寝る支度をするときに見た自分の顔は、いかにも泣き腫らしましたと言わんばかりだった。こんな顔を遊真に見られていたなんて……と思うと、何度もキスをされたこともまた思い出してしまう。恥ずかしい気持ちと嬉しい気持ちとでごちゃ混ぜになって、これ以上考えるのはやめようとベッドに潜り込んだ――はずなのに、頭の中ではまた玄関扉の向こうに消えていく遊真の姿がフラッシュバックする。
「……行かないで、なんてダメだよね」
まさかここに来て、頑張っている遊真の足を引っ張ってしまいそうな考えが脳裏を過ぎるだなんて。
私は目を明けて、ごそごそと起き上がって枕元の端末に手を伸ばす。スケジュールを確認すれば、次のB級ランク戦……最後の試合は水曜日の夜の部だ。自分を追い込めるように、迅さんへとメッセージをしたため、送信をタップする。
『最後のランク戦、玉狛で見てもいいですか?』
まるで連絡が来ることがわかっていたかのように、すぐに返事がきた。簡潔な『遅れるなよ〜』というメッセージは問題ないということだろう。
遊真だって、最終戦を前に遠征部隊を目指すべく、勝てるように頑張っているのだ。私も――頑張らないと。
だから翌朝、さっそく遊真にメッセージをひとつ送った。内容はシンプルに『火曜日、ちょっとだけ会えないかな』というだけの。いつもだったらランク戦の前日は遊真から誘ってくれていたので、今回は私から、と意気込んだのだ。
『夜の訓練のあと、送ってく』
『じゃあ、玉狛に行くね』
返事が来て、ほっとした。待つ間って案外不安になるものだな、なんて。遊真は、私にメッセージを送ったあと、返事が来るまでどんな風に待っていたんだろうと思いを馳せる。
「……甘やかされてたんだなぁ……」
繰り返し名前を呼んでくれて、指を絡めて、優しく抱き寄せてキスをくれる遊真は、そんなことおくびにも出さなかったのだな、と思う。当たり前のようにしてくれていた、それら一挙手一投足は全部……私を特別にしてくれた。
――だから、応えたい。
迎えた約束の日、遊真と会うまで時間は十分にある。だからと私は本部のラウンジ、隅のほうに陣取って――記録を、見ることにした。
言うまでもなく、玉狛第二のこれまでの記録だ。第一試合はB級下位を秒殺。第二試合は荒船先輩の弧月と相対しつつ、自らを囮として諏訪さんを撃墜、最後にはしっかりと生存していた。第三試合は村上先輩に食らいつき、水中戦を制したあとは那須さんまで狙いに行っている。
「……すごいなぁ」
想像していたより、ずっと穏やかな気持ちで遊真を目で追うことができて安堵した。多少ヒヤヒヤとはするものの、以前に感じたよりは恐怖が萎んでいる。
第四試合は展開も覚えているもので、改めて敵だらけの中でしっかり点を獲った遊真をすごいと言うしかない。トリオン漏出によりベイルアウトしていったのも当然だ。第五試合は、やはり柿崎さんの反撃に思わず目をつむってしまったものの、記録の中の遊真は平気そうに手当をして、すぐに次の戦いへと身を投じていく。
――そうやって、遊真はどこまでも先に進むのだろう。
没頭していると、ふいにラウンジにある時計から音楽が流れはじめた。一般職員の定時の時間だ。
「……ごはん」
食べたくないなぁ、というのが本音だ。正直ここまで記録を見ていて、気持ち的にはいっぱいいっぱいだし、食事が喉を通る気がしない。いつもだったら、まぁそのうちおなかが空くだろうし、その時に食べようと放っておいただろう。
でも、と私は渋々カバンに入っていたお菓子やらで腹ごしらえだけする。ちゃんとしたご飯じゃないのはご愛嬌。
気を取り直して第六試合の相手は生駒隊、王子隊。生駒旋空の射程があまりに長く、遊真まで届いてしまったのにヒヤリとしてしまう。ハラハラとしながら、それでも最後、隠岐先輩を捉えて――
「――っ!」
悲鳴を上げそうになったものの、喉の奥でどうにか堪えた。さすがに、真っ二つなのは……ちょっと心臓に悪い。遊真のそういう姿を見たくない気持ちは、どうにも昇華が難しそうだ。
正直だいぶ疲れてはいるけど、ここまで来たらと直近の第七試合まで見届けることにする。こちらも村上先輩の弧月で腕を持っていかれたときにはヒヤッとしたが、最後まで生存してくれたのでほっとした。
「……やっと、終わった」
どうにか記録を全部見終えたので、これでやっと玉狛支部に向かえる。と、疲れた身体を引きずって歩き――
「お疲れ様です……」
「水沢か」
食堂にいたのはレイジさんで、私を見て「夕飯はどうする?」と訊ねてくれる。おなかは空いていないし「軽く食べたので、大丈夫です」と遠慮すれば「夜食として持ってけ」と言われてしまった。
「遊真達も、まだしばらくは上がって来ないだろう」
「……いっぱいは食べられないですよ」
「たいした量は残ってない。あまりもので悪いがな」
レイジさんは夕飯の後片付けをしていたようだったのに、冷蔵庫から夕飯の残りを取り出して持ち帰れるように詰めなおしてくれる。
……というか、遊真を待ってるってバレてるようだけど、なんでだろう。とは、ちょっと聞きづらいので渋々とダイニングテーブルへと腰を落ち着ける。
ふいにレイジさんが「水沢」と声を上げた。
「一昨日のことだが……ヒュースと、大丈夫だったのか?」
おそるおそると言わんばかりに訊ねられて、珍しいレイジさんの姿をしみじみと見つめてしまった。視線を感じたからだろうか、レイジさんはあたふたと「陽太郎からも少し話を聞いた」だの「ヒュースは言葉を選ばないところがある」だのと口にしていて――つまりは、心配してくれたのだろう。
「……大丈夫でしたよ。むしろヒュース君にハッキリ言われて、ちょっとスッキリしたくらいです」
レイジさんは少しほっとしたように見えた。我ながら、本心からこの言葉が出たことにも驚きだ。同時に、改めて玉狛に来て、思い出したことがひとつ。
「レイジさんは覚えてますか? 私が迅さんから訓練を受けたときのこと」
「ああ、覚えてる。まだ戦いに慣れてない訓練生を急に連れてきて驚いたからな」
レイジさんはどことなくむすりとした顔をしていて、思わず笑ってしまった。思えばレイジさんの心配性は昔からだったのだろう。今も「なにがおかしい」なんて不審そうに眉根を寄せているが、私を気にかけてこその反応なのだろう。
「あの時、迅さんには本当に容赦なく殺され続けて……たぶん、そこでようやく殺されたくないって思えたんです」
「……見ているほうは、いい気分じゃなかったがな」
「ふふ……一昨日、ヒュース君に死にたがりって言われて、そうだなとは思ったんですけど……なんか違和感もあって。きっと迅さんが私をめちゃくちゃに殺してくれたからなんです」
今でも、思い出すだけで胃がムカムカするような嫌な気持ちが容易に思い出せる。手も足も出なくて、一方的に殺され続けるのはなかなか精神に悪かった。でも、戦えないのだから、どうしようもない。抵抗するなら力をつけていかなければならなくて、つまり――
「迅さんは、ボーダーに入って戦いたいっていう私の意志を尊重して、あんな風に訓練してくれたのかもなって。ボーダーのトリガーは人を殺さないけれど、あの訓練室で、迅さんが何度も何度も死にたがりの私を殺してくれたから、満足しちゃったのかもしれません」
なんて、おどけたように言えばレイジさんは大きなため息をつく。詰め終わったのだろう、小さな紙袋を用意して私の前へと置いてくれた。
「おまえは、あまり戦闘員に向いていないのだろうとは、考えたことがある」
「……そうですかね」
「だが、望むと望まざるとにかかわらず、おまえは戦いに巻き込まれることになるだろう」
やけに確信を持ったもの言いに、もしかしてレイジさんもブラックトリガーのことを知っているのだろうかと思った。迅さんも、小南も知っているのだ。同じ古株のレイジさんにも話は通じているうえで、黙ってくれているのかもしれない。
「せめて、身を守れるようにとは思うが……逃げるにも技術がいる。戦い方を理解しているからこそ逃げられることがあるからな」
レイジさんの話に、黙って頷く。やたらめったらに逃げるなんてのには意味がないのだ。逃げ方によってはむしろ、鴨がネギを背負っているようになってしまう。相手の意図、射線、間合いを理解してこそ攻撃をかわせる可能性が高まる。つまるところ逃げるためには戦うことを知る必要がある、というのは迅さんや小南と散々に手合わせして知ったこと。
「難しいこともあるだろうが、俺たちもいる。ちゃんと飯は食いにこい」
「……はい」
レイジさんは第二のお父さんのようでもあり、お母さんのようでもある気がする。今日は素直に頷いたからだろうか、すかさず「明日のランク戦、ここで見るらしいな。飯食ってけ」と言われたので「よろしくお願いします」と頭を下げる。
本心を誤魔化すことがないと、こんなに楽になれるんだな、なんて思う。きっと遊真がいなかったら、私はいつまでも死にたがっていた本心を誤魔化して、のらりくらりといろんなものを受け流してしまっていたのだろう。
だから――と覚悟を決めなおす。同時に、足音がしたので扉の方へと視線をやった。
「……わるい、遅くなった」
「ううん。私こそ、忙しいときにごめんね」
やはり上がってきたのは遊真で、レイジさんが「ほかはどうした?」と聞いている。ヒュース君が二宮さん対策の復習をしたり、三雲君がいい加減風呂にでも入ってひと息いれろと訓練場を追い出されたり、チカちゃんが的あての個人練にうつったりと様々らしい。
「で、おれも一回休憩がてら和音を送ってくことにした」
「……大丈夫?」
「大丈夫だよ。というか、おれも休憩するって言わないと、オサムが休憩しない」
「…………なるほどね……」
最終戦間際ともなると、さぞ三雲君も根を詰めたくなっているだろう。本来なら上司が休憩しないと部下も休憩できない、というような話の気がするが……まぁ、さておき。
レイジさんに持たされた夕飯の残りを「いただきます」と言って手に提げ、見送られながら遊真と二人、玉狛支部を後にする。出て――自然と繋がれる手に、まだちょっとだけドキリとしつつ――数歩進む頃、すぐに「それで?」と遊真の声があがる。
「珍しいな、和音から会いたいって言うの」
「……ごめん、忙しいとは思ったんだけど……」
「責めてるわけじゃないよ。そう言ってくれるのは嬉しいが……なんかあったのか、とも思ってな」
さあ、これでやりたいことの最後だ。私はしっかりと遊真を見て、口を開く。
「明日のランク戦、玉狛支部で見ることにしたの」
「……ほう?」
「最終戦、見てるから。頑張ってね」
言い切った――と、同時に不安になる。別に、今回はどうするとも聞かれてないし、そもそもランク戦を見るかどうかを聞くのは建前だったと言っていた。遊真からしたら、だからなに? となるような内容だろうか。私は慌てて「あの、それだけ、ちゃんと言いたくて……」と情けなく言葉を続ける。
遊真は少し驚いていたようだったけど、私の応援は受け取ってもらえたらしい。ふっと微笑んで「了解」と答えたと思えば、繋いだ手に力がこもる。
「こういうの、やる気が出るもんだな」
「……そうなの?」
「おう。負ける気がしない」
遊真はにかりと楽しそうに笑っている。あれから二宮隊への対策はどうなったのか、弓場隊や生駒隊へはどうなのか……聞くまでもないだろう。勝算があるのだろうことを感じさせる笑顔で、遊真は「それで」と話を続ける。
「和音は、もう平気なのか?」
そうやって確かめるのは、遊真なりの優しさなのだろう。きっと触れないこともできるけれど、嘘を見抜ける遊真だからこそ、聞く意味がある。
「……今日ね、これまでの遊真達のランク戦の記録、見直したんだ」
「ほう?」
「やっぱり、遊真が……危ない、って思うと怖くなっちゃうんだけど……でもね」
深呼吸をひとつ。私はきっと、笑顔を見せられていたと思う。
「それでも、遊真が前に進むところ、ちゃんと見ていたいなって思ったから」
遊真は目をぱちくりとさせている。けれど間をおいてふっと笑ったと思うと――
「それなら、提案なんだが」
「……なに?」
遊真もまた、なにか意志を込めた瞳で私を見ていた。じいと見つめていれば、目尻が緩む優しい顔。
「明日、おれたちが勝ったら、いっこ頼みを聞いてほしい」
「もちろん」
どんな? なんて聞く必要もなかった。遊真が私に頼みたいことがあるのだとしたら、どんなことであっても叶えたい。私にできることであればいいけれど、なんて不安は押し込めて、私は笑顔を返す。
「別に、勝たなくても頼んでくれたらいいのに」
「そのほうが気合も入るだろ」
二人、静かな夜道を並んで歩く。私の手を引くように半歩先を歩く遊真に連れられるまま、私は家へと帰っていく。遊真を連れ出せるのは、ほんのひと時。すぐにまた、遊真は玉狛に戻って長い夜を明日の試合に備えて過ごすのだろう。
私には祈ることしかできないし、きっと大丈夫と信じるだけだ。それでも、どうか明日、遊真達が勝ちますようにと願いながら、残り少ない帰り道を歩くのだった。