としてしまうが、呼吸を整えるために咥え直すこともできない。
そんな私の前にふっと影が落ちた。驚くも飛びのく元気がなく、おずおずと見上げれば同時に、誰かがゆるりと腰を落とす。
(――迅、さん?)
私の鳴き声に、迅さんは少しだけ悲しそうな笑顔を浮かべるだけだった。それから私が落としたままだったレプリカを拾い上げ、小さな声で「預かっておくよ」と呟く。
それから迅さんはもう一度私を見つめた。少しずつ息を整えていく私を見届け、すっと静かに指で道を示す。
「今、手分けして探しているところなんだ」
それだけで、考える間もなくまた地を蹴る。
私はわき目も振らず迅さんが示す方へと歩き出した。この辺りは特に戦闘があったからか、民家や建物がことごとく瓦礫と化している。その山の向こうにうっすらと、白い影が見えたのだ。
瓦礫の山の上にしゃがみ込んだ遊真くんは、着実にひとつずつ瓦礫をどかしている。ガタン、ガラン、と物音が響き続けていて、真剣な表情に声をかけるのもためらわれるほど。
「――ん、……リアか」
それでも遊真くんは私に気づいて手を止めてくれた。ゆるりと振り返った表情は普段とあまり変わらず、けれど緩慢な動作からは少しだけ疲れているようにも感じられる。
「無事だったか。よかった」
穏やかな笑顔を見せてくれているのに、私は遊真くんの元へ行くことをためらってしまった。大丈夫だろうか、いや、大丈夫なわけがないのに、どうしたら。
すると遊真くんはレプリカを探す手をいったん休めた。そうして瓦礫の上に腰を落とし、ぽんぽん、と膝を叩く。
そこまでしてもらって足踏みするわけにもいかないだろう。私は勇気をだして踏み出し、そっと遊真くんの膝の間に座り込む。すると遊真くんはゆるりと優しく私の身体を確かめるように撫でてくれる。
「……怪我はしてないな。まったく、無茶なことするな」
呆れたように笑う声は乾いていて、私はただじいっと遊真くんを見つめるしかできない。鳴くことも、擦り寄ることも、なにもかもが遊真くんに甘えてしまうようで動けないのだ。
遊真くんの撫でる手はそっと私の首元へと向かう。今はもう首輪もないそこを、優しくなぞるような手つきで。
「チカも無事だったし、オサムも……怪我はしたけど生きてる」
そうして遊真くんは静かに呟くのだ。
「でも、レプリカが見つからなくてな。今探しているところだったんだ」
黙って続きを待てば、遊真くんは疲れたように笑う。
「だから、おまえも手伝ってくれないか」
(もちろん)
すぐに返事をすれば、遊真くんはちょっとだけ驚いた表情になった。不思議とその方が安心できて、私はいよいよ腰を上げる。
私を見た遊真くんは、いよいよまた瓦礫の山を踏みしめて立ち上がった。まだ空は青いものの、時間は確実に進んでいく。これ以上暗くなってしまう前にと、私たちは残されたはずのレプリカを探しはじめるのだった。