だから私は大人になるの
 ――言ってしまった、と途端に後悔の気持ちが湧いてくる。
 そもそもが、遊真に話すようなことでもなかったんじゃないか。似たような経験をした遊真にだって、きっと思うところはあるハズなのに。

「……ごめん。こんなこと、遊真に言うことじゃないのに……」
「聞いたのはおれだろ。別にいいよ。和音の言いたいことも、わからんでもない」

 遊真は困った様に笑いながらも、ふうと静かに息をついている。どこに共感できることがあっただろうか。おそるおそる「そうなの?」と訊けば、遊真は静かに「おれはさ」と話をはじめる。

「親父はおれの代わりに死んだんだから、親父のやり残したことはおれがやらなきゃって思ったんだ。だから、周りはいいっていったけど、戦争の手伝いも続けた」

 ……お父さんだって、まだ友達の国を守りたかっただろうと、そう考えたのだろうか。ぼんやり考える間にも、遊真は淡々と話を続ける。

「だから戦争が終わったとき、やることがなくなって困ったんだ。……でも、昔から親父には『俺が死んだら日本に行け』って言われてたし、レプリカもそう言ったからな。それで、いろいろあってここまできたけど――」

 一度言葉を切った遊真の眼差しが、私を見つめる。口角はわずかに上がっているのに、瞳の奥では悲しみが燻っていた。
 
「和音も、母さんのところに行きたかったんだな」

 ――胸の奥が、すうと冷えたような気がした。

「おれはレプリカがいたから、親父の故郷に来られた。けど、和音は母さんの国のことも知らなかったくらいだし、行きたくても行けなかっただろ。あとは、死ななきゃ母さんに会えないってことくらいだ」

 遊真の言葉が心臓にずきずきと刺さって痛い。痛みに呼応するように、涙が溢れてくる。知らず知らずの間に胸の奥底に押しつけてきたものが解放されたかのようだ。

「おれさ、親父に会ったら聞いてみたかったんだ。自分が死ぬってわかってて、なんであの時おれを助けたんだって。……なぁ、和音は? 母さんに会ったら、どうしたい?」

 ぼろぼろと涙が溢れてきて止まらなくて、私は必死で服の袖で涙を拭う。それでも涙は止まらなくて嗚咽を漏らしていると、遊真がそっと私の肩を抱き寄せてくれた。温かくて、優しくて、私はそれに縋るように口を開く。

「私も、一緒に行きたい……おいて、かないで……っ……!」

 心の澱みの奥底から、自然と溢れた感情はそれだけだ。さみしかった。お母さんと一緒がよかった。だから、勝手に死ぬなんて決めないで欲しかったのに。そうして一人置いていかれた私は、どうして生きていかなきゃいけないの。

「……ご、ごめ、っ、なさ、……」
「……どうした? あやまることじゃないだろ」

 遊真は優しく応えてくれるが、それでも――本当なら、こんなこと遊真に話しちゃいけなかった。だってこの言葉はそのまま、遊真へも重なってしまうのに。
 頭の中はぐちゃぐちゃだ。それでも、澱みをすべて吐き出すかのように嗚咽混じりに涙が溢れてきて止まらない。遊真は私を落ち着かせるように優しく背中を叩き、頭を撫で、ただただ私が泣きつづける傍にいてくれる。
 どれほどそうしていたのか、ようやく涙が枯れてきた頃。普通に息ができるようになって、冷静な思考も戻ってきて――ひどい顔だ、と気づく。

「……ご、ごめん、遊真、ちょっと……」
「うん、落ち着いたか?」
「い! 今、こっち見ないで……!」

 私は必死で顔を背けつつ、あっちを向いてと懇願する。涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔なんて見せられなくて、私は慌ててティッシュを探して、どうにか諸々を拭き取ってひと息。それでも、きっと目は腫れているだろうし、鼻は詰まってるし、みっともない涙声の名残が残っている。

「もういいか?」
「うん……」

 子どものように泣き喚いてしまったことが恥ずかしくて、遊真の顔が見られない。けれど遊真はまったく気にしてないかのように両腕を広げてみせる。

「ほら、もういっかい」
「……へ?」
「こっち」

 まるで抱きとめようとしているかのような格好に、私はおずおずと身体を寄せていく。遊真は促すように私の肩を抱き寄せていき、最後にはしっかりと抱きしめられた。そう温もりに包まれるだけで、落ち着いたはずの涙腺がまた緩んでしまう。

「泣かせてごめんな」
「……遊真のせいじゃないでしょ」
「ヒュースと話してたときは泣いてなかったろ」

 謝ってくれているのはわかるけれど、なんだか、嬉しそうに聞こえるような。遊真の肩に擦り寄っていると、続けて耳元で甘く優しい声が響く。

「泣くのが、おれと一緒にいるときでよかった」

 泣いてしまって申し訳ない、という罪悪感が遊真の言葉で吹き飛んでいった。遊真だって泣かせようとしていたわけではないはず。それでも、泣いてしまうようなことを、勇気を出して遊真に話せたことは……自分でも少しだけ前に進めたような気持ちになれる。

「……聞いてくれて、ありがとう」
「うん、どういたしまして」

 お礼を言えば、遊真も笑顔を返してくれた。内容はあまり楽しいものではなかったが、それでも、遊真が笑ってくれているから大丈夫かと息をつく。
 いつまでもこうして遊真にもたれかかっているのは気恥ずかしく、とはいえ名残惜しいもの。けれど遊真も、なにも言わず私の腰を抱き寄せたままだ。そうして様子をうかがうように、遊真が私の顔を覗き込んでくる。

「しかしあれだ、おれはそんなにヤキモチ焼きだと思われてるのか?」
「……え、なんで?」
「さっきも言ってたろ。ヒュースのこと好きだって誤解しないでほしい、って」
「だ、だって……」

 遊真も見ている前で堂々と、ほかの男の子のことを好きだ、というのはやっぱり誤解を招くんじゃないか。だから遊真も怒っているんだと思っていた。そう言えば、遊真は面白そうにけらけらと笑ってみせる。

「まぁ、そりゃほかの男に好きだっていうのはいい気持ちしないけど」
「や、やっぱり、ごめん……」
「大丈夫だよ」

 すぐに謝れば、遊真は私の頬に手を添わせて、まるで謝るなと言わんばかりに顔を上げさせる。細められた遊真の眼差しが私を見つめて、優しい声が落ちてきた。

「和音の特別な好きは、おれが一番よく知ってる」

 息が止まった。蕩けた笑顔に見惚れて言葉に詰まっていると、遊真は続けて「だから、大丈夫だ」と笑う。
 それはきっと信頼なのだと思う。私の特別な好きが自分に向いていると、遊真は疑わないのだ。ほかの人への好きと、自分への好きは違うものだと、わかっていると。

「……遊真が、好き」
「うん。それは、おれだけのだ」

 遊真の顔が近づいてくるにつれ、瞼を下ろす。唇が触れて、離れて。自然と抱きしめられた耳元で、甘く優しい声が響く。

「おれも、和音が好きだよ」
 
 ――これが、私だけの特別な好き?

「……ありがとう」

 自然と口から出たのは、ありふれたお礼の言葉。同時にまた熱い涙が溢れてきてしまった。そうとバレないように口を閉じて、私はただ遊真の温もりに浸る。
 遊真を好きになって、手を引いてもらったから、こうして今がある。幸せだと思った。お母さんを追いかけられていたら、私は遊真のことを、この幸せを知らないままだったのだと思うとぞっとするほど。

 ――だから、ごめんね、お母さん。会いにいくのは、もう少し後がいいな。

 少しして、ピロン、と音が鳴る。なにかと思ったが、どうやら遊真の持つ端末に通知があったようだ。私が身体を離そうとするのに気づいたのだろう、遊真は「すまん」と一言断ると、ポケットを探って端末を取り出す。画面をタップして、間。

「……ふぅむ」

 なにやら唸っている遊真に、おそるおそる「大丈夫?」と声をかける。今日だって、皆は最終戦に向けて対策をするべく、情報を集めたり確認したりしていた。遊真は明日の準備ができた、とかなんとか言っていたけれど、ほかの皆は大丈夫なのだろうか。
 私の心配をよそに、遊真は「大丈夫」と言ってけろりとしている。

「こなみ先輩に、早く帰ってこいって言われただけだ」
「……小南?」
「遅くなるかもって言ったから、心配させたんだろ」

 たたた、と遊真はタップして返事を打っている様子。……それなら、きっともう、帰る時間だ。

「じゃあ、急がないと」

 私はいよいよ遊真から身体を離す。それが、こんなにも名残惜しい。もっと一緒にいたかった……なんて、子どもみたいに甘えた気持ちが湧いてきてしまう。
 遊真は「別に、急がなくてもいいが……」とは言うものの、私の顔を覗き込んで「落ち着いたか?」と問う。さっきまで散々に泣いていたのだから、心配してくれているんだろう。私は――ちょっとだけ、嘘にならないか心配ながらも――覚悟を決めて「もう平気」と口にする。

「遊真に話せて……スッキリしたから、たぶん大丈夫」
「……そうか」

 遊真はどこか心配そうだけど、少なくとも私が言ったことは嘘じゃなかったのだろうと思う。だから、もう一度私が「大丈夫だよ」と言えば、遊真は「じゃ、今日は帰るな」と言って立ちあがった。見送るためにも後を追ったが、玄関の扉に手をかけた遊真が足を止める。

「和音」

 ちょいちょい、と小さく手招きされるので、どうしたのかと歩み寄る。あっという間に顔が近づいてきて唇がさらわれていった。

「――なんかあったら連絡入れといてくれ。いつでも来るから」
「……うん、ありがとう」

 遊真は今度こそ「じゃあ、おやすみ」と言って玄関から外へと出ていく――瞬間、思わず手が動きかけたのを堪えた。ゆっくりと扉が閉じていくなか、わずかに振り返った遊真の微笑みが閉まる扉の向こうに消えた。かすかに聞こえる足音はすぐに遠くなっていく。
 さっきまで抱きしめられていたのが嘘のようだ。まだ夢を見ているかのようで、足下がふわふわと浮いているみたい。まだ遊真に抱きしめられているような気がするほど。

「……会いたいな」

 なんて、さっきまで一緒にいたのに贅沢だ。深呼吸をして、それから――覚悟を決める。

「これ以上、遊真に心配かけるわけにはいかないもんね」

 きっともう大丈夫。だから、と私は踝を返して部屋へと戻る。できなかったことを、ひとつずつ、ゆっくりでいいからできるようにならないと。ご飯のこと、ランク戦のこと、ほかにも探せばあるかもしれない。
 そうして、私は前に進まないと。手を引いてくれた遊真に、追いつけるように。


[98/110]

 

サヨナラの引力

 

ALICE+