平穏の代償とは
 近界は、月も太陽もすべて神が生成したものだ。つまり神がそうと創らなければ、私の知る四季すら星に存在しない。それはカルワリアにとっても同じことで、だから私には、私がここに来てからどれくらい経ったのかを知る術がなかった。
 ただわかるのは、長い月日が過ぎたということ。
 ヴィッターノくんの背がぐんと伸びて、幼い丸みがだいぶなくなってしまった。イズカちゃんの無邪気さが鳴りを潜め、よりお姉さんらしく私を見守ってくれるようになった。
 そしてユーマくんの姿は変わらず――けれど最近でひとつ、変わったといえば。

「暇だなぁ」
『なら、リアと遊んでやってはどうだ』
「……えぇ〜……」

 ここ数日の遊真くんは暇な時間がたくさんあるらしい。今も部屋の隅にあるデスクに座り、机に広げっぱなしの地図の上で頬杖をつきながらつまらなそうにしている。
 戦争が終わったのかはよくわからない。ただ、敵襲があったという話を聞かない。レプリカとの勉強会も予習や基礎の復習ばかりで、実戦の反省のような内容が極端に減った。ボーダーとは違うのでトリオン体での訓練ができるわけでもなく、最近の遊真くんは戦えない鬱憤を溜めているようだ。

「つまらん」
『ではまた戦術の復習をするか?』
「もう五日もおんなじことやってるぞ」
『……そうだな』

 レプリカもお手上げのようで押し黙り、遊真くんはぼうっと窓の向こうを見つめるだけ。
 ……あれ、私と遊んでくれる話は流されてしまったのか。遊真くんが本気で私に猫じゃらしを振舞ってくれるとこ、ちょっと見たかったんだけど。
 私はちょっとの期待をこめて遊真くんの足元に歩み寄る。気配を察したようで、遊真くんは「遊ばんぞ」なんて呟くので、さらに意地になって遊真くんの膝の上に飛び乗った。

「……だから、遊ばんぞ」
『甘えたいのだろう』
「こいつ、こういう時ばっか構ってもらいにくるんだよなぁ」

 口調はうっとうしいと言わんばかりだけど、膝の上で丸まった私を撫でてくれるくらいには、遊真くんはなんだかんだ甘くなった。さすがに猫の可愛さには遊真くんも敵わないようだ。
 ……けれど、どうして遊真くんがこんなに暇そうにしているのか。もしかして、戦争が終わる前兆だったりして?
 
「……しょうがない、散歩でもいくか」
『ふむ』
「遊ばない代わりにな」

 遊真くんは閃きと同時に私を膝から下ろしてしまい、立ち上がったと思えば部屋の扉に手をかける。ゆるりと開いて私を見下ろし、出ないのかと言わんばかりの表情だ。

(……で、出てもいいの?)

 にゃぁんと鳴いたのが甘えているように聞こえたようで、遊真くんは「行かないのか」なんて不思議そうな顔。猫じゃらしで遊んでくれない代わりに外に行ってもいい、と。
 こういう時、野性味溢れる猫なら元気よく外に行くんだろうなぁ。なんて考えつつ、私はおずおずと部屋の外に踏み出す。後に続いて出てきた遊真くん。レプリカは、たぶん指輪の中に隠れてしまった。
 ……で、次は?

「……ふむ、だいぶ慎重なんだな」
(いやこれ、どっちに行っていいのかわからないんだけど)

 どっちに行っていいのか、っていうか私が勝手にうろついていいのか。迷った末に足踏みしている様子を、遊真くんは感心したように見つめて呟いている。いやあの、本当にこれ私の好きに行っていいんでしょうか?
 私は意を決して歩き出す。後ろには遊真くんが続く。砦の下は――私の勝手な想像だけど、マザートリガーがあったりとか重要そうな気配がするので――まずいと判断。ならばと上へ、上へ、廊下を歩き回り、階段を見つけては登り、無心に歩き続ける。
 そんな道中、通りすがりの衛兵さん? から声をかけられて。

「……おや、ユーマか。珍しいじゃないか」
「うん、まぁ。暇だからな」
「そうだな……なぁ、ここだけの話だが」
「なに?」

 衛兵さんは内緒話でもするかのように屈み、小声で続きを話す。それなのに顔はにやにやしているし、あまり隠そうとしていないような妙な雰囲気。

「いよいよ向こうが折れたって話だ。休戦を持ちかけたのも向こうだし、どうやら講和条約締結に動き出してるらしいぞ」
「……ほう」

 ――ものすごいことを聞いてしまった、ような。
 どうりで衛兵さんが嬉しさを隠しきれないわけだ。長かった戦争にいよいよ終わりが見えてきた。しかも自分たちの勝利で、となれば喜びもひとしお。戦争の英雄でもあるだろう遊真くんにそう話したくなる気持ちはわからないでもない。
 けれど対照的な遊真くんは特段嬉しそうでもなく、微妙な反応。喜びに水を差すわけにもいかないだろうと考えているからか、それでいて本心では――不謹慎ではあるのだけど――残念がっているからか。

「ユーマも、これでようやくゆっくり休めるかもしれないな」
「……そうだな」

 それ以上会話が続くのは……なんとなく心配だ。だから私は心苦しいながらも二人を放って歩き出した。さらに上を目指すべく、階段を探すために。
 遊真くんはそんな私に気づいたようで、「じゃあ悪いが」と言って話を切った。衛兵さんも普通に「わかった、それじゃあな」と返す。会話が自然に終わったことに安心しつつ、私は黙々と歩き続けた。
 階段を見つけて、登って。また廊下を歩いて階段を探して、登って。最後に見つけた螺旋階段を延々と登り続けて。

(……わ、屋上についた)

 私から見える限り、ここより高いものは見えない。さて、いよいよ行く場所がなくなった。
 遊真くんは「ほぅ」と感心しつつ、ついに私より前へと歩み出る。そのまま、なにとはなく縁へと飛び乗るようにして腰かけた。……なにその胆力。こんな高い屋上の縁に堂々と座れるの凄いな、遊真くん。
 どうしようかとウロウロしていると、遊真くんが不思議そうに私を見下ろして声をかける。

「なんだ、乗らないのか」

 ……猫って高い所が好きなんだっけ? こういう所でも乗れるもの?
 いや、たとえそうであっても私がとなれば話が違う。猫って高い所から落ちても大丈夫なことが多いらしいけど、私はうまく着地できる自信がない。だからつまり、怖いわけで。

「ほら、こないのか」

 遊真くんは不思議そうな顔をして、ぽんぽんと自分の膝の上を叩く。来いと言わんばかりに誘われている。わかってはいるけれど、さすがにいつものように身軽に飛び乗ることもできず、私はおずおずと遊真くんの傍に歩み寄る。
 痺れを切らしたようで、いよいよ遊真くんは一度縁から下りてしまった。そうして私を抱え、「よっと」と軽い声を上げつつもう一度縁へ腰を下ろす。もちろん、ゆるりと私を膝の上に下ろすのも忘れずに。

「……ふぅ」

 なにとはなく息をついた遊真くんは、改めてぼんやりと屋上からの景色に目をやる。私もまた、遊真くんの膝の上で恐々と辺りを見回す。
 そこには広大な景色が広がっていた。遠くに輝く眩しい夕陽。沈もうとしている山の陰は黒々としていて、裾野から城下町へと広がる草原は黄金色。

「……レプリカ」
『――なんだ』

 呼ばれて、レプリカはすぐに姿を見せた。指輪からうにょりと出てきた姿を目だけで確認して、遊真くんはゆるりと話し出す。

「さっきのやつが言ってたの、本当か?」
『講和条約の話なら事実だろう。さきほど使節団を受け入れる話をしている者もいた』
「……じゃあ、戦争は終わるのか」
『向こうから講和締結を求めてくるのならば、カルワリアにとっては良い話だ。拒否して戦争を長引かせることもしないだろう』

 遊真くんが少しだけ残念そうに「そうか」と相槌を打つ。
 終戦が近いとなると、有吾さんが亡くなってからもう三年も経つということだ。私が思っていた以上に時間は進んでいたらしい。そうなると今度、遊真くんはいずれ――

「……なにもやることがなくなったなー」

 ドキリとした。どこかで聞いたような話だ。まさか、と思う間もなく傍にいたレプリカが提案を始める。

『ユーゴの故郷に行ってみないか?』

 そこからは恐ろしいほどに、私が知っているとおりの会話が続いた。レプリカは遊真くんの興味を引くように日本の、ボーダーの話をする。遊真くんはたいした反応を示さないものの、特に抵抗があるわけでもない様子。

「ふむ……そうだな……」

 なにかを考えている様子の遊真くん。いよいよこれから私の知る物語が始まるのか……と期待した矢先のことだった。宙をさまよっていた視線がふいに私へと落ち、遊真くんはぼんやりとした表情のまま口を開く。

「レプリカ」
『どうした?』
「もしそうするなら、リアは誰かに任せた方がいいかな」

 え、という私の戸惑いは、鳴き声にすらならなかった。

『……これから星を渡っていくのに、連れていくのは危険だと言わざるを得ない』
「そうだよな……」

 ここまで来て予想外の展開だ。まさか日本に行けないとは思いもしなかった。もしかして、私がなぜか猫になってしまって、カルワリアにいる遊真くんたちと一緒にいられるという夢はもうすぐで終わるというのか。
 私の緊張や不安など、悩んでいる様子の遊真くんに伝わるはずもないのだろう。少しして遊真くんは「まぁ、戦争が終わったあとの褒美をもらってからだな」と話を切り上げた。レプリカも『そうだな』と答えたあとは、束の間の沈黙。

(……遊真くん)

 呼びかけは変わらず、甘ったるいにゃあんという鳴き声で響く。遊真くんは応えるように視線を落とし、私をしばらく眺めてからゆったりと身体を撫でてくれて。優しさに浸りたいのに、不安が邪魔をする。
 まさか、もうすぐお別れなのだろうか。唐突に終わりを予告されて、私は項垂れるまま遊真くんの膝の上で丸まるしかなかった。




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ねこてん!

 

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