講和条約が締結された。事実上、カルワリアの勝利で戦争が終結したのだ。国中がお祝いムードで、部屋の窓から見える景色だけでもカルワリアの国旗があちこちに飾られ、人々の笑顔もそこかしこにある。
戦争の終結が宣言されれば、今度は英雄たちの表彰だ。もちろん遊真くんも該当しており、普段とはちがう礼式兵装に身を包んだ遊真くんは、ついさっき式に出席するといって部屋を出ていったばかり。
おめでたいことがいっぱいのカルワリア。だというのに私は、どうにもならない寂しさを持て余してばかりだ。
(……さみしいよ〜)
誰もいないからと、私は堂々と不満を口にする。にゃぁん、にゃあんと繰り返し鳴き声が響いたところで迷惑をかけることもないからだ。
遊真くんは戦争の活躍を表彰され、報奨金なども受け取るのだろう。カルワリアでやるべきことを終えてしまう。そうしたらいよいよ、旅立ちの日が来てしまう。
それが私と、遊真くん、レプリカとのお別れの日なのか。考えるほどにさみしくて憂鬱だけど、レプリカの言う危険というのもわからないわけではない。私はただの猫。なにもできない猫を近界の旅に連れていくだなんてお荷物でしかないだろう。
(……自分で言ってて悲しい……)
にゃーん、と切ない鳴き声が響いてより哀愁を誘う。さらに気持ちが鬱屈としていく。悪循環だ。
ぐだぐだとしているだけで時間は過ぎていく。ベッドでごろごろしている間に式も終わったようで、ふいに部屋の扉が開いた。向こうには堅苦しそうな兵装を身にまとうかっこいい遊真くんの姿。
「……リア?」
扉を閉めて、授けられたのだろう勲章が輝く軍服の襟元を寛げながらベッドへと歩み寄ってくる遊真くん。かっこいいなぁとぼんやり眺めていると、遊真くんは不思議そうに首を傾げる。
「なんだ、珍しいな。いつも帰ってくると鳴いてるのに」
ベッドの前で腰をかがめて、わしゃわしゃと私の頭から身体まで撫でたと思えば「具合でも悪いのか?」と心配そうな顔。少しして、いつものおかえりの挨拶をし損なっていたんだなぁと気づく。
私は小さくおかえり、と鳴いた。遊真くんはそんな私を見て、ちょっとだけ考える仕草を見せる。
「……レプリカ」
『どうした』
「猫も病気になるのか?」
遊真くんの疑問を受けて、うにょんと姿を見せたレプリカは私を伺う。無気力にだらける私をみてなにを感じたか、レプリカは遊真くんへと向き直った。
『無論、病気になることもある――が、私は医者ではないからわからない』
「……ふむ、じゃあレプリカから見て、病気だと思うか?」
『少し食欲が落ちているようだが、それ以外に異常はなさそうだ』
「そうか」
遊真くんは最後に私を一撫でしてから離れていく。かっちりした兵装は動きづらそうで、早々に脱ぐようだ。
私は静かに瞼を下ろす。しゅるしゅると布ずれの音。……遊真くんがいる音。それだけで無性に寂しくなってどうしようもない。今の私が人間だったら、泣いてるかもしれないくらいだ。
「……そうだ、レプリカ」
『なんだ』
「さっき相談を受けたんだが」
遊真くんとレプリカの会話は否が応でも耳に入ってくる。私は目を瞑ったまま、二人の話を聞き流すよう意識する。
「親父のブラックトリガーがあるし、トリガーはふたつもいらないだろ。それで、おれのトリガーをくれないかと相談された」
『ふむ』
「あげたほうがいいか?」
『……二つ持っていても余らせるだけなのは確かだ。譲ってやるのもいいのではないか』
「そうか」
遊真くんの中で結論は出たらしい。急に足音がしたと思えば、なにやらデスクの引き出しを開ける音。おそるおそる目を開ければ、上半身だけ部屋着に着替えた遊真くんが手元のトリガーをじっと見つめている。
「もういらないな。あとで渡しにいくか」
遊真くんはそう呟くと、トリガーをことりとデスクに置いた。忘れないようにするためだろうか、満足気に見下ろしたあとで遊真くんは着替えに戻る。
今の私にはどうにも、いらないという言葉が胸に刺さった。気持ちが落ち込んでいるからだとわかってはいるけれど、寂しさと一緒に湧き上がる同情心。私はそろそろと起き上がり、デスクへと向かっていく。
飛び乗れば、すぐそこにトリガーが置かれていた。私が知っているトリガーとそう変わらない形、サイズだ。違うのは模様のようなデザイン。
「リア? それはおもちゃじゃないぞ」
私が興味を示しているのが気にかかったのか、背後から遊真くんの声が飛んできた。咎めるような声色もなんのその、聞き流して私はそっとトリガーに猫の前足をおく。
私だけなら置いていかれてしまうんだろう。そしてこのトリガーも、使われないから置いていかれる。ならばたとえば、私がトリガーを使えたら、どうか。
祈るような気持ちだった。もし使えたら、ちょっとは見直してもらえないかな。私が戦うのは難しいと思うけど、ほら、ボーダーの職員も換装体で身を守るためにトリガー使ってたし。そういう感じで、なんか、できることはないんだろうか。つまり――
(……トリガー、起動)
なかばヤケになって響かせた鳴き声。けれど確かに、トリガーが反応して光が溢れだす。
『――トリガー起動開始。起動者実体走査――』
響くのはトリガーのシステム音声。っていうか待って、本当に起動してる!? どうして? 私に遊ばれないように、遊真くんがトリガー起動させたってこと?
けれどシステムが続けて『戦闘体生成、実体を戦闘体へ換装』と告げる。同時に全身に不思議な感覚が走り、私、なのに私じゃないなにかがここにある、そんな錯覚を覚える。
気づいた時には足元にあったはずのトリガーが姿を消していた。見下ろして映るのは私の前足のみ。
(……な、なんで……?)
動揺のまま零したはずの言葉も、にゃぁと不格好に響くだけ。見るかぎり自分の身体に変化はなく、猫は猫のまま。それでも妙な違和感だけはあって混乱するばかり。
『……ま、まさか……動物にトリガーが起動できるなんて話は聞いたことがない』
レプリカの声がこれほどまでに動揺しているように聞こえるとは驚きだ。おそるおそる振り返れば、私をじっと見ている様子のレプリカ。その背後には、鳩が豆鉄砲を食ったような顔の遊真くん。
「……リア、トリガーがわかるのか」
『いや、しかし……』
「レプリカだって知ってるだろ。トリガーを起動するってことは、そういうつもりだったってことだ」
遊真くんは確認するようにレプリカに問う。レプリカはしばらく黙り、渋々といった様子で『確かに』と頷く。
そういうつもり、ってなんだろう。敵意があるとか、そういうわけじゃないんだけど大丈夫かな。
気づけば遊真くんの眉間には深い皺が刻まれていた。難しい顔を見るに、警戒されてたり不審がられたりするんだろうか。そもそも私は出自も不明な猫なんだし、ここにきてトリガーが使えたかもしれないとなったら、怪しまれるのも無理はない。
「レプリカ。おれ、考えてたんだけど」
話しながら、遊真くんは一歩デスクへと歩み寄る。私は思わず一歩後ずさる。
「戦争は終わったから、しばらくはカルワリアも平和だと思う」
『そうだな』
「イズカチャもヴィッターノもリアのことかわいがってたし、任せたらちゃんと面倒みてくれると思うんだ」
『……あぁ』
「褒美ももらったし、それと一緒にリアを任せようと思ってたんだが……」
まるで私を怖がらせないようにしてくれているのかと思わせるほど、遊真くんの足取りはゆっくりしたものだった。じわり、じわり、近づいてくる遊真くんの表情はまだ険しいものの、不思議と恐怖を感じなくて緊張を緩める。
「なぁ、リア」
いよいよデスクの前へと立った遊真くん。呼びかけられて顔を上げれば、遊真くんの手がおずおずと眼前に差し出される。
「おまえ、一緒にニホンに行きたいか?」
願ってもない申し出に、私は衝動のままに遊真くんの肩へと飛び掛かった。一緒に行きたい、連れていってほしい、遊真くんたちと一緒がいい。そんな気持ちが伝わるように、必死で遊真くんに訴える。
にゃん、にゃーん、と繰り返し鳴く私を見て遊真くんはきゅうと目を細める。それからいよいよ、レプリカへと向き直って。
「大変なのもわかってるんだ。でも、おれ、リアを連れていきたい」
レプリカはじっと遊真くんを見つめる。遊真くんもまた、返事を待ちながらレプリカを見つめる。
私も遊真くんと一緒になって、じっと返事を待った。いつ、返事をするのか。読めないレプリカの表情を必死に伺いながら。